2023新年一発目、エホバの証人の存在しないより良い未来のために

エホバの証人2世という出自

2023年一発目。本年もよろしくお願いいたします。

私はものみの塔撲滅のための活動を細々と行っているのだけれど、元エホバの証人2世として現在進行形での被害というのはない。家族親族など身の回りに鬱陶しい現役信者もいないし、エホバの証人の友人知人も皆無。

エホバの証人の知り合いと私がエホバの証人だった当時の知人友人クラスメイトは、脱会後10年くらいかけて仕分け。今では、私のエホバの証人2世という出自を知る人は家族以外に周囲にはいない。全く別人になり変わって生きている。

厳密に言えば、名前を変えたりしたわけではないし、子供の頃の同級生とかに偶然会えば、当時の惨状がまざまざと明らかになる。履歴書にも小中学校名を正確に書いているので、ちょっと調べれば私がエホバの証人2世という宗教2世であることはすぐに分かる。

現在知られていない人たちに私の過去を知られたとしても、特に不都合はなく「厳しい出自を切り抜けて今ここにいる。もっと厳しい出自の人もざらにいるでしょ」と言うだけ。

今の生き方に逃げ隠れするところはないし、脱会後は相当に紆余曲折し、人に言いたくないことも多いが、その当時も一瞬一瞬には全力を尽くしてきた。後悔することも恥じることもない。

エホバの証人は私の人生の恥部である

なぜ私が宗教2世であることを明かしていないのかと言えば、恥だから。バレたらバレたで仕方がないと思えるくらいにはなったが、エホバの証人は私の人生の恥部であるから。

私は14才でエホバの証人を脱会したのだが、脱会直後はエホバの証人として過ごしたそれまでの時間が大きな恥だった。弱さの象徴として、自分でそれを認めることができなかった。

信仰を強要される弱さ、自分で自分の行動を決められない弱さ、意思決定権を持たない弱さ、経済的自立力のない弱さ、精神的自立力のない弱さ。

逆に子供がそんな強さを持っているわけはないので、仕方のないことなのだが、当時の私はそんな弱い自分が嫌だった。

現在の自分や欲望を押し殺し、不条理な神におもねるエホバの証人的生き方が大嫌いだった。そうやって生きてきたそれまでの時間が私にとっては弱さの象徴であり、恥だった。

脱会直後はまだものみの塔の洗脳下にあったので、ハルマゲドンが起こるのが私の中では既定路線だった。束の間の享楽を満喫し、あっけなく死んでいくエホバの証人でない普通の生き方こそが美学だと私は考えていた。

そのためエホバの証人という出自をひた隠しにする生き方を始める。洗脳が解けた後もこの習慣が抜けず、現在に至る。

エホバの証人という汚れ

私の根っこの部分、14才までに培われた部分には汚らしいエホバの証人的思考がまとわりついている。これはもはや洗い流すこともままならず、この部分が失われれば私という人間そのものが違う個体になってしまう。

一生、汚らわしいエホバの証人だった過去と共存していかなければならない。前半生とそこに関わった人たち、かつての家族までを切り捨てないと生きていけない汚れ。

この汚れを負わされたことが許せなくて、私はエホバの証人組織を完全崩壊させることを目指している。端的に言えば、エホバの証人組織に対する大きな恨みをスカッとさせるために私はエホバの証人を壊滅させたいと願っている。

もうちょっとまともなことを言えば、同じ被害を受ける人をこれ以上増やさないために、エホバの証人組織、ものみの塔という禍根を断つべき。

人生を損ねる人々を量産するものみの塔は社会の害。ハルマゲドンなんてものが来るわけないので、この宗教で救われる人は皆無。単に有害なだけ。だったらぶっ潰すしかない。

現在の法がそれに準拠していないのなら、法を変えれは良い。エホバの証人の存在しないより良い未来のために。

エホバの証人の「ハルマゲドン」は事実無根の妄想であると、国が認めた


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