エホバの証人の子供に対する判決、そして半ケツのとき

エホバの証人の親が豹変するとき

私は物心ついたときからエホバの証人2世として育てられた。両親ともに狂信的なエホバの証人で、私は教団の戒律を厳格に適用されて14才までを過ごす。

王国会館で開かれる週3回の集会には、14年間ほぼ欠かすことなく両親によって連行された。幼少期は野外を周る伝道奉仕活動(布教勧誘活動)に週に20時間近くも連れ回された。そして、エホバの証人の教理には禁止事項が多く、苛酷な少年時代を送った。

エホバの証人の親は、子どもを懲らしめという体罰で縛り付けている。親の言うことを聞かなかったり、教団の戒律に反したりすると、こっぴどくお尻を叩かれる。

この体罰は、素手だったり皮のベルトだったり手段は様々。私はこの懲らしめがとても怖かった。今となれば、さほど痛くないような気もするのだが、子どもの頃は本当に恐ろしかった。

普段は優しい両親が豹変し、いくら謝ろうが、泣こうが、逃げ出そうが、絶対に規定数を叩くまでは許してくれない。そして、懲らしめが終われば、いつも通りの優しい両親に戻る。子どもは混乱し、親の顔色を伺って生きるようになる。

エホバの証人の半ケツの時、懲らしめの悪影響

懲らしめで叩かれる回数は、体罰の開始前に両親によって決定される。犯した罪の重さによって、お尻を叩かれる回数が上下する。量刑が、マインドコントロール親の独断と偏見で下される。

まず、犯した罪を理解させ、反省を促すためのお説教が小一時間行われる。

無意識的に、知らず知らずに罪とされることをした場合には、体罰を受けることは無かった。親に隠れて、禁止されていることをした場合などが体罰の対象となる。

もともと意識的に禁止事項を働いている場合や、親の言うことを聞かなかったときに体罰に至るので、充分に罪悪感がある。当時の私は、神エホバの存在を信じ切っていたので、神には自分の罪が筒抜けだと思っていた。親に引っ叩かれなくとも、罪の意識には充分に苛まれている。

そのため、親の説教が効くことはなかった。私の一番の関心は、何回ぶっ叩かれるのか、それだけ。

聖書の中にも鞭打ちの回数が書かれている。旧約聖書の律法で、鞭打ちの回数が規定されているし、キリストも死の直前に鞭打ちを受けたことになっている。そういった事例に習って、エホバの証人の親は長いお説教の後で、お尻をベルトで10回叩きます、と宣告する。

「お前らは裁判官か何かなのか」と言いたくなるような傲慢さ。この判決を受けて、エホバの証人の子どもは、半ケツになってお尻をぶっ叩かれる。

叩く側の親も痛いのだ、とエホバの証人の親はいう。実際に素手で叩く場合は手が痛むし、子どもを叩く心の痛みがあるのだという。叩かれる側の子どもにとっては、そんなことは全く関係なく、ひたすらに懲らしめだけを恐れるようになる。

そして、悪事が露見しない巧みさを身に付け、両親の顔色を伺うようになる。体罰を避けるための言いわけが上達していく。エホバの証人の体罰には、悪影響しかない。

現在の日本では体罰は禁止されているのだが・・・詳しくはこちらの記事


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