エホバの証人のハロウィン禁止は危険、子どもに悪影響

ハロウィンはエホバの証人の子供にとって陰惨な日

ハロウィンとエホバの証人

先日10月31日が、ハロウィンということで世間では騒がれていた。仕事でとある大学に行ったところ、仮装している学生がいて「何だろう?」と不思議に思ったのだった。

エホバの証人の2世信者にとって、ハロウィン当日は何とも陰鬱な日になる。

エホバの証人(JW)とは、米国発祥のキリスト教系を自称する新興宗教。2世とは宗教2世信者のことで、親の信仰を強制される子どものことを指す。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が組織を指導する立場にある。

ものみの塔協会は、他の宗教に少しでも関係する行事を一切認めない。そのため、エホバの証人はハロウィン禁止(のはず)。

私がエホバの証人2世だった頃には、日本でハロウィンなど行われていなかったので、私はものみの塔のハロウィンに対する立場を知りようが無いのだが・・・。

私がエホバの証人の子どもだった20~30年前は、世間でハロウィンだと言って騒がれることは無かった。無用なイベントが増えて、現役エホバの証人2世信者にとっては良い迷惑だろう。

ハロウィンは古代ケルト人を起源とする祭り。秋の収穫を祝い、悪霊を追い出すという目的がある。元は完全なる宗教行事だったのだが、現在では宗教色は薄れ、仮装パーティーだったり、カボチャをくり抜いてランタンを作ったりとそれだけになっている。

そもそも、日本でハロウィンが定着したのは商業界による戦略であり、宗教行事としての色合いは一切ない。エホバの証人は、それも重々承知で「商業戦略の一環である」という批判までしている。

そこまで分かっているのなら、いちいち禁止せずに個人の自主性に任せれば良いものを。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

無根拠、エホバの証人の格闘技禁止の理由

JWのハロウィン禁止の危険性

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エホバの証人(JW)の地獄行き片道パス、輸血拒否カード

エホバの証人の地獄行き片道切符

エホバの証人、危険な輸血拒否カード

エホバの証人(JW)とは、キリスト教系を自称する新興宗教。

エホバの証人の教理には特殊なものが多く、最もヤバいのは輸血拒否の教条。エホバの証人は輸血拒否を始めとして、これらの特殊教理を強情に守ろうとする。

私がエホバの証人の子どもとして、このカルト宗教を強要されていた1980~90年代のこと。輸血拒否の教理を遵守するため、輸血拒否カードというものが使用されていた。今でも似たようなものが使われているのだろう。
(※2022年追記、現在では名称が変わったのか、もしくは、もともと正式名称なのか「継続的委任状」と呼ばれている)
(※2023年追記、現在ではさらに名称が変わったのか、「永続的委任状」と呼ばれている様子)

エホバの証人は輸血拒否カードを首からぶら下げたり、財布の中に入れて携帯している。このカードには、ご丁寧に「絶対に輸血しないでくれ」と記載されている。自身の意識が無い状態で病院に搬送されるという、万が一を想定している。

身元を調べるために本人の荷物を調べたときに、輸血拒否カードが出てくるというカラクリ。医療関係者はこのカードを見てしまった以上、勝手に輸血をすることができない。

「気づきませんでした」で処分すれば良いと思うのだが、結局、メンドクサイことに家族や周囲のエホバの証人が駆け付けてきて、輸血拒否を騒ぎ立てる。強引に輸血すると、あとで裁判沙汰になる。人命第一だろ、迷惑集団が。

輸血が生命維持の分岐点となる場合には、輸血拒否カードがあるために本人は輸血を受けられず、記憶が戻らないまま、お亡くなりになる地獄行きパス。エホバの証人たちは、自分の頭で何も考えないまま、こんな恐ろしいカードを首からぶら下げている。

