全ての人間関係を失うことになるエホバの証人

エホバの証人の排斥とは

私の父親は衝動的な自殺未遂とも言える夜釣りを経て、エホバの証人組織に残った最後の友人とも何となく気まずい関係になってしまった。そもそもその最後の友人である未信者の人の奥さんは強烈に熱心なエホバの証人信者なのである。既に喫煙を再開している私の父親は過去には長老だったとは言え、その信者にしてみれば既に避けるべき人間なのである。未信者の旦那さんでも排斥になりかねない人と交友を重ねることは勧められたことでもないだろう。こうして私の父親は全ての人間関係を失うことになった。

ものみの塔協会の組織の中で大人しくしている間はお互いにエホバの証人たちは兄弟姉妹と呼び合って水魚の交わりを結ぶ。男性の信者はお互いに握手をするくらいだ。しかし一旦組織を排斥処分になったり自ら断絶したりした人に対しては街で会っても挨拶すら禁止という掟がある。

排斥処分というエホバの証人的村八分になると王国会館に行っても一切歓迎されない。集会のプログラムを聞くことは許されているが、端の席で誰とも目を合わさないようにしていなければならない。集会が始まる直後にこっそりと入っていって終わる寸前にひっそりと帰宅するのである。排斥者は一定期間の村八分状態に耐えると組織に戻ることを許可される。

そこまでしてエホバの証人の王国会館に通わなければならない理由が私には一切分からない。洗脳の影響なのかこの組織内にしか唯一の人間関係を持っていないからなのか。とにかく初めて王国会館に行ったときの抱きしめられるような熱烈な歓迎の精神は排斥者には示されないのである。

人間関係の妨げとなるエホバの証人だったという過去

父親は今までずっと親戚や会社の同僚に対してエホバの証人として接してきた。今さらエホバの証人でないノーマルな人間として関係を修復するというのは難しいというジレンマがある。中学生だった私にはそれは出来ず、いわゆる高校デビューとなった。私がエホバの証人を辞めたのは中学2年生の秋だが、中学校以前の友人というのは今では1人もいない。今でも交友があるのは高校入学以降の友人である。

自らがエホバの証人だったという過去を必要以上にさらけ出す必要も無いが、それを隠したり自分の過去を知られている人を執拗に避けたりする必要はない。しかし本人にとっては大問題である。ものみの塔協会に過去を奪われた人々にとっては自らの過去が何よりも嫌いなのなのだ。

自分がエホバの証人だったという過去を許すことが出来ない、認めることが出来ない、忘れてしまいたい、むしろ隠したい、触れられたくない。エホバの証人だった過去は人生の汚点であり恥部である。そんな理由で、エホバの証人をやめる前とやめた後で人間関係を自分で区分けしてしまうのである。既に40代後半になっていた父親にとって、その年齢から新しい人間関係を築くというのは難しかったのである。

それでも全てのエホバの証人は王国会館を去らなければならない。誰ひとりとして友人がいなくても真実の人生ならば生きる価値はある。王国会館の中の人間関係は所詮はあなたがエホバの証人ならという限定的な偽善のものである。


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