エホバの証人2世のバランスが崩れるとき、壊れるとき

いかにしてエホバの証人と縁を切ったか

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

お題「みんなはどうやって、教会と距離を置きましたか?」

勝手に対談に加わっているつもりで回答する。

私は、ほぼ生まれながらにして親にエホバの証人であることを強要された。エホバの証人を辞めたのが14才のとき。「(エホバの証人の)集会にもう行かない」と親に対して宣言。それ以降、99%エホバの証人活動をしていない。

小学校高学年の頃から悩み続けて、やっと辞めることができた。

14才になり、親と殴り合いになっても刺し違えるくらいまで身体も大きくなった。宗教の強要に対して肉体的には断固闘える状態。あとは親を裏切るという罪悪感さえ抑え切れば良かった。

親を裏切ること、もっか洗脳下だったので神を裏切り神に殺される覚悟を決めること。この辺りが悩みだった。そして、圧倒的制限をかけてくるエホバの証人に屈し続けることで、自由を求める本来の自分を抑え込む必要があった。

この抑え込みが限界に達し、むしろここを抑え込むくらいなら、親も捨てるし神にも逆らってやると決めたときに、エホバの証人と完全に縁を切ると決めた。

誰にも分って貰えない、カルト宗教2世だからこそ・・・

カルト宗教2世信者の経由地と現在地、十人十色の問題

エホバの証人との縁切り、何とか間に合った

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東洋経済ONLINEに「エホバの証人」が名指しで掲載

存在意義の無い宗教、エホバの証人

東洋経済ONLINEより。昨日の記事『脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実』前編。統一教会の話に続いてカルト宗教「エホバの証人」が名指しされている。エホバの証人よ、刮目して読め。じゃなかった。ここは「目ざめよ!!」か。

前編を読んだのだが、元エホバの証人としては普通の話。あるあるな悲劇。だが、一般人の感覚で読むと「異常」そのもの。

取材されている久美子さんという女性はエホバの証人2世の排斥者。排斥とはエホバの証人の戒律を破ったことによる破門。残存信者からは村八分にされる。

「長老」と呼ばれる世話人役が、母親に対し、久美子さんとの交流を慎むよう告げたことで、母親は久美子さんの帰省をも拒むようになる。現在に至るまで会うことが叶わず、連絡もできない。親族の集まりがある時は、久美子さんだけ招かれなくなった

娘よりも、エホバの証人の「長老」の言いなりになる母。異常すぎる。「実の娘と交流するな」なんてことを言うシチュエーションってあり得ない。親子の縁を切らせる宗教なんて存在意義がない。

そもそもエホバの証人の決まりである排斥などに従う必要がない。好き勝手に実家に帰ればいいのだが、それでもマインドコントロール下の母親には忌避されると。辛すぎる。

しょうもないエホバの証人の排斥という取り決めに従う必要はない。現実はあまり変わらないが、こう考えるだけでも、少し気は楽になりはしないか。エホバの証人の戒律に縛られる必要なんかない。

排斥処分から見るものみの塔、構造的に悔い改め不可能

エホバの証人の行動は何一つ評価すべきではない

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カルト宗教2世信者の経由地と現在地、十人十色の問題

「親棄て」という荒療治

昨日の記事で、カルト宗教2世が抱える共通的な地盤に

  • 親を裏切る感覚
  • 親に対する情
  • 罪の感覚

があると書いた。根っこは似ていても、その後のルートが異なるため、カルト宗教2世の経由地、現在地が大きく異なる。その都度、その都度の選択が異なった結果、たどる道と現在地が異なる。

どれが正解というものでもなく、全ては本人が決めたこと。もしくは決めなかったこと。

例えば、親を裏切るという感覚を容赦しきれずにいる人。この人は未だにカルト宗教信者のままでいるかも知れない。

私は親を裏切るという思いに苦しみながらも親を捨てる決断をした。親に対する情を捨てようとした。これが出来ない人は、親ゆえに仮面カルト宗教信者であることを余儀なくされ、現在進行形で苦しみ続けている。