このカードは、子どもも同じように持たされている。私もエホバの証人をやめるまではこのカードを携帯していた。

もしも意識不明で病院へ搬送され、輸血が必要な事態になっていたら?そう考えると寒気がする。輸血を拒否したために死んだとしても、何の文句も言えない。「殺してくれ」と言っているようなもの。

地獄行きの片道切符、エホバの証人の輸血拒否カード

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エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝と輸血拒否というブラックジョーク

輸血拒否で殺されるエホバの証人の子供

進むも地獄、引くも地獄のエホバの証人2世

私は物心ついた頃からエホバの証人2世として育てられた。エホバの証人とは、自称キリスト教系の新興宗教。米国発祥で世界的宗教組織に発展した。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が実質的な組織運営を行っている。

わが家は、両親ともに狂信的なエホバの証人だった。そのため、子どもの私にもエホバの証人の教理が厳格に適用されていた。これが2世、宗教2世被害者。

私の幼少期から少年期は、ものみの塔の言いなりになっていた両親により、極端に行動・生活・思想を制限された。人の考え方を制御し、自由を奪う。この経験から、私はエホバの証人をカルトだと確信している。

また、エホバの証人を世間と隔絶し、カルトたらしめる教理に「輸血拒否」の教理がある。これは自由だけに留まらず、信者の命まで奪う。

私が子どもの頃、腕を骨折してしまった。もう30年も前のことになる。小学校に入る前。骨折の手術に輸血が必要になった。

両親は、当然のように輸血を拒否。私もそれに同意したことにされていたのだが、小学校に入る前の子どもが、両親と違う意見を表明するのは難しい。

しかも死にかけている状態。そんな元気はない。輸血されて生き残ったところで、エホバの証人2世の子どもは、エホバの証人組織から排斥※される。愛する両親から背教者扱いされる。私は両親の言いなりになるしかなかった。
※2023年追記、排斥でなく、自動的に自らエホバの証人を断絶した扱いにされる様子。子どもの私は正規信者ではなかったので、ここまでの処分には及ばないが、親の心情的立場は似たようなモノ。周囲の信者から白い目で見られるのは、両親にとって恐怖。何よりマインドコントロール下にあるので、「神はそれをどう見られるか?」という妄想にとりつかれている

エホバの証人の子どもが、輸血の必要な状態に陥れば、それは進むも地獄、引くも地獄の人生の末路。

排斥とは、エホバの証人的重罪者を組織から破門にする処分のこと。現役信者は排斥者とは接触を許されない。例え家族であっても最低限度の接触しか許されない。
※後日追記。私はバプテスマという儀式を受けた正式なエホバの証人ではなかったので、排斥にはならない。とはいえ、生まれついての生粋のエホバの証人だった私が、自分の意思で輸血を行えば、組織内で排斥同等の扱いを受けるのは目に見えている。
※2023年追記、排斥も断絶も、結果はまったく同じ。

エホバの証人世界と、その信者である両親しか知らない子どもにとって、輸血が必要という診断は死刑宣告も同様だった。

エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝

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あれっ?エホバの証人の皆さ~ん、安息日と輸血って何が違うの?

安息日も血の忌避も旧約聖書の掟

エホバの証人の輸血拒否による「無駄死に」

私の両親は熱心なエホバの証人だった。エホバの証人とはキリスト教を自称する新興宗教。ものみの塔聖書冊子協会が日本では組織運営の中心となっている。

私は、物心ついたときには既にエホバの証人の2世信者として育てられていた。2世信者とは親の宗教を強要される子供のこと。宗教2世とも呼ばれる。

私は、子供の頃に腕を骨折したことがあった。今から30年も前の話。小学校に入る前のこと。その骨折の手術に輸血が必要になった。

ものみの塔の教理では、輸血は厳禁。輸血イコール排斥処分となる。排斥とは、エホバの証人組織からの破門のようなこと。排斥処分になるとエホバの証人社会では村八分状態になる。
※2023年追記、輸血した信者は、排斥ではなく自動的に教団を断絶(=やめる)することになる。という理解が正しいようだ。断絶でも、エホバの証人側が信者を忌避する村八分状態になるのは変わらない。

