エホバの証人(JW)の父親の悲劇、人生のムダ遣いと罪

エホバの証人がムダにする人生のすべて

私の父は、ものみの塔協会に20代から40代までの人生をすべて捧げてしまった。ものみの塔に献身し何もかもを失った。エホバの証人として活動し全てを失くした。

私の一家は離散し、父の職歴はスキルの必要とされない業種の転職だらけ。財産も残していない。何より一番大きな損失は、若さとそこから来るエネルギー全てをものみの塔に吸い上げられてしまったこと。

貴重な時間と多大な労力をものみの塔のために浪費してしまった。

私の家庭では、ものみの塔のために多大な経済的浪費を行っていた。通算になると恐ろしい金額の寄付をしていた。毎月幾らと決めた金額をエホバの証人の王国会館の寄付箱に入れていた。何たる浪費だろうか。

エホバの証人は金銭に執着しないように、守銭奴にならないようにと教えられ、惜しげもなく自らの財産のほとんどをものみの塔に捧げてしまう。

エホバの証人は、ものみの塔が発行する宗教本を一冊たりとも漏らさず手に入れる。そして、その発行に見合う分の寄付金を暗に要求されている。

ものみの塔はフルタイムの仕事に就くことを勧めていない。この世の終わりが近いので世俗の仕事に集中するなと。世俗の企業は全て滅ぼされる、その終わりの日のことを”ふれ告げ”て、信者を勧誘する活動に自分の時間の全てを費やすことを要求される。

人生の浪費、必要の大きな所のエホバの証人2世(JW2世)

エホバの証人として生きた罪

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エホバの証人(JW)の犯す、ものみの塔崇拝という罪

JWの組織・偶像崇拝

エホバの証人になるという間違った人生の選択

エホバの証人になるというのは、完全に間違った人生の選択。その邪道に人を引きずり込むなどもってのほか。

なぜならば、人は生まれてから死ぬまでの限られた時間を、自分で決めたことのために使わなければならないから。

この単純な自由が叶わない人々が、人類の歴史の中には多く存在した。我々は幸運にも、自分の生き方を自分で選択することが可能な時代に生まれている。

その貴重な権利を放棄してはいけない。ものみの塔の言いなりになるという人生の無駄遣いをしてはいけない。

ものみの塔に献身するというのが、自分で選んだ生き方だという反論があるかも知れない。本人の自由だと。しかし、エホバの証人として生きるということは、他人をその道に導く活動をしなければならない。それがエホバの証人でしょ。

人々を誤った道に引きずり込むということは、どう考えても人の道に外れた行為。

エホバの証人は、誰もが真理を求め、敬虔な宗教心を抱いて王国会館に通い始めた。そこまで高尚でなくとも、何らかの救いや人との健全なつながりを王国会館に求めた。

それがいつの間にかものみの塔のマインドコントロール下に置かれる。そうなると、自分でものごとの良し悪しを考えることが出来ない思考停止状態に陥り、ものみの塔という偶像を崇拝し始める。そして、同じく誤った道に人々を迷い込ませる。

エホバの証人が偽教・カルトであると言えるのはなぜか

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エホバの証人のやめ方~段階的撤退と今すぐやめる場合の注意点

エホバの証人のやめ方

エホバの証人の人間関係を残したままやめたい人は・・・

私は中学2年生の時にサッカーに熱中し、サッカーを第一とするためにエホバの証人をやめた。ものみの塔にがんじがらめに縛られて永遠に生きるより、はかないゆえに貴重な一瞬を、自分で決めたことのために使いたいと思った。

自身の目的のために、エホバの証人会衆内の人々を自分の人生から切り捨てることについて何のためらいもなかった。王国会館に通い続ける真面目なだけの面白くもない連中などどうでも良かった。

さらに、友人と言えるような関係にある同年代のエホバの証人2世も私にはいなかった。

私は小学校4年生になる時に引っ越しをしている。引っ越す前の土地には幼なじみと言えるようなエホバの証人2世の友人が何人かはいた。しかし、私がエホバの証人をやめる中学2年生の段階では、その友人たちとほとんど音信不通。

その友人たちのうち、何人かは私より先にエホバの証人活動に対して”不活発”になっていたらしく。まさに戦友。とはいえ、当時中学2年生の私には、失うのが惜しいエホバの証人の人間関係は皆無。

