エホバの証人の条件付き愛情

笑わないエホバの証人2世の子供

私がエホバの証人2世だった頃の古いアルバムを見てみると子供の自分の目が虚ろであることに気付く。写真の中の私は全く笑っていない。居並んだ人々の中で一番端に立ってぼんやりと虚空を眺めているのである。エホバの証人2世だった頃は生きている世界に現実味が無かった。

いつかエホバの証人をやめたいとそればかり考えていて、エホバの証人である自分を認めることが出来なかった今の自分は偽物だと感じていた。そうやって私は14歳までを成長した。目に見える景色は灰色だった。エホバの証人をやめたいと感じ始めた10歳あたりから14歳でエホバの証人をやめるまで楽しいことなど何も無かった。

エホバの証人だった頃の楽しい思い出が何も無いという訳でもない。私は9歳のときに両親と一緒に引越しをしているのだが、そのときに開かれた私の家族の送別会の記憶は残っている。この送別会は引っ越す前に”交わっていた”エホバの証人の会衆の信者たちで開かれたものである。

この頃私の家族が住んでいたのは大都市近郊の郊外都市で、今から引っ越す先に比べるとだんぜんに都会だった。エホバの証人の会衆の規模も大きく私の家族の送別会は大きな公民館のようなところを借りて行われたのである。

エホバの証人だった頃の楽しい記憶

この頃私の家族が”交わっていた”会衆では引っ越す人が立て続けにいたような気がする。ちょうど3月だったというのもあるし、転勤族が多く住んでいたような土地柄でもあったからだろう。この会衆のエホバの証人たちは同じ会衆の信者が引っ越す度に送別会を開いていた。

送別会と言っても酒を飲むような宴会ではなく、ちょっとしたお菓子とジュースが並べられるレベルである。送別会の前後に祈りや賛美の歌があったかは覚えていない。そんなに面倒な記憶もなく楽しい思い出しかないので、もしかするとさっと集まって開始して終わったらさようならという感じだったかも知れない。しかしそれだと締まりがないので、やはり面倒くさいことに祈りや賛美歌で送別会の前後を飾っていたような気もする。

それでもこの手の送別会は珍しく楽しいエホバの証人の記憶である。集会のように長々とした講演がある訳でもないしものみの塔誌の質疑応答がある訳でもない。エホバの証人2世の子供たちを中心とした聖書劇の用意するのは楽しかった。劇中で使うお面を被って喜んでいた記憶がある。

 

偽の記憶

立て続けに開かれていたこの会衆での送別会だが、私の家族の送別会が最後に開かれた。まあ引っ越してしまった後で他の人の送別会が開かれていても知りようがないのだが。私の家族の送別会はそれまでに開かれていた誰の送別会よりも盛大に開かれ、びっくりするような出し物や心温かい思いやりで彩られていた。何となくくすぐったく感じたのを覚えている。

私は学校の友達と離れたくないから引っ越したくないと言っていたのだが、このエホバの証人の会衆には自分と同じような境遇のエホバの証人2世の子供たちがたくさんいた。私は物心ついた頃から王国会館に連れていかれていたので幼なじみのような子供もいた。お互いにこらしめという受難に至るのを目撃しあった戦友だったり、大人のいないところでケンカをしたりという友人関係だった。このエホバの証人2世たちが私に対して温かい言葉をかけてくれたり、それぞれの特技を披露してくれたりしたのである。何とも心温まる楽しいエホバの証人の記憶である。

しかしこのエホバの証人にまつわる楽しい記憶は全部偽物なのだ。彼らが私の家族を暖かく送り出してくれたのは我々がエホバの証人だったからである。エホバの証人から受けられる温かな愛情は、相手がエホバの証人ならばという条件付きのものなのだ。相手が背教したら排斥処分にして激しく疎外させるのである。

私の家族の送別会が盛大に開かれたのは私の両親が長い間熱心にエホバの証人として活動していたからである。”模範的な”エホバの証人だったために会衆の信者たちは温かくもてなしてくれたのである。こんな限定的な人間関係には何の意味もない


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