苦痛に満ちた少年時代

エホバの証人2世が初めて気付く違和感

私は小学校に入る1986年に1度目の引越しをすることになる。エホバの証人の会衆は変わらず小学校が隣の校区へ変わるだけだった。エホバの証人2世の子供は幼稚園や保育園といった幼児教育を受けないので仲の良い友達との別れというようなものは無かった。

そもそもエホバの証人2世の幼児にとってはエホバの証人の世界がほぼ全てである。引越しした先で小学校に入学した私は初めてエホバの証人以外の社会に触れることになった

引っ越す前に同じアパートに住んでいた男の子が地元のお祭りに行こうと”はっぴ”を来て誘いに来てくれたことがあった。お祭りは突き詰めると八百万の神々に対する感謝の行事なので異教のものとしてエホバの証人にとっては禁止事項である。私は母親に遮られてお祭りに行くことは出来なかった。

この時に感じた違和感を小学校生活では常に味わうことになる。この違和感に気付いたときはすでに遅すぎた。両親は後戻り出来るような健全な脳の状態をしていない。完全なものみの塔協会のマインドコントロール下に置かれていた。子供の私が何を言っても始まらない。待っているのはこらしめと呼ばれる体罰である。

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生まれて最初の記憶

最初で最後のバースデー

私が生まれたのは1980年である。両親の長男として普通の家庭で育てられるはずだった。しかし両親がものみの塔協会という新興宗教に献身(完全に入信してしまうようなもの)してしまうという不運に見舞われ過酷な前半生を送ることになった。

私は生まれながらにしてエホバの証人(ものみの塔協会の信者のこと)の2世(親がエホバの証人である子供)として育てられたと思い込んでいた。しかし最近発見した私が生まれた年のアルバムにはケーキにロウソクを立てて私の1歳の誕生日を祝っている家族の姿が写っていた。

ものみの塔協会は誕生日を祝うことを禁止しているので、私が1歳のときには両親はまだエホバの証人では無かったことになる。この前後の私が物心つく前に不幸の伝道者が我が家を訪れ両親をものみの塔協会に入信させてしまったのである。

この頃住んでいたのは名古屋市に近い街で都会の田舎という雰囲気のある場所だった。名古屋の市街地までは車ですぐだが自宅の周辺には大きな川があり田畑があり公園もある。コンビニやスーパーマーケットも家からすぐの場所にあるという住みやすい郊外都市だった。

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家族の明日を考える

家族の明日を考える

週末や夕方の駅前で大きなボードを置いて『ものみの塔』や『目ざめよ!』だかの出版物を持って立っているエホバの証人を見るとゾッとする。思わず恥ずかしくなって目を背けてしまう。過去の自分を見ているかのような気がするからだ。

ああやって街頭に立ったり、家から家へと不毛に呼び鈴を押して歩いていたのがもう20年も前のことなのだが、未だにこの傷は癒えない。自分から街頭に立っているエホバの証人に話しかけて「オレ背教者なんだけど、このブログちょっと見て下さい」とやれるくらいに私も図々しいと良いのだがそうもいかない。

ちょっと前に駅前で見たのが『家族の明日を考える』というような立て看板の横で立っている年老いたエホバの証人たちだった。「お前の家族の明日を考えろ」と言ってやりたい所だが目を合わせないようにして立ち去る。どうせ息子娘たちはエホバの証人を止めて疎遠、絶縁状態になっているのだ。孫の顔も見れないのだろう。

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ものみの塔協会による逆説的洗脳状態

エホバの証人という災厄

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親ともに非常に熱心なエホバの証人でいわゆる神権家族だった。私は14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。それ以後、私の家族は家庭の崩壊、両親は離婚に至るという取り返しのつかない状態に陥った。

もはや私と両親の家族関係の修復は不可能である。これは私の家庭がエホバの証人だったからという理由以外にはない。エホバの証人の創始者であるラッセルと2代目の会長であるラザフォード、どちらも円満な夫婦関係は築けなかった。エホバの証人は家族や夫婦という最低限の人間関係を充実させる宗教ではなく害をもたらす災厄的存在であると考えるべきだ。

逆説的な洗脳状態

エホバの証人をやめた元エホバの証人2世にとってエホバの証人だった頃の記憶は苦々しいものである。学校の行事のことごとくを宗教上の理由で忌避し、給食の前の合掌のときには、ただ1人両手の指を組み合わせて密やかにエホバに祈りを捧げていたのである。こんなおぞましい過去を思い出したくもない。さらにエホバの証人だったという過去を周囲に知られるということも避けたい事態である。