エホバの証人組織内に、貴重とか、唯一、と感じる友人が残っていると、きっぱりさっぱりとエホバの証人を脱会しにくくなる。なので、

とりあえずは”この世”の異性の交際相手や友人関係を構築し、心の余裕と自身の最優先事項をエホバの証人外におく。その後で布教活動などはやめて、集会への参加頻度を徐々に減らしていくという段階的撤退が一般的。

それでも年に1度のものみの塔の大イベントである”主の記念式”には出席して、旧友との再開を懐かしむというパターンがエホバの証人2世にはありがち。

段階的にエホバの証人をやめず、急進的に教団を去ろうとすると、エホバの証人会衆内の友人関係は失う覚悟が必要。私のように綺麗さっぱりリセットするのも良いのだが、人間関係はそんなドライなものではない。

エホバの証人を一緒にやめようと信者の友人たちを誘うことは、背教行為とみなされ排斥処分になる。教団からの排斥処分になれば、信者として残った友人たちはあなたを徹底的に避けなければならなくなる。組織に残る友人たちとの関係を継続させたいと思うのなら、慎重な行動が必要。

エホバの証人2世がエホバから完全に自由になることの困難さ

遅すぎることなどないものみの塔というカルト宗教からの脱退

今すぐエホバの証人をやめたい人の2つの注意点

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エホバの証人(JW)が堕ちるダークサイド、排他性とマインドコントロール

JWが堕ちるダークサイド

エホバの証人の理屈無しの体罰

私の家はエホバの証人で、子供の私も生まれながらにエホバの証人というカルト宗教を強制された。わが家は両親ともに信者、子供も漏れなくであることを強制される。エホバの証人が言うところの通称「神権家族」だった。

エホバの証人の親が子供に対して行なう体罰、「懲らしめ」と呼ばれている。なぜ懲らしめられるのか、しこたまお尻を叩かれなければならない理由を言い聞かされ、子供も表面上は納得の上で刑が執行される。

しかし、懲らしめの理由はエホバの証人の教理ありき。教団の厳しい戒律には、子供の理屈や筋の通った批判は一切通らない。

チャンバラごっこや剣を振るうテレビ番組、魔法が出てくる映画はダメ。そういう親に対して、

「古代イスラエル人は武装して闘っていたし、ペテロだって帯剣していた」と、反論しても議論の相手はして貰えない。

「昔と今は違う」で押し切られる・・・

「じゃあ昔の禁止事項を今に適用するのはおかしいよね?輸血とか」と対抗すると、そのうちに体罰強制執行でねじ伏せられる。

「イエスの奇跡と魔法はどこが違うの?」そんなものを一緒にするなんてと体罰の刑。

エホバの証人の他の家ならOKなことも、わが家ではNG。

「よそはよそ、うちはうち」で押し切られる。子供の私が折れない場合は、懲らしめが発動し強制的に服従させられる。

信者の親は、無感覚にエホバの証人の教理を信じ続け、戒律に反した子供に何の迷いもなく懲らしめという体罰が行使されるそこに理性や理論は皆無。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

エホバの証人のマインドコントロール手法

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エホバの証人(JW)の王国会館の狂気、マインドコントロール集会

JWのマインドコントロール集会

エホバの証人の集会は危険なマインドコントロールの始まり

エホバの証人の集まりは集会と呼ばれる。信者たちは王国会館と呼ばれる集会所に集まり、集会に参加する。集会では公開講演と呼ばれる単独の講演や、機関紙「ものみの塔」の討議などが行われる。

エホバの証人の信者は集会の間、熱心にノートをとる。決まりでもないのだが、皆が必死に大学ノートに公開講演の内容などを書き取っている。こうなると同調圧力が働き、ノートいっぱい書き取った信者が立派という雰囲気に。

何となく王国会館に来たという人も時間が経つと同じように変化していく。女性信者に集会に連れて来られた非信者家族も、初めのうちは居眠りしたり暇そうな顔をしたりしている。

しかし、熱心にノートを取っている子供の2世信者を見て、次第に変化していってしまう。子供までもが壇上からされる小難しい話を熱心に聞いている。大人である自分がふざけている訳にはいかないと、どうしても思い込んでしまう。

エホバの証人とは、こんなにお利口に子供を育てることができる宗教なのかと勘違いしたときにはアウト。本質を見失っている。実際は、大人しく座っていないと懲らしめ部屋でゴムホースで思いっきりお尻を叩かれるから、それが嫌で子供たちは大人しくしているだけ。このように、

