エホバの証人をやめるという宣言
私は幼い頃からエホバの証人の2世信者として育てられた。
エホバの証人というのは自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会という宗教法人で活動している。私はその2世信者だった。2世信者というのは、親の宗教を強要される子供のこと。
私がエホバの証人をやめると宣言して、ものみの塔協会の活動一切から足を洗ったのが1994年の秋。
子供は親を喜ばせたいと願う。親は子供の全て。ただ、その親が強制するものと、自分の望む未来が相容れない状態になったときには親を捨てるしかない。
自分自身の願いのため、引き裂かれるような思いで「もう(エホバの証人の)集会に行かない」と私は両親に告げた。このときの私は14才。
結局、両親に面と向かってエホバの証人をやめると言うことは出来なかった。「(エホバの証人の)集会へ行くよ」と、両親に声を掛けられたとき、部屋から出ずベッドに顔を伏せた状態で
「もう行かないから」と言うのがやっとだった。この時点で私は、エホバの証人から完全に自由になった気になっていた。これは甘い考えだった。
エホバの証人をやめて以降、エホバの証人の誰にも会いたくなかった。また、私がエホバの証人だった過去を知る人にも会いたくなかった。これには私が20才で家を出たあと、信条の違いから家庭内別居状態にあった両親も含んでいる。
これが私が家族を失った要因の1つだった。その後、両親は信条の違いを原因として離婚、私の家族は完全に崩壊。しかしこの頃の私にはどうすることも出来なかった。家族を踏み台にしてでも私はものみの塔協会からになりたかった。
エホバの証人というキーワード
14才以降、現在に至るまで私はエホバの証人という単語に対して冷静になることが出来ない。
失った家族、エホバの証人であるがゆえに苦痛に満ちた学校生活、屈辱の日々。恨み、憎しみ、虚しさ、悲しみ、痛み、エホバの証人というキーワードは負の感情の集積。
エホバの証人というキーワードに対しては今でも冷静に対峙することは出来ていない。車をUターンさせるために入った脇道に、エホバの証人の王国会館があるだけで暗い嫌な気分になる。
このとき、私はうっかりため息か舌打ちだかをしてしまった。車に同乗していた妻がどうかしたのかと尋ねる。私はこの状況を上手く説明することが出来なかった。
あまりにも突然に、幸せな日常に不吉なものが割り込んできた。エホバの証人の王国会館というあの薄黄緑色のパステルカラーの建物は私にとっては不幸の象徴。
私がエホバの証人2世だった過去を知っている妻に対してもこんな状態。エホバの証人2世として成長した過去は、忘れ去りたい。消し去ってしまい。
しかし、こうして文章に書くことでまた掘り起こすことになった。認めたくない現実だが、やはりエホバの証人は自分のルーツの1つ。1つというか不運なことにとても重要なファクター。
強制されたとはいえ0歳から14歳まで生活の全てがエホバだった。当然のことだろう。