剣道のエホバの証人2世、勝利して失うモノの大きさ
エホバの証人2世の神戸高専剣道実技拒否事件で、最高裁まで争った最後の1人は、4年後に裁判に勝つ。そして留年しなかった体裁で元の学年に復学。21才の高校2年生の誕生。この鉄面皮のエホバの証人2世は、教団内で偶像視され伝説になっている。
たかだか竹刀を振るか振らないかという選択で、ここまでをこの宗教にかける必要はない。16才から21才までという、人生で最も貴重な時間を棒に振ってしまった。
頑迷なエホバの証人2世は、周囲のエホバの証人攻撃者に対して不毛な戦いを挑む。この剣道2世は、反対者との争いに勝利しているつもりなのだろう。
憲法で認められている信教の自由を盾に、自分の要求を通すことで勝ち誇っている。しかし、それは至って表面的な問題。実際には、そんな不毛な勝負に挑んでいる間に、かけがえの無い時間を失った。
後悔しても、時すでに遅し。そもそも、後悔に至るためには深い洗脳が解けなければならないのだが。
正論が通らない現実
エホバの証人2世の勝負癖、論争好きという悪癖は、エホバの証人をやめた人も留意しなければならない問題。エホバの証人2世時代には、理屈を通して自分の要求を学校の先生に認めさせてきた過去がある。
年齢が上の権威者に対して、自分の意見(教団の意見の押し売りなのだが・・・)をきっぱりと述べ、認めさせるというのは気持ちが良い。周囲の同級生から「カルト関係者」と蔑まれ、傷んだ自尊心を癒すのには最適。
この論争好きな悪習を、エホバの証人をやめてからでもやってしまいがち。どんな状況でも、自分が正論を言っているのならば、その意見が通ると思い込んでいる。頑固に理屈を通そうとする。
世界は、エホバの証人社会ほど単純ではない。正論や理屈だけで回っているわけではない。不条理なことも多い。これに気付けないと、エホバの証人をやめた後でも、エホバの証人2世だった経験のせいで、またしても生きづらさを味わうことになる。
もうエホバもいないし、教団の言いなりになる必要も無い。適当に生きれば良い。他人が間違ったことをしていても、自分に不利益でなければ放っておけば良い。
いちいち目くじら立てて挙げ連ねるのは不毛。自分が疲弊するだけ。そして、時はいつでも一方通行で過ぎ去っていく。二度と戻らない「今」を、もう二度と無駄にしないように、エホバの証人の悪癖を棄て去りたい。
“エホバの証人2世の悪癖、かくあるべきという論争癖” への1件の返信