エホバの証人の神のラッパは、誰にも聴こえない
昨日の記事に続いて、キリストの臨在について。
エホバの証人組織は、どうしてもキリストの臨在が1914年に起こったことにしたい。1914年に臨在したキリストが、エホバの証人の統治体を任命したと、自称している。この理屈が通らないと、信者の上に君臨できない。
聖書の記述と照らし合わせていくと、このエホバの証人の設定に無理があることが見えてくる。
テサロニケの信徒への手紙一4章、共同訳から
15節
主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。
エホバの証人の新世界訳では、「主が来られる時」は「主の臨在」と訳されている。なので、この部分はエホバの証人的には1914年に起こったことが記述されていることになる。続く16節
すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、
キリストの臨在の際、合図の号令、大天使の声、神のラッパというド派手さでキリストが天から降ってくる。と書いてある。
当然、こんなことは、エホバの証人の言うところの1914年には起きていない。
エホバの証人的には、「すべて霊的なことなので、人類には見えない」という設定で逃げている。1914年に復活したのは過去の義人で、天に復活しているので。
合図の号令、大天使ミカエルの声、神のラッパ、これだけ揃っておいて、人類には聴こえないってのはどうしたことだろうか?エホバの証人設定には無理がある。
臨在が、聖書の読み手である人類の誰にも見えないモノなのだとしたら、聖書筆者は、こんなド派手演出として表現しないだろう。
またも、マタイ24章から
“聖書予言、エホバの証人の神のラッパは誰にも聴こえない” の続きを読む