エホバの証人の子供たちは新たな信者を獲得するためのネタにされている。これがエホバの証人のマインドコントロールの第一歩。

強烈なマインドコントロール効果をもつエホバの証人の公開講演

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エホバの証人の王国会館での熱烈な歓迎はカルトの証し

JWの王国会館

エホバの証人の王国会館で行われるマインドコントロール

エホバの証人の王国会館では集会と呼ばれる信者の集まりが開かれる。集会では、講演や教団の宗教本を利用した質疑応答、信者による実演などが行われる。

公開講演と呼ばれる講演は○○兄弟と呼ばれる男性の※献身した信者のみが行い、女性の信者が行うことはない。エホバの証人社会は完全な男尊女卑の古くさい思考の組織。

※献身とはバプテスマとも呼ばれ、キリスト教的には洗礼・浸礼のこと。エホバの証人の献身は、ものみの塔協会という組織に自身の全てを捧げますよという誓いを立てることを意味する。本人たちはエホバという神に誓っているつもりなのだが・・・。

公開講演には派手な身振りや言葉の抑揚が付属していて、あいまあいまに座っている信者が拍手をする。今となってみると、尋常ではない光景。王国会館の空気に酔いしれて、閉塞した一体感のもとでマインドコントロールが進行していく

エホバの証人養成のための神権宣教学校

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ものみの塔のクリスマス禁止の無根拠を論破する、馬小屋は寒いのか?

JWはクリスマスも禁止

他の宗教の行事すべてを禁止するものみの塔協会

日本の小学校ではクリスマスから節分まで、あらゆるイベントが行われる。最近ではハロウィンも定着しつつある。

穿った見方をすると、消費活動を促すための販売戦略が公共の教育機関にまで伝染しているだけ。好意的な視点で捉えると、仏教の伝来を認めた日本人の異文化への寛容さの証しであるとも。単純に言えば、子供たちの楽しみ。

しかし、ものみの塔教会は他の宗教を認めておらず、冗談のようなイベントでもエホバの証人の子供は参加することが許されない。エホバの証人の子供は、ほんのちょっとでも他の宗教色のイベントは禁止。

エホバの証人の子供たちは、そういった季節毎の行事が行われる度に、先生にその行事に参加出来ない理由を説明しなければならない。そして、行事を見学するという屈辱的な時間を送る。

同級生が行事に参加したり、楽しみにしているのは羨ましい。しかし、それ以上に嫌だったことがある。行事に参加しない理由を同級生に聞かれたり、見学している途中で話しかけられたり、奇異の視線を浴びるのが私にとって何より屈辱的だった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人の子どもの日常は生き地獄

エホバの証人の子供がクリスマスを禁止されている理由

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天には絶対に届かず怨念と化す、エホバの証人(JW)の祈り

エホバの証人の祈りは怨念と化す

不毛なエホバの証人(JW)の祈り

エホバの証人(JW)が自宅で祈りを捧げる場合、父親などの代表者が声に出して行う。タイミングは食事の前や、聖書研究と呼ばれるものみの塔の宗教本の勉強の前後など。

信者の個人宅で開かれる集会の際には賛美歌の合唱は行われないが、この祈りだけはしっかり捧げられる。日本家屋で正座した集団が、祈りの最後に声を合わせて「アーメン」。

冗談も大概にして欲しいのだが、本人たちは至って大真面目。

このとてつもなく長い祈りの間、聞いている側は目を閉じて、合わせた両手の指を組み合わせたポーズで神妙な顔つきをしていなければならない。不毛。

エホバの証人が盲信する神エホバなど存在しないので、虚空に向かって無意味な言葉の羅列を投げかけているだけ。その虚しさは、エホバの証人の空虚な人生そのもの。

偽神「エホバ」と偽りの塔「ものみの塔」

原始的な洗脳手法、エホバの証人の賛美の歌と祈り

無意味なエホバへの祈りは怨念と化す

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原始的なマインドコントロール手法、エホバの証人の賛美の歌と祈り

JWの祈りによるマインドコントロール

エホバの証人の賛美の歌とは

エホバの証人の宗教活動の特徴3つ。

  1. 信者が家から家に布教で歩き回る。テレビなどでコントに使われているアレ。
  2. 週に2~3回、集会と称して信者が集まる。
  3. 特殊信条を絶対厳守。輸血拒否だとか、各種他の宗教行事や選挙の拒否。

