元エホバの証人2世の幸せというのは?今を幸せだと思える者は・・・

エホバの証人の物理的解散は・・・

自分の幸せについて考える。そもそも、なんで私はこんな不毛なエホバの証人倒壊運動をやっているのか?自分の不幸せや、恨みつらみといった負の感情を転換しているだけではないのか?などと考えたから。

結論から書くと、

私は、もっと幸せになりたいからエホバの証人を物理的に解散させる。

囚われの真っ只中にいる現役エホバの証人を救うために、エホバの証人を物理解散させる。現役エホバの証人が人生を取り戻したり、宗教虐待下の子供が自由になることは、大枠で私の喜びであり、幸福。

世界を正常な姿に戻すために、エホバの証人を物理解散させる。世界に不要なエホバの証人がこの世から消えれば、私の積年の恨みが多少は晴れ、スカッとする。それはこの上ない幸せであろう。

幸せの価値基準は、相対的なモノ

今が幸せかというと、それはそれでYes。幸せや不幸せというのは相対的なものだから。

明日、学校に行けば、エホバの証人であるがゆえに辱めを受ける。そんなエホバの証人2世だった子供時代のことを考えれば、不条理な仕打ちを受けない今は、子供の頃に比べれば幸せ。

好きな映画を自分で選んで、好きなときにAmazonのprimevideoで観ることができる。ありとあらゆるテレビや映画を制限された子供の頃より、今の方が格段に幸せ。

妻子がいて定職がある今は、ハルマゲドンに怯え、孤独で、不安定な職業だったときに比べれば幸せ(もうちょっと稼ぎがあれは言うことないが・・・)。

だけど、もっと幸せになりたいから、エホバの証人組織を壊滅させる。

今が幸せだと思える者は・・・

そして、最近思い至ったことがある。エホバの証人被害を訴えたり、組織の根絶を訴えるのは、エホバの証人という臨死体験から偶然サバイバルし、なおかつ余裕のあるモノの務めなのではないかということ。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人を物理解散させるのは、教団の自称真理が嘘であり、その嘘は信者の人生を損ね、命を危険に晒すモノであると、自ら実体験して知ってしまった者の責務。

そして、その務めを果たすことができるのは、エホバの証人というどん底から這い上がり、今が幸せだと思える者だけ。不幸のただ中にいる人は、他人や世界のことを考える余裕も、その必要もない。

今、私に余裕があると考えた契機は、エホ弁(エホバの証人問題支援弁護団)のエホバの証人2世に関するアンケート。

続きは明日の記事にて・・・。


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