自身の利害を守るため、過去を変えたいエホバの証人組織

自身の過去をコントロールしたいエホバの証人組織

エホバの証人という宗教団体は世間の常識とかけ離れている。これに教団内部の人間も気付き始めたのが、子どもに対する虐待の件。

私の実体験としてエホバの証人2世信者だった子どもの頃、しこたま屈辱的な体罰を受けた。エホバの証人は組織として児童虐待を推奨している。懲らしめと称して「物理的に体罰を与えることが必要」と、クッキリハッキリ公式サイトに書いてある。

この公式サイトはエホバの証人組織そのものと同様に、信者の崇拝対象になっている。そのため、一信者が公式サイトを否定したりないがしろにすることはない。背教者扱いされるから。

以前に、エホバの証人の日本支部に「体罰を推奨しているか」と質問したことがある。その際、エホバの証人の電話番は明確に答えはしない。「公式サイトを見てくれ」としか言わない。

その公式サイトに体罰が必要だと書いてあるのだから、ものみの塔聖書冊子協会は体罰推奨協会であることは間違いない。しかも、現在進行形で。

しかし、体罰推奨協会と世間の常識との乖離が明らかになり、「体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ」とする発言が、教団広報から出てきた。

基本的にエホバの証人は組織のマインドコントロール下にあり、一般常識とかけ離れた思想を抱いている。しかし、世間との軋轢が大きくなり過ぎると、組織そのものの維持存続にも関わる。

そのため、子どもには体罰上等のエホバの証人教理をなかったことにしたいという意思が垣間見られる。

組織の利害に明るいエホバの証人もいる

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コミュニティー信仰は、単なる人恋しさからくる甘え

コミュニティーがあるから棄教できないというのは本末転倒

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。本書では創価学会についても触れている。

一部の団地や離島では創価学会員のコミュニティが築かれていることが指摘されている。そのため、

信仰がコミュニティー全体にまで広がっているということは、人間関係がすべてそのなかで営まれるということを意味します。そうなると、信仰を捨てようと思っても、それは同時にコミュニティーを捨てることにつながるわけで、なかなかそこに踏み切ることが難しくなります

言っていることも、信仰を捨てられない気持ちも分からなくはない。エホバの証人のケースで考えてみると、親や親類、身の回りの人が信者で固められているというのは想像に難くない。

生まれ育ったコミュニティーを捨てるとか、数十年に渡って所属したコミュニティーを捨てる、裏切るというのは困難なことだと思う。

思うのだが、コミュニティーって宗教とか信仰とは関係ない。おまけみたいなモノ。というより信仰や宗教にとって、コミュニティーとは不必要で余計なモノ。宗教とか信仰というのは、神と自分、教えと自分の関係。他人はどうでも良い。つまり、

コミュニティーを捨てることができないから信仰が捨てられないなんていうのは、本末転倒。宗教でも信仰でもない。単なる人恋しさからくる甘え。

お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?

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司法により裁かれるべきエホバの証人(JW)組織と統治体

裁きを受けるべきエホバの証人の統治体

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。法の華三法行という宗教団体の有罪となった詐欺事件について。

「病気などの悩みを抱えた被害者に『足裏診断』と称する面談をし、衝撃的なことばを浴びせ不安を駆り立てた。修行すれば病気は治るなどと虚言をろうして、法外な金をだまし取った犯行は巧妙悪質だ」

という判決。

エホバの証人の場合は、

「心身や生活に問題を抱えた被害者に『真理』と称する教理を説き、ハルマゲドンや復活などという衝撃的なことばを浴びせ不安や損失回避の感情を抱かせた。ものみの塔組織に献身すれば永遠に生きられるなどと虚言をろうして、人生を圧倒的に損なわせ、時には死に至らせる犯行を100年以上続けているのは巧妙悪質」

となる。さらに法の華の方は以下のように続く。

「『天声』を聞いたり(宇宙エネルギー)の『天行力』を操ったりする能力がないことを誰より本人が認識していた」

として、教団トップを裁いた。この理由は詐欺マニュアルが用意されていたことから。

エホバの証人の場合は、

「統治体メンバーは、油注がれたと天啓を受けたり、神の言葉の中継者となる能力がないことを誰より本人たちが認識していた」となる。

理由としては、統治体メンバーによる教理の決定が多数決会議であることが暴露されているし、予言を常にハズシ続けていることから明らか。

ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

油注がれたという自称が勘違いで、故意による詐称でないとしても罪は重い。エホバの証人の場合は、寄付や布教活動で人生を搾取するだけでなく、教理による輸血拒否や、宣教先の海外での事故で死者まで出ている。

勘違いだったとしても、自らが神の言葉の翻訳者だと言って、その誤訳のせいで信者が死んでいる。ゆえに、エホバの証人のトップは裁かれるべき存在である。

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他人の命を奪うことになる、エホバの証人(JW)の寄付

エホバの証人に定期的な寄付などすべきではない

『芸能人と新宗教』の第四章から。

宗教法人の

宗教活動からの収入は、その宗教法人に所属する信者が出したものです。それを信者自身のために使うわけですから、課税の余地はありません

ここで考えたいことが2点。1つ目は昨日の記事にて。宗教法人が集めた金を給与や手当として組織内の信者に支払っている場合。そこに課税は必要だろうという点。果たして適正に税徴収されているのか?

