エホバの証人の会衆と群れとは
エホバの証人は、地域ごとに会衆という単位に分割されている。この会衆で宗教法人登録しているケースが多く(ほとんどこのケースなのか?)、国内では、それらの会衆をものみの塔聖書冊子協会が管理・統括している。
会衆の成員は最大100名程度。信者の増減に伴い、会衆は分割や合併を繰り返す。各会衆には○○会衆と大まかな地域名があてはめられている。
会衆の下に群れという単位もある。○○の群れという、もっと小さな地域名称で呼ばれている。
群れというのはエホバの証人が自身のことを羊に例えているから。対照的な羊と山羊、羊飼いに従順で忠実な羊をエホバの証人に、ちょっと自由気ままで攻撃的な山羊を信者でない一般の人々に例えている。
会衆や群れの単位で、集会と呼ばれるエホバの証人の集まりが開催される。
私がエホバの証人の集会に参加させられていた1990年代は、平日の夜に週2回集会が開かれていた。そのうちの1回は群れ単位での開催だった。
エホバの証人の集会は、基本的には王国会館という集会所で行われる。王国会館1つに対して基本は1つの会衆だが、会衆が複数割り振られていることもある。都市部など会衆が分割された場合は、元々の王国会館を複数の会衆で共有することになる。
群れ単位での集会は、王国会館では場所がまかなえないので、信者の個人宅での集会開催となる。
私の家でも、群れの集会が開かれていた。毎週火曜の夜になると、車が何台も近所の路上に停められる。そして、葬式か何かかという尋常でない人数の信者が集まってくる。異様な光景が繰り広げられていた。
路上駐車は近所迷惑だし、周辺住民にとっては、夜遅くに集まって何をしているのか抜群の不信感。
母は、自宅で集会のある日は家の掃除など準備にかかりきり。
集会が終わっても、信者はなかなか帰らないので、小学生だった私も夜寝るのが23時をまわるのは普通、場合によっては日付をまたぐことも。
育ち盛りの小学生にとって不規則・寝不足な生活が良いはずがない。
自宅までを教団に献上するようになったらおしまい
集会に自宅を提供できるというのは、エホバの証人にとって喜びであり、特権だと考えられていた。
そのため、真面目で模範的と言われる信者の家で群れの集会が開かれる。模範的というのは、どれだけ熱心にエホバの証人活動に時間を費やしているかということ。こうして、
自宅までを毎週エホバの証人の集会場として提供するようになる頃には、家族まるごとマインドコントロール状態の完成。教団のためなら、どんな面倒くさいこと、辛いこと、金や時間のかかること、それらを提供できることが喜びになる。
これがマインドコントロールの恐ろしさ。こうなると、家族まるごとエホバの証人組織の奴隷となり、何もかもをむしり取られる。その先に待つのは一家離散、家族の崩壊。
信者の老後の面倒まで、教団側は関知しない。エホバの証人を続ける限り、待っているのは老後破産。エホバの証人たちは寄付するのをやめて、老後に備えるべき。そもそもエホバの証人をすぐにやめるべき。
自分の頭でモノゴトを考え決定できる、家族を宗教より大事にできる、本来の人生を取り戻せ。
“自宅をものみの塔に献上するエホバの証人、マインドコントロールの完成” への1件の返信