親であっても別の人間、他人。であれば、行動や思想に制限をかけてくる親は捨てても構わないと私は思う。

カルト親に粘り強く接して変心に誘導するという姿勢も賞賛されるべきなのだろうが、我が家の場合は「親棄て」が一種のカルト治療となった。

私は親を捨てるつもりで、エホバの証人をやめた。すると、親の方が「捨ててないでー」と妥協する形になり、両親もエホバの証人をやめた。

こう上手くいかなくとも、親を捨てる決断をしているので、親が歩み寄らなければ、そのまま親を切れば良いと思う。親の人生でなく自分の人生なのだから。ここまで、情を捨てきれない人はまた違った現在地にいるのだろう。

カルト宗教2世問題は、十人十色なので

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誰にも分って貰えない、カルト宗教2世だからこそ・・・

誰にも分って貰えない、カルト宗教2世問題だけど・・・

AmazonのKindle『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

「宗教に対して1番許せない事は?」の質問。対談形式なので話が逸れていく。宗教2世の悩みについて

宗教と縁のない普通の家庭で育った人には一生理解できない、分からない悩み

との発言。確かに、家庭に宗教問題なんか抱えてない人の方が圧倒的に多くて、宗教マイノリティの理解は困難。一定の理解を示す人がいても、圧倒的共感や完全な理解など得られるはずもない。

ところが、それは誰だって同じ。自分たち宗教2世だって、全く別な問題を抱える人のことなど理解できるはずがない。人は実体験したこと以外は想像するしかないから。

誰だって悲しいことや辛いこと、人に言えないことの一つや二つあると、「想像」してみる。すると、自分のエホバの証人2世という恥さらしな出自だって、もしかすると自分だけが抱えた辛さではないと思えてくる。

誰にも分かって貰えなくても、違う問題で同じ不理解に苦しむ人がいると考えれば、辛いのは自分だけじゃないと前向きになれる。そして、宗教2世という問題を抱えた人たちは、自分が抱える問題ゆえに他人に優しくなれる。他人に対する不理解ゆえに攻撃したり、苦しめたりしないように、自分の境遇から学ぶことができる。

もちろん、宗教2世どうしであれば、抱える問題に対する共感度や理解度は上がる。ところが、抱える問題にも強弱あり、回復度も人さまざま。理解して貰える量を過剰に見積もると、失望することにもなりかねない。

人は自分のことですら、よく理解していない。ましてや他人のことなど理解できるはずがないのだ。

エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

宗教2世被害者の現在地、経由地

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信教の自由を停止すべきカルト宗教の選別方法とは?

カルト宗教に信教の自由が必要ない理由

Amazonのkindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

対談の中で

信者の信仰の自由も尊重したい

という意見が出ている。元二世信者の被害者から出た意見だが、私はこの意見には反対。

現在の西側諸国の仕組みが、たまたま信仰にまで自由が認められているというだけ。その過剰な自由の行き過ぎで、私のようなカルト宗教二世信者の人生が汚染されている。

宗教なんてあっても無くてもどうでも良いモノに無理矢理自由を与える必要などない。新宗教の一切を禁止してもいいくらい。ここまで過激でなくともカルト宗教の類に自由は必要ないというのが私の意見。

カルトの基準だが、人権侵害しているとかマインドコントロールしているとか高額の寄付があるとか死亡者が出ているとか、小難しいことを考えなくても簡単な基準がある。

該当宗教の教義が社会として認められるか否か?社会が到底認め得ないものを教義としているのなら、カルト、もしくは危険宗教に認定し解散、活動も禁じる。

エホバの証人の場合、ハルマゲドンが来て国家転覆することになっている。そんなことは到底認められないのだから、当然組織体としても存続を許すべきではない。

信教の自由で国家が覆されたらたまったものではない。カルト信者の信教の自由より、国民の安全を優先すべき。

統一教会の場合は日本人は韓国人に謝意を示すために奴隷になれみたいな教義で(多分・・・)、そんな話も筋が通らない。国民一人一人が謝意を示すために破産するなんてバカげた話は認める訳にはいかないので、それを是とする組織の存続を許す必要はない。

カルトの見極め方と防御方法

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エホバの証人という盲信者、あなたは山上容疑者をどう思うか?