今日は2つ目。宗教法人が宗教活動で得た収入は信者のために使われるという点。寄付や献金に限ると、この点に信者は矛盾を感じるべき。

そもそも支払った金が自分のために使われるのなら、寄付などせずに当初から自分のために使えばいい。

あと、本当に自分のために使われているのかよく考えてみるべき。組織上層部メンバーのファーストクラスでの移動や彼らの生活費に使われている金。それらは決して自分のために使われているとは言えない。

エホバの証人に定期的な寄付などすべきではない

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宗教と金の問題、カルト宗教法人には課税すればいい

宗教法人の課税について

『芸能人と新宗教』、第四章。宗教法人の課税について。

課税されないのは、宗教活動をとおして入ってくる収入についてです。あるいは、宗教施設のある土地に対しては固定資産税は課税されません。

ということは、機関誌を月に数回とか宗教本をコンスタントに発行して売り捌くのは課税対象になる可能性がある。

私が子どもの頃は、エホバの証人の「ものみの塔」誌とか「目ざめよ!」誌にはきっちりと値段がついていた。その価格設定があるとき突然なくなり、以降は雑誌や宗教本の対価は寄付として受け取る形式になった。

エホバの証人の宗教本の定価撤廃は、税金対策だったとも考えられる。

こういった変更を、宗教本が見た目上は無償化されるという「素晴らしいお知らせです」のように発表するのがものみの塔方式。商魂たくましく、都合の良い便りしか、マインドコントロール下にある信者には流さない。

カルト宗教法人には課税すれば良い

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エホバの証人対策として、傷の浅い段階で作成するべき念書

「ずれ」を呑み込ませるカルト、「ずれ」を受け入れる信者

昨日の記事でカルト入信前後のイメージと現実の「ずれ」について書いた。カルト教団は、その「ずれ」を覆い隠すことに長けている。

家族が幸せになれるから、と誘われてエホバの証人の集会に行ったのに、集会に行きだした途端、家族の機嫌が悪くなる。これも「ずれ」。現実が悪化しているのだから、すぐにやめるべき。エホバの証人に関わる前のフラットなゼロ地点に戻るべき。しかし、

エホバの証人組織側はこの「ずれ」を上手くごまかす。事前に「家族は必ず反対します。それはエホバの証人が真理だから、サタンが邪魔をしているんです」と予言めいたことを言う。

どう考えても「エホバの証人がカルトで、家庭をないがしろにしているから」家族関係が悪化したのだが、そう気付ける健全思考状態の人は、当初からエホバの証人の相手などしない。

「予言が当たった!」と「ずれ」を呑み込み、妄信の沼へ引きずり込まれてしまう。すると、ますます健全社会へ戻れなくなる。

2023新年一発目、エホバの証人の存在しないより良い未来のために

エホバの証人対策としての念書の作成

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最優先事項をラーメン屋感覚で勧める奴を信頼するな

重要案件を安易に勧める奴を信頼するな

『芸能人と新宗教』、第四章「芸能人は新宗教の広告塔なのか」。本書では、芸能人は宗教団体にとって広告塔になりもするが諸刃の剣でもある、と述べている。

エホバの証人のように問題だらけのカルトだと、芸能人であろうとなかろうと、健全な一般社会との間に必ず軋轢を生む。その際にただでさえ目立つ芸能人であると悪目立ちする。

スキャンダラスに報じられれば、カルトの悪質さが衆目に晒されることになる。世間を欺けずに正しい評価がなされれば、カルトにとって大きな痛手。

芸能人であろうとなかろうと

人は漠然と教えに惹かれて入信するのではなく、信頼できる人に出会って、それを通して入信する

と本書にある。

このことから得られる教訓は、やたらめったら人を信頼するなということ。

カルトの入信を迫る人物など、この世で最も信頼してはいけない人物。そんな怪しげな人間を安易に信頼するから、人生を大きく損ねることになる。

私の母もそうで、訪ねてきたエホバの証人の女性を信頼して人生の大半のモノを失った。その女性が悪人だったわけではなく、同じ被害者。被害者が被害者を増やす。

何でもかんでも猜疑心に駆られるのは良くないけれど、

大金を使うとか、継続的に時間を使うことになる案件、人生を左右する問題、例えば宗教とか結婚とか投資とか就業とか。この手の優先度の高いモノを安易に勧めてくる奴は、大概ロクな奴じゃない。