私は中学生のときにエホバの証人をやめ、高校は無意識にも自宅からだいぶ離れた学校を選んだ。この高校を選んだのは制服を着なくても良かったり、高等部の上の課程まで自動的に進んでいくのだが、その辺りになると自動車で通学している学生もいたりという自由奔放さに惹かれてのことである。しかし無意識下では、もろにエホバの証人だったことを知っている中学生時代の知り合いがいない、新しい環境に進みたいという思いがあったのかも知れない。いわゆる高校デビューである。

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エホバというNGワード

恐怖心を利用したマインドコントロール

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられていた。中学校2年生のときに何とか自分の意志でエホバの証人をやめることが出来た。両親はその時でも熱心なエホバの証人だったが私がエホバの証人をやめた後でも大人になるまでは育ててくれた。しかし私が就職して家を出た後で両親は離婚することになる。当然、エホバの証人のことが関係している。これがもう15年も前の話である。

7~8年前の段階で父親は完全にものみの塔協会の教義の偽りに気付いていた。

「お母さんはまだ宗教やっているのか?」と私に聞く程にまでエホバの証人の洗脳から解放されていた。この頃だと母親は未だにものみの塔協会のマインドコントロールが抜けきっていないようだった。しかしエホバの証人との接触はやめ教理を遵法することも既にやめていた。

この時期に母親から聞いたのはエホバの証人の教理を守っていない自分がいつか突然に雷に打たれて死ぬのではないかという恐怖心である。ハルマゲドンのときに裁きの終わりの日に落雷で罰せられて死ぬということである。不思議なことに私も小さな頃からそんなイメージを持っていた。親子揃ってものみの塔協会に恐怖のイメージで縛り上げられていたのである。

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遅効性のエホバという毒

消滅するエホバの証人の人間関係

私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親はともに熱心なエホバの証人で9歳のときに田舎に家族で引っ越すことになる。私は田舎の中学校に通うことになったのだが同学年にエホバの証人2世が私を含めて3人いた。我々エホバの証人2世3人はものみの塔協会が禁止している学校の行事などには参加しないというスタンスで足並みを揃えていた。

しかし私は中学2年生のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。私がエホバの証人をやめたことで他のエホバの証人2世の2人との交流は無くなった。もともとお互いにエホバの証人2世だったという理由でつながっていただけの関係である。誰かがエホバの証人組織をやめればその関係は消滅するのである。

エホバの証人をやめることでエホバの証人組織の人間関係はほぼ全て失われる。むしろエホバの証人をやめる側の当時の私からすれば、気味の悪い新興宗教団体に属している人間との接触は避けたいのである。またエホバの証人組織の人間に関わると自分のエホバの証人2世として育てられたという暗い過去を思い出すことになる。

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エホバという猛毒

辛く悲しいエホバの証人の神権家族

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。私の家庭はいわゆる神権家族だった。神権家族というのはエホバの証人組織の中での呼びかたである。両親ともにバプテスマを受けて兄弟姉妹と言われていて、子供たちも当然のように信教の自由を保障されることなくエホバの証人2世として育てられている家庭である。

片親だけがバプテスマを受けていてその子供である2世もバプテスマを受けていても、もう片方の親が未信者である場合は神権家族には該当しない。神権家族であり父親が長老だったので私は会衆内での立場も子供ながらに優遇され一目置かれていた。しかしその当時にはそういう意識はなかった。

中学生になったときに神権家族でない同級生のエホバの証人2世が先にバプテスマを受けた。私の両親は口には出さなかったものの私にも早くバプテスマを受けてものみの塔協会に献身して欲しいという思いがあった。その同級生の親のことを羨んでいた。しかし私はこの頃には既にいかにして早くエホバの証人をやめるかということを考えていたので全くプレッシャーなどは感じなかった。しかし親の期待や希望に沿えないということが10代中盤の私にとっては辛く悲しいことだった。

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根幹がエホバという虚しさ

エホバの証人2世のレク

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親ともに熱心なエホバの証人で子供の頃から厳格なものみの塔協会の教義を適用されて育てられた。ちょっと遊びに外に出かけたいと言っても今日はエホバの証人の集会があるからダメ、一緒に遊びに行く友達がエホバの証人にとって”ふさわしくない”場合はNGとなる。