集会の開催は私が連行されていた頃は、週3だったのが週2へと減少。
※2022年現在、コロナ禍のため集会活動はZoom、布教活動はLINEや手紙などでも行われるようになっている。
※2023年追記、家から家の布教も停滞気味?少なくとも我が家には、ここ5年は来ていない。今ならウエルカムなんだが・・・エホバの証人は余計な時にしかこない。きっとやっと、来たと思ったら、忙しいときで、相手できないんだろうな・・・。

そのうちに、カルト臭を拭おうとして、特殊信条を取っ払って、輸血OKとか言い出しそうなのだが。終末思想で信者の恐怖心を煽っている限り、この教団は信者の自由を奪うカルトなので、要警戒。
※2023年追記、案の定、輸血は信者個人の自由だとか言い出し始めた。輸血したら自動的にエホバの証人を自ら断絶したことになるだけで、教団側から排斥したりはしないという理屈らしい。
とはいえ、終末思想で恐怖心を仕込んで、輸血したら自ら滅びの道を選ぶことだと脅している。それを信者の自由だと言うのは、やり口が汚すぎる。

私は、30年近く前になるが、エホバの証人であることを親に強制されていた。そして、未だにその傷を引きずっている。そして今、エホバの証人の集会に連行されていた頃の記憶を掘り起こし、このカルトの危険について警鐘を鳴らしている。

今回は、エホバの証人の集会で歌われる賛美歌と祈りについて。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

エホバの証人には、「エホバの証人の王国会館」という専用の集会所がある。その王国会館で集会が行われるときには、盛大に「賛美の歌」と呼ばれる賛美歌が歌われる。個人の家で集会が開催される場合は、さすがに賛美歌は歌わない。

賛美歌はたしか100曲ほどもあって、独自の賛美歌の本まで出版されている。賛美歌の伴奏のカセットテープなども製作されており、それらを含めた宗教本にまつわる寄付金はエホバの証人の収入源となっている。

現在ではCD、さらにはデータ化されているのかも知れない。集会の始まりにはそのカセットテープを流す係の人がいて、賛美歌を全員で合唱する。

マインドコントロールを深める長い祈りの時間

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自宅をものみの塔に献上するエホバの証人、マインドコントロールの完成

自宅を献上するJW

エホバの証人の会衆と群れとは

エホバの証人は、地域ごとに会衆という単位に分割されている。この会衆で宗教法人登録しているケースが多く(ほとんどこのケースなのか?)、国内では、それらの会衆をものみの塔聖書冊子協会が管理・統括している。

会衆の成員は最大100名程度。信者の増減に伴い、会衆は分割や合併を繰り返す。各会衆には○○会衆と大まかな地域名があてはめられている。

会衆の下に群れという単位もある。○○の群れという、もっと小さな地域名称で呼ばれている。

群れというのはエホバの証人が自身のことを羊に例えているから。対照的な羊と山羊、羊飼いに従順で忠実な羊をエホバの証人に、ちょっと自由気ままで攻撃的な山羊を信者でない一般の人々に例えている。

会衆や群れの単位で、集会と呼ばれるエホバの証人の集まりが開催される。

私がエホバの証人の集会に参加させられていた1990年代は、平日の夜に週2回集会が開かれていた。そのうちの1回は群れ単位での開催だった。

エホバの証人の集会は、基本的には王国会館という集会所で行われる。王国会館1つに対して基本は1つの会衆だが、会衆が複数割り振られていることもある。都市部など会衆が分割された場合は、元々の王国会館を複数の会衆で共有することになる。

群れ単位での集会は、王国会館では場所がまかなえないので、信者の個人宅での集会開催となる。

私の家でも、群れの集会が開かれていた。毎週火曜の夜になると、車が何台も近所の路上に停められる。そして、葬式か何かかという尋常でない人数の信者が集まってくる。異様な光景が繰り広げられていた。

路上駐車は近所迷惑だし、周辺住民にとっては、夜遅くに集まって何をしているのか抜群の不信感。

母は、自宅で集会のある日は家の掃除など準備にかかりきり。

集会が終わっても、信者はなかなか帰らないので、小学生だった私も夜寝るのが23時をまわるのは普通、場合によっては日付をまたぐことも。

育ち盛りの小学生にとって不規則・寝不足な生活が良いはずがない。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

自宅までを教団に献上するようになったらおしまい

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