エホバの証人の化けの皮
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。
エホバの証人の親が輸血拒否したために児童が亡くなった川崎事件。第八章 医師。著者が治療に関係した医師5名に取材した内容。
医師たちに共通するのは当然救いたかったという思い。法の規制、医療のあり方、信仰の尊重、そういったものがごちゃごちゃになっている間に大病院で一人の子供の命が失われた。
諸悪の根源は、目立ちたいから命がけで輸血拒否するように信者を扇動しているものみの塔協会。無根拠な輸血拒否教義のためにエホバの証人たちは不毛に死んでいる。
こんなカルトへの信仰が尊重される必要などないのだが、一般論ではそうもいかず、結果、無垢の子供の命が永遠に奪われる結果となった。
本来雑多である宗教を、定義というかたちに押し込め、ブラックボックスの中に放り込んでしまったのではないだろうか。一歩踏み込んで、個々の宗教の内実を見る努力を、放棄してしまったのではないか。極端に言えば、彼の立場を徹底すると、宗教というカラを被っていれば、何をやってもいい
著者は一人の医師の深層心理をこのように指摘している。
宗教というカラを被っているカルトのエホバの証人。化けの皮を剥がせば、組織のためなら子供に死をも強制する殺人集団。子供や信者の自由意志を奪い食い物にする収奪の仕組み。
とはいえ、医師にここまでを求めるのは酷。出血多量で運ばれてきた死にかけの子供。後で来た親は「何が何でも輸血はできません~」と言っている意味不明人。時間との戦いの中、その宗教の内実を見極めるなんてことはできない。
表面的に見れば、「子供を殺してください~」と言っているも同じ。明らかにイカレているカルト集団。だからと言って、医師に何ができるというのか。法整備前のこの段階では宗教というカラを破ることは出来なかった。
エホバの証人に対して愛を示す方法
“エホバの証人に対して愛を示す方法は、彼らを狂人として扱うこと” の続きを読む