カルトを解散させれば、とりあえず世界は良くなる
昨日の記事の続き。カルトを解散させると、カルトにコントロールされていた信者が信仰的路頭に迷う。行き場を失って自殺する危険性さえもあるという話。だから解散させるなという論理。
私はこれに真っ向から反対。
カルトが解散して、信者が行き場を失ったとしても、信者全員が自殺する訳ではない。
信者の半分でもまともな道に戻れば、全体で見れば御の字。100がマイナスなカルト活動をしていた現状から、50がプラスのまともな道へ。50が自殺したとしても、全体で見れば、マイナス100からプラス50になっているので、結果150プラスになっている。150も世界が良くなったということ。
もちろん、半分も自殺しないように、何らかの救いの手を差し伸べる必要がある。そのセーフティネットは必要だが、その準備が無いからといって、マイナスだらけの集団を容認して良いという話にはならない。
カルトを解散させるか否かという話なので、組織として話さないと。誰々が、こういった傾向の人が事件を起こしそう、自殺しそうって知ったこっちゃない。
100人の有害なカルト活動者がいるのなら、解散させて98人くらいをまともな道に戻す議論をしないといけない。残りの何人かが自殺しそうだから、100人の有害集団をそのまま放置って?小学生でもわかる数字の話。
身内の話になると、そうも簡単に割り切れないけれど、個別具体な自分の親とかは、自分で面倒見ないと。それが嫌だから、カルト集団そのものを存続させたいなんて、そんな話は通用しない。
カルトという泥船は沈めるべき
カルトという泥船が有害物質をバラまきながら公海を進んでいる。エホバの証人はこれ。沈みゆく泥船だが、輸血拒否だとかハルマゲドンだとか復活だとかの世迷言で情弱な民をたぶらかしている。これが有害物質をバラまく行為。
泥船は沈めて、乗っている人は全員、安全な船へ救い出すべき。その過程で「泥船から降りたくありません。降りるくらいなら死にます」なんて奴の意見は聞く必要ない。
泥船大好き野郎のせいで、公海に有毒物質がバラまかれている現状を放置すべきではない。泥船大好き野郎に忖度する必要はなく、公海の汚染を守ること、泥船に囚われている人々の一刻も早い救出を目指すべき。
そもそも、宗教団体が解散したくらいで自殺するなんて、信仰弱すぎ。自殺なんて教理で禁じているでしょ。多分。旧統一教会の方は知らないが、エホバの証人は当然禁じているはず。
だから、大丈夫。エホバの証人を解散させたって、エホバの証人は誰一人自殺しないよ。自殺した人は既にその段階で教理破りでエホバの証人じゃないからね。
自殺を盾に解散を阻もうとする行為が、そもそもカルト的なんだって。勘弁してくれ。
“カルトは解散一択、泥船は沈めるべき。信者に忖度する必要はない” への2件の返信