エホバの証人の神エホバは小物すぎるので、存在しない
エホバの証人の週日の集会テキスト2023/12/11-17。
『忠誠を保つとは完璧であるということではない』、この記事はどうでも良くて、記事内でリンクされている記事『忠誠を保ちましょう!』から。
忠誠、忠誠、メンドクサイことで。組織の犬だな。
(1)ある日,学校で先生がクラスのみんなに祝祭日の祝いに参加するようにと言います。エホバの証人である女の子は,その祝いが神に喜ばれないことを知っているので,参加できないことを先生に礼儀正しく伝えます。
宗教虐待Q&Aでは、子どもが行事参加を希望しているにもかかわらず、参加を制限するのは心理的虐待とされている。
祝祭日の祝いと、子どもが行事に参加できず恥ずかしい思いをするのと、どっちが神として喜ばしくないか?エホバの証人の神エホバの場合、前者の方が喜ばしくないらしい。
ちっせー神。子どもを苦しめてまで、自分の祝祭日の好みを通そうとしている。こんな神が全能者、創造者だっていうんだから、冗談がすぎる。
つまり、エホバの証人の神は存在しない。
エホバの証人の子どもとしては、本来行事に参加したいはずなのだが、存在すらしない神を引き合いに出されて、行事参加を制限されている。
(2)内気な男の子が家から家の伝道をしています。次に入る家にはクラスメートが住んでいます。エホバの証人のことをばかにしたことのある子です。でも,男の子は勇気を出してその家に行き,ドアをノックします。
宗教虐待Q&Aによると、ハルマゲドンなどで子どもを脅して、布教活動を強いる行為は心理的虐待に該当する。
正々堂々と、子どもを虐待するエホバの証人
(1)に対して、エホバの証人の反論、「子ども自身が行事参加を望んでいない。エホバがどう考えておられるかー」と、やり出す。
(2)に対して、エホバの証人の反論、「子どもは、布教活動を強制されているわけではない」
こういった、エホバの証人の一般的反論。聞き飽きたのだが、続く記事の部分で教団自ら、こういったエホバの証人の反論を否定している。
(1)に対して、
女の子は学校で楽しいことをしたくなかったのでしょうか。
(2)に対して、
男の子はクラスメートにからかわれたかったのでしょうか。
と問うた後で
もちろん,そうではありません。
と。女の子は楽しい行事に参加したかった。男の子はクラスメートの家に布教したくなかった。ということ。
教団自ら、子どもたち自身の意思に反して、行事制限、布教強要していることを認めている。
3人ともエホバの義の規準を知っており,エホバに喜んでいただきたいと思っていました。エホバを愛していたので,エホバを第一にした決定を下しました。忠誠を行動で示したのです。
エホバ、エホバと鬱陶しいのだけれど、そのエホバってのは、子どもを苦しめてでも自分の祝祭日の好みを通したい、自己中心的なちっせー野郎だから、そんな神は存在しない。
子どもの本心を知った上で、存在しない神をこねくり回して、あえて子どもを苦しめる方向へ誘導し、その心理的虐待を堂々と認めている。これがエホバの証人。カルトと言わずして何というのか。
私も子どもの頃、このカルトの悪の所業に散々に苦しめられた。
“無存在の神エホバをこねくり回して、正々堂々と子どもを虐待するエホバの証人” への1件の返信