苦痛に満ちた少年時代

エホバの証人2世が初めて気付く違和感

私は小学校に入る1986年に1度目の引越しをすることになる。エホバの証人の会衆は変わらず小学校が隣の校区へ変わるだけだった。エホバの証人2世の子供は幼稚園や保育園といった幼児教育を受けないので仲の良い友達との別れというようなものは無かった。

そもそもエホバの証人2世の幼児にとってはエホバの証人の世界がほぼ全てである。引越しした先で小学校に入学した私は初めてエホバの証人以外の社会に触れることになった

引っ越す前に同じアパートに住んでいた男の子が地元のお祭りに行こうと”はっぴ”を来て誘いに来てくれたことがあった。お祭りは突き詰めると八百万の神々に対する感謝の行事なので異教のものとしてエホバの証人にとっては禁止事項である。私は母親に遮られてお祭りに行くことは出来なかった。

この時に感じた違和感を小学校生活では常に味わうことになる。この違和感に気付いたときはすでに遅すぎた。両親は後戻り出来るような健全な脳の状態をしていない。完全なものみの塔協会のマインドコントロール下に置かれていた。子供の私が何を言っても始まらない。待っているのはこらしめと呼ばれる体罰である。





苦痛に満ちた少年時代

小学校の毎日の給食の合掌、校歌、国家の斉唱、クリスマスや節分などの行事、そういったもの全てに私は参加出来なかった。異教のものや神エホバ以外に特別に敬意を払うことをものみの塔協会は禁止しているのである。

週に3日もある王国会館の集会へ通う日にはその予習のために友達と遊ぶことは出来ない。この頃は土曜日の午前中は学校の授業があったが、土曜日の午後も伝道奉仕に連れて行かれるので友達とは遊べなかった。日曜日も午前中は集会で王国会館へ連れて行かれるし午後は伝道奉仕活動である。何の楽しみもない子供時代だった。エホバの証人だけで行われるとても健全なレクリエーションと呼ばれるものだけが唯一の楽しみだった。それも2ヶ月から3ヶ月に1回あるかないかである。

エホバの証人は間もなくこの世の事物の体制に終わりが来ると信じ切っている。洗脳されているのだ。そのため今を楽しむという発想が皆無である。貴重な若い今だけの時間、子供が幼い貴重な時、それら全てを投げ打って、来る訳がない将来の楽園での永遠の命という幻想に身を委ね人生の全てを賭けているのである。狂気の沙汰だが本人たちは至って自分たちの考え方は正常だと思っている。文句をつける人たち全てが悪魔の誘惑の手先であると洗脳されているのだ。


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