エホバの証人という盲信者

Amazonのkindle Unlimitedだと無料(2024/1現在)なので読み始めた一冊『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

いろいろなカルト宗教の元2世被害者が集まって対談している。LINEのチャットが元になっており雑多な記述になっている。元エホバの証人も参加。その元エホバの証人の自己紹介で、現役信者である母親が

孫と会いたくもない

ようだと話している。

孫と会いたくない人って世の中にいるんだという驚きが率直な感想。「現役エホバの証人を孫に会わせたくない」というなら1000%同意するのだが、自ら「孫に会いたくない」というのは、さすがのカルト信者。

この実例が証明しているように、エホバの証人はあなたの家族生活を幸福なものにしない。エホバの証人が「家族の幸せガー」とか言っているのは嘘偽り・大げさ紛らわしい発言で、エホバの証人は家族を不和にするカルト。

創価学会や霊波之光が身内にいる人が家族・親族を

盲信者

と紹介している。うまい表現で、今後使わせて欲しいくらい。カルト信者が抱いているのは信仰ではなく妄信仰。

カルトを優先するために、破産したり、孫に会えなかったり。もはや何のために生きているのか、何のために宗教をやっているのか意味不明。そんな絶賛迷子人生なのに「エホバガー、教祖ガ―」とやっている。

なぜ、人生の価値を圧倒的に損ねているのか?客観的に見て不幸ではないのか?小学生でも気付ける自分の迷子状態に気付けない。自身の宗教関連問題については盲目。宗教中心に生きているのだから、人生全般においてほぼ盲目。カルトしか見えていない。まさに盲信者。

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マイケル・ジャクソンとオカルト大好きエホバの証人

マイケル・ジャクソンとエホバの証人のこと

『芸能人と新宗教』、第三章「海外の芸能人も新宗教にハマる」より。

昨日の記事に続いてマイケル・ジャクソンの話。マイケル・ジャクソンもエホバの証人2世であったと本書で明かされている。

「スリラー」の冒頭には、「この映画はオカルト信仰を助長するものではない」という注意書きがわざわざ挿入されています。それも、マイケルが、アルバム『スリラー』ために、エホバの証人が彼を破門しようとしていることを聞いたから

実際にyoutubeで確認してみると確かに。冒頭も冒頭に以下のテロップが出る。

Due to my strong personal convictions, I wish to stress that this film in no way endorses a belief in the occult.

しかも結構長い時間テロップが出る。Google翻訳で訳すと以下。

「私の個人的な強い信念により、この映画は決してオカルトへの信念を支持するものではないことを強調したいと思います」

オカルトを支持しようがしまいがどうでも良くて、そんなもの単なる個人の趣味の領域。

ところが、なぜかこのPVではオカルト不支持を強く訴えている。個人的な強い信念により。この信念というのがエホバの証人の教義に基づくものだったり、エホバの証人組織に対する未練や現役信者である家族に対する気遣いであったり。

歴史的名曲もいっきに興覚め。

実は、オカルト大好きエホバの証人

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2023新年一発目、エホバの証人の存在しないより良い未来のために

エホバの証人2世という出自

2023年一発目。本年もよろしくお願いいたします。

私はものみの塔撲滅のための活動を細々と行っているのだけれど、元エホバの証人2世として現在進行形での被害というのはない。家族親族など身の回りに鬱陶しい現役信者もいないし、エホバの証人の友人知人も皆無。

エホバの証人の知り合いと私がエホバの証人だった当時の知人友人クラスメイトは、脱会後10年くらいかけて仕分け。今では、私のエホバの証人2世という出自を知る人は家族以外に周囲にはいない。全く別人になり変わって生きている。