このふさわしい、ふさわしくないは親の主観である。近所で札付きのワルとかになるとエホバの証人的には絶対にNGである。エホバの証人の子供は”模範的”でなければならないと育てられるので、ものみの塔協会の規範だけでなく世間的に見てもお利口でなければならないのである。エホバの証人は自分たちの組織に属していない人々をこの世”の人々と、蔑み憐れんでいる。その”この世”の規範に外れているなんてエホバの証人的には有り得ないのである。

私はエホバの証人2世としてちょっと外へ遊びに出るにも制限のある子供時代を過ごした。半年に1回の野外集会、たまにある奉仕活動のあとのリクリエーションが公式に遊ぶことが許される機会だった。1980年代のエホバの証人は何故か遊興のことをリクリエーションだとかレクリエーションという呼び方をしていた。現在でもそうなのだろうか。起源がアメリカ合衆国にある新興宗教だからだろう。英語の出版物をよく考えずに訳しているのでこんな不自然なことになるのである。

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エホバの証人の悲しい父親

エホバの証人の野球盤

私は幼い頃からエホバの証人2世として育てられた。子供の頃に好きだった野球選手は清原和博で、小学生のときに初めて買ったCDは槇原敬之の『冬がはじまるよ』だった。中学生の頃に好きだった歌手がチャゲ&飛鳥の飛鳥涼だった。後年彼らが覚醒剤絡みで問題になったことと私のエホバの証人2世としての経歴が関係しているのかどうかは解らない。個人的に抱えている葛藤が共鳴したのかただの偶然なのか。

野球選手の清原和博に関する話はまだある。私は本当に清原が大好きで1987年の日本シリーズのことをよく覚えている。日本一まであとアウト1つという所で1塁の守備についていた清原が早まって男泣きをしたシーンが忘れられない。入団を希望していた巨人が対戦相手だったことも関係していたのだろう。思いのこもった涙だった。

当時流行っていたボードゲームの野球盤が我が家にもあった。エホバの証人の家庭聖書研究の後でちょっとだけ父親が野球盤で遊んでくれるのである。無論私は当時清原が所属していた西武ライオンズ側で父親と対戦する。

野球盤の球はピッチャーの投げる球の速度が調整出来た。スピードを全開にすると普通の人の動体視力では到底打ち返すことが出来ない。凄まじい投手戦になりほとんど全く点数が入らない。そこで我が家の野球盤は投手側のバネをひく部分に丸めたティッシュか何かを詰め込んでスピードが限界まで出ないように改造されていた。

ゲーム中に何回か決めた回数迄はそのスピード制御装置を外すことが出来ることになっていた。勝負所で高速球を放ることが出来るのだ。そんなこんなである程度のゲーム性まで高められた野球盤で父親と小学生の私は遊んでいた。

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エホバの証人とドラッグ

エホバの証人の話のすり替え

私が子供の頃に好きだったプロ野球選手が清原和博だった。これは1980年代のことである。ちなみに中学生の頃はチャゲ&飛鳥が好きだった。これが1990年代になる。初めて買ったCDは槇原敬之の『冬が始まるよ』だった。このシングルCDをヘビーローテーションで聴いていた結果、エホバの証人の長老だった父親にCDケースごとへし折られてしまった。

エホバの証人にとって”ふさわしくない”音源を繰り返し何度も聴くことは許さないということだ。父親にしてみればエホバの証人の活動をおろそかにする原因となるものを取り除いたつもりだったのだろう。不条理極まりない出来事だった。おこずかいをきっちり貯めて始めて購入したCDがたった数日で割られ捨てられたのである。

怒りに任せて子供が現状では一番大切にしているものを力任せにへし折ってゴミ箱に捨てる、これがクリスチャンの長老の行いと言えるだろうか。こう言うとエホバの証人はキリストも神殿で商いをしていた者に対して激昂したことがあったという話を持ち出す。

自分の子供に対する接し方についての話なのに、神を敬う行為のためならば怒りを前面に出すことも問題ないという話にすり替えられてしまうのである。これはエホバの証人特有の論理である。何でも自分たちに都合の良いように話を解釈するのだ。ものみの塔協会のトップである統治体は話のすり替えや意図的な局部的引用を繰り返し行う欺瞞的体質を持っている。この確信犯の悪癖がエホバの証人の末端信者にまで影響している。

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