教師は宗教2世問題に対して何の役にも立たない
こども家庭庁の研究事業、「保護者による宗教の信仰等に起因する児童虐待に関する調査研究」報告書。第5章、学校調査。
小学校、中学校、それぞれ1000を超える学校からの回答。
問4、宗教虐待Q&Aの認識状況。
「内容も含めてよく理解している」と回答したのは⼩学校23.4%(324 件)、中学校が 21.9%(261 件)
「Q&A の存在は知っているが中⾝までは理解していない」の回答は、⼩学校では 66.6%(923 件)、中学校で 65.8%(785 件)
「Q&A の存在を知らない」と回答したのは⼩学校で 10.0%(138 件)、中学校で12.3%(147件)
約7~8割の学校で、宗教虐待Q&Aの理解がされていない。つまり、現状では子どもの宗教問題については、学校は役に立たない。
これは、私自身の経験からも言えることで、現在でも過去でも同じ。
学校というモノの特性上、親の宗教強制に苦しむ子どもに対して学校も教師もほとんど役に立たない。
宗教と家庭という外部からの介入が難しいところが重なりあった宗教家庭。そこに学校も教師も積極的に介入したくない。そして、介入する立場にない。介入しようがない。
私の経験からすると、学校や教師が宗教家庭の問題に対して何の責任も持たず、何の責任も取れないのなら、配慮だけしてくれればよかった。宗教2世の苦しみを理解することもできないだろうし。
「誰にでも宗教を拒否する権利はある」ということだけを教えてくれれば良い。そして、その宗教の外の世界はもっと広く多彩で、生き方次第では楽しく素晴らしいということも。
こんなことを学校の先生に求めるのは無理がある。本人がそういう生き方をしていないと教えようがないことだから。教育者というより、人間としての限界がある。
だったら、余計なことをせずに配慮だけしてくれればいいと思う。
教師が宗教2世に対してできる「配慮」とは?
問11、保護者による宗教の信仰等に起因する虐待かの判断が悩ましい事例。
学校側は宗教虐待を理解していないのだから、そりゃ悩ましいだろう。教育者として自身の不勉強を恥じるべき。
各種事例が挙げられているが、エホバの証人に最もあてはまるのが、「適切な医療を受けさせない」の「輸血拒否」と、「学校の活動やイベントへの参加制限」のほぼ全項目。
輸血拒否に関しては、エホバの証人は子どもまで殺しているので、有名な話。私も輸血拒否をさせられ、五分五分の手術に挑んだことがある。
そして、私の中でもっともエホバの証人組織を憎む理由になっているのが、「学校の活動やイベントへの参加制限」をかけられたこと。
行事への参加制限という無意味で不毛な制限は抜群の恥ずかしさ。学校側も隔離してくれれば良いのに、教師からは見学という公開処刑を命じられることが多く、あの屈辱感は忘れられない。
宗教2世は恥と共に生きている。バカげた宗教に親がハマっていること、また、バカげた宗教を強要されていること、バカげた宗教の一員とされていること、一般の人と違うこと。宗教2世は、それら宗教まつわる恥を抱えて生きている。
だから、せめてそれ以上の辱めを受けることのないように、教師は配慮すべき。宗教2世が宗教関係問題で恥をかくときは、隠密に「隔離」するという配慮をするべき。制限行事を見学させて公開処刑なんてもってのほか。
まあ、「宗教」が「恥」だと理解できない教師が多いんだけど、そんなんでよく子どもの教育をやっているなと思う。共感力ゼロじゃね?
“恥と共に生きる宗教2世に、学校の教師ができる唯一の「配慮」とは?” への2件の返信