厳密に言えば、名前を変えたりしたわけではないし、子供の頃の同級生とかに偶然会えば、当時の惨状がまざまざと明らかになる。履歴書にも小中学校名を正確に書いているので、ちょっと調べれば私がエホバの証人2世という宗教2世であることはすぐに分かる。

現在知られていない人たちに私の過去を知られたとしても、特に不都合はなく「厳しい出自を切り抜けて今ここにいる。もっと厳しい出自の人もざらにいるでしょ」と言うだけ。

今の生き方に逃げ隠れするところはないし、脱会後は相当に紆余曲折し、人に言いたくないことも多いが、その当時も一瞬一瞬には全力を尽くしてきた。後悔することも恥じることもない。

エホバの証人は私の人生の恥部である

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カルト宗教2世の子供の本質的な救済とは何か・・・?

カルト2世でありつつカルト擁護者、その根底にあるもの

今年2022年最後の記事になるが通常運転。読んでいただいた方々、一年お世話になりました。

今年は7月に元宗教2世が起こした安倍元首相銃撃事件、年末に厚生労働省より宗教2世問題のガイドラインが出るという報道があり、カルト宗教2世問題には動きのある年になった。来年こそはものみの塔が圧倒的に傾くさまを見たく。

昨日の記事でカルト宗教2世問題に対するカルト擁護派批判をした。批判というより未だマインドコントロール下の被害者であるので救済対象に近いと書いた。

その被害者たちのカルト擁護の主張は以下のようなもの。

  1. 親が果たして子供が死ぬまで信仰を強要するのか。自分や周囲はそんなひどい目に遭っていない
  2. ある程度ものごとを考えられる年齢になったら、自分の意思で辞められるはずだという自己責任論

この話の根底にあるのが、マインドコントロールと愛情。

未だカルトのマインドコントロール下にあるので、人生を奪うカルトを簡単に擁護してしまう。そして、カルト親に対する愛情から親の信仰するカルトそのものの完全否定ができない。

カルト親は生死の危険が及ぶ領域まで子供を追い込む。かつて起きたエホバの証人の子供の輸血拒否での死。この事件がそれを証明している。

現在は輸血拒否事案に関しては親権が停止されるから子供が死ぬことはない。だから生死に危険が及ばない?いやいや放っておいたら、エホバの証人は子供を殺すから親権を強制停止しているんだよ。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

一定の年齢になったら自分の意思で辞められるはずだという自己責任論。そりゃそうだけど、ある程度大きくなるまでの虐待は見過ごすのかという話。

ある年ごろになるまで虐待を受け自主性を奪われれば、自分の意思を行使できる年齢には自分の意思を失っている。凶悪虐待者が愛する、愛されるべき親。それにカルトのマインドコントロールが絡む。

たまたま自分の意思で辞められたからって、誰もが同じように脱会できると思うのは大間違い。

それを、いつでも自分の意思で辞められるのだからとカルトを擁護しているようじゃ、まだカルトのマインドコントロール下にある。カルト擁護者こそ救済されるべき被害者状態から脱却できていない。

カルト2世信者の本質的な救済のために

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すべてを否定されるべきエホバの証人活動で得たモノなど何の役にも立たない

カルトで経験したことは何かの役に立つのか?

『カルトの花嫁』9章。

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カルトの洗脳が解け脱会し、カルト親との関係も切った著者。以下のように書いている。

これまでの人生が無になるのではなくて、自分の糧になっていた

ブログを書いたり講演をしたりと、自身の経験を他者の役に立てようとする日々。著者は自身の失敗を世の中の役に立てる償いだと書いている。

以前の記事でエホバの証人活動に捧げたすべては無駄になる、と書いた。この本の著者のように、カルト活動を行ったという罪を認め、過ちであったと認識しない限り、カルトに捧げた時間と経験はすべて無駄になる。

エホバの証人活動での経験は役に立たない

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