エホバの証人(JW)の子ども、懲らしめが終わるとき

エホバの証人の子ども、屈辱的な懲らしめ

エホバの証人(JW)の親は、子どもに対して体罰による恐怖政治を敷いている。この体罰は懲らしめと呼ばれ、いわゆる愛の鞭(ムチ)ということになっている。私も物心ついた頃から、この懲らしめの支配下にあった。

私の家では懲らしめはお尻を叩かれるのが100%。パンツとズボンを脱いでお尻を丸出し。完全にパンツを下げるので股間側も丸出しになる。少年期にはこの恥辱にも耐えなければならなかった。

いつ頃から懲らしめが無くなったのかは覚えていないが、中学生くらいになると、既にお尻を叩かれていなかった気がする。おそらく局部に陰毛が生えてきた頃から懲らしめが無くなったはず。

お尻を叩かれなくなった、両親の前でパンツを下ろさなくて良くなった。これは大きな喜びのはずなのだが、いつ懲らしめが止んだのか、最後の懲らしめがいつだったのか覚えていない。

当時の私はそれどころでは無かった。両親の愛情と、自分の好きなように生きたい、という願いの狭間で苦しむ日々。そして、エホバの証人であるがゆえに変人扱いされる周囲の視線が何より苦痛だった。

エホバの証人の子どもとして被害を受けないよう、日常を取り繕って生きるので精一杯だった。

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

エホバの証人の懲らしめを終わらせる

懲らしめでお尻を叩かれたとき、私は必ず泣いていた気がする。泣かずに耐えたらどうなっていたのだろうか?もっと叩かれたのだろうか?叩かれる前にベルトで10発の刑などと決められるので、泣き出さなかったとしても打撃数が加算されることはなかった気もする。

親による懲らしめが終わるときが、子どもにとってエホバの証人をやめるきっかけになる。暴力で強制されないなら、エホバの証人を続ける理由がない。まずは、懲らしめで泣くのを何が何でも耐えてみる。平気な顔をする。

体の痛みなど、エホバの証人の子どもであるために受けてきた心の痛みに比べればたいしたことがない。懲らしめで泣き出さずに、エホバの証人の親を無言で威嚇する。

私も最後の方はこうしていた気がする。すると、親も不気味になる。懲らしめが止むかも知れない。

いずれにしろ、体の成長を待つしかないのだが。

私の家では懲らしめが止んだあとは、父親による暴力まがいの制裁が加えられることがあった。当たれば絶対にケガをするモノを投げつけられたり、持っていたCDを割られたり。

これは単純な暴力でなく、一応は私がエホバの証人の戒律に反しているという理由があってのこと。

キリストも自称正当な怒りを根拠に、神殿で大暴れしたことがある。子どもの信仰を守る(強制する)ためなら、多少の暴力的な行動も仕方が無いというのがエホバの証人の親の見解。とはいえ、

現代日本で信仰の強制は暴力の正当な理由にはなり得ない。どんな理由があるにしろ、暴力は許されない。エホバの証人の親の暴力が止まなければ、出るところに出れば良い。児童相談所でも警察にでも相談すべき。

エホバの証人の親は、子どもへの愛情ゆえに過激な行動に走っているのだが、この愛情は歪んでいて害でしかない。正常な親子関係に戻すためにも、早めに親に懲らしめをやめさせて、目を覚まさせる。

懲らしめや暴力を明るみに出せば、子どもはエホバの証人をやめやすくなるし、親も何のために暴力を振るってしまったのか考えるきっかけになる。エホバの証人の暴力に気付いた人は直ちに通報を。

児童相談所は「189」。匿名通報も可能。


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