それを「あそこのラーメン屋美味しいっすよ」的な感覚で受け止めてしまうと、ほぼ100%失敗する。騙される。

私だけは大丈夫と思っているんだろうけれど、騙された奴は皆、最初はそう思っていたんだよ。

エホバの証人という地獄の沙汰も金次第、JWと芸能人

入信前の幻想と入信後の現実の「ずれ」

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マイケル・ジャクソンとオカルト大好きエホバの証人

マイケル・ジャクソンとエホバの証人のこと

『芸能人と新宗教』、第三章「海外の芸能人も新宗教にハマる」より。

昨日の記事に続いてマイケル・ジャクソンの話。マイケル・ジャクソンもエホバの証人2世であったと本書で明かされている。

「スリラー」の冒頭には、「この映画はオカルト信仰を助長するものではない」という注意書きがわざわざ挿入されています。それも、マイケルが、アルバム『スリラー』ために、エホバの証人が彼を破門しようとしていることを聞いたから

実際にyoutubeで確認してみると確かに。冒頭も冒頭に以下のテロップが出る。

Due to my strong personal convictions, I wish to stress that this film in no way endorses a belief in the occult.

しかも結構長い時間テロップが出る。Google翻訳で訳すと以下。

「私の個人的な強い信念により、この映画は決してオカルトへの信念を支持するものではないことを強調したいと思います」

オカルトを支持しようがしまいがどうでも良くて、そんなもの単なる個人の趣味の領域。

ところが、なぜかこのPVではオカルト不支持を強く訴えている。個人的な強い信念により。この信念というのがエホバの証人の教義に基づくものだったり、エホバの証人組織に対する未練や現役信者である家族に対する気遣いであったり。

歴史的名曲もいっきに興覚め。

実は、オカルト大好きエホバの証人

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エホバの証人という地獄の沙汰も金次第。プリンス、マイケル・ジャクソン

エホバの証人の芸能人

『芸能人と新宗教』、第三章「海外の芸能人も新宗教にハマる」から。

本章によると、プリンスの死には

エホバの証人の信仰が深くかかわっていた

私にしてみると、プリンスって誰?なのだが、カリスマミュージシャンらしい。そのプリンスの死因は鎮痛剤の過剰摂取による中毒死とされている。

鎮痛剤を過剰投与したのは、深刻な股関節の疾患を抱えていたからです。それを治すには手術が必要だったのですが、エホバの証人では輸血を禁じているため、手術ができず、鎮痛剤に頼らざるを得なかった

エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは目立ちたいから。これこそ無駄死に。鎮痛剤が大量に必要なほど、まさに痛い話。

もっとも「ふさわしくない」マイケル・ジャクソン

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念仏唱えて人生が好転すれば誰も苦労しない、宿命転換

創価学科の宿命転換とは

『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。芸能人の信者が多いとされる創価学会について。私は、学会員とされるタレントが出ているテレビ番組は極力見ないようにしている。個人の主義として。

とはいえ、例のご当地番組は面白いのでたまに見てしまうのだけど・・・スタジオに返ってきたらチャンネル変更・・・。まあ、ほとんどテレビは見ないので実際は関係ないのだが。

創価学会に芸能人が多い理由として考えられるのが、「宿命転換」と言う教えの存在

宿命転換とは、前世の罪として背負った宿命を、現世で功徳を積むことで転換できるという設定のこと。功徳というのは宗教活動を行うことに限定されるのだろう。

道端でゴミを拾ったりとか、他人に親切にしたり、親孝行したりではなく、教団指定の仏壇を買ったり、選挙の応援や新聞の勧誘をしたり。単純に組織的宗教活動に熱心に取り組ませるための設定。どこの新宗教にも似たり寄ったりの仕掛けがある。

エホバの証人の場合は、人類は祖先アダムの原罪を背負わされている設定。原罪のまま罪深く生きると来たるハルマゲドンで神に殺される。その憤死を回避するためにエホバの証人活動という恥ずかしい罰ゲームを行え、という仕組み。

街頭で「聖書を無料で学べます」という恥ずかしい立て看板と一緒に立ったり、学校行事のほとんどを見学したり、輸血拒否して命を投げ捨てたり。

ハルマゲドンを生還すると宿命が転換され、完全な人間になって永遠に生きることができる。それがエホバの証人のおとぎ話。

恥にまみれて永遠に生きるくらいなら、罪にまみれて短い生涯を生きる方が美しい。

英雄的アダム、自由意志を放棄または没収されるエホバの証人

エホバの証人の地上の楽園設定の矛盾を論破する

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