ものみの塔がなぜ輸血を禁止しているかと言うと、聖書に動物の血を食べてはいけないと書かれているから。これは主に旧約聖書に書かれている事項。ものみの塔は、神とイスラエル人の古い契約を、現在の現実に強引に当てはめている。

紀元前の人々にとって、動物の血を食べる、血抜きをされていない生肉を食べるということは、ある種、致命的だった。現在のような冷蔵保存技術や、食肉の加工解体技術がないから。食中毒で一族全滅という事態も充分にありえた。

「無駄死に」を防ぐための施政的な決まり。日本でも明治時代までフグを食べなかった。そんなレベルの話。ものみの塔は、食血という概念をどこまでも飛躍させて医療行為にまで適用。結果、輸血拒否による「無駄死に」信者が発生している。

JWの「輸血しない方が良い3つの理由」が成り立たないワケ

輸血治療の普及を世界中に推進しているエホバの証人

安息日と輸血拒否の違い

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エホバの証人の「終わりの日」という嘘、ハルマゲドンは来ない

宗教本の挿絵で信者の不安を煽るものみの塔

ものみの塔の宗教本、危機感と恐怖心を煽り立てる挿絵

最近、空き家になった実家の整理をしている。旧実家からはおびただしい量のものみの塔の宗教本が出てくる。両親は、20年間を狂信的なエホバの証人として過ごした。その期間に集められたものみの塔の宗教本。

『目ざめよ!』や『ものみの塔』という薄い雑誌状の冊子が山ほど出てくる。それを綴じて製本した年鑑も年代毎に本棚に並べられている。

目にも留めたくないのだが、『目ざめよ!』誌の表紙が容赦なく目に飛び込んでくる。目ざめよ!誌の表紙はおどろおどろしい写真や絵で彩られている。人々の不安感を煽るため。

他の宗教本でもグロテスクなイラストや写真が使われている。薬物中毒に悩む人の顔は歪み、苦悶の表情を浮かべている。

終末が近づいた証として世相が乱れるという、ものみの塔の予言がある。その世相の乱れとして殺人、強盗、疫病、飢饉、戦争と言った事象が写真や絵で表現されている。

私は子どもの頃、ものみの塔の宗教本の挿絵が恐ろしくてたまらなかった。中でも怖くて仕方が無かったのが、目出し帽を被ったテロリストや強盗犯、それと毒ガスを防ぐガスマスクを被った人の絵。

目だけ見えているのだが、その目が虚ろで死んだような目をしている。意思を持たない動物のように描かれており、気持ち悪さ満点。ものみの塔の宗教本の挿絵は、あえて恐怖心を煽るように描かれている。

古臭い写真や挿絵なのだが、とにかく恐ろしい。エホバの証人の子供は、こうして危機感を煽られ、現在がハルマゲドン間近の『終わりの日』であると洗脳される。

エホバの証人の予言する『終わりの日』とは言い難い世界の状況

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元エホバの証人(JW)2世にとっての唯一の特効薬

エホバの証人2世の本質的な癒しとは

エホバの証人2世として思春期を過ごすことの悪影響

最近、空き家になった実家の整理をしている。実家が空き家になった理由は、両親が20年もの期間をエホバの証人として過ごしたから。両親がエホバの証人になったため、私の家族は崩壊した。

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者だった。14才のときに自分の意思でエホバの証人をやめる。その後、エホバの証人をやめるタイミングのズレが原因となり両親は離婚。一家離散。

実家整理のついでに、最後に連行されていたエホバの証人の王国会館を見に行った。ふとした気まぐれ。

この王国会館は閉鎖されていた。私は9才のときに引っ越しているので、この最後の王国会館に通っていたのは長くても9才から14才までの5年間。

今の私は37才で、この王国会館にまつわる苦い思い出は37年のあいだの5年間。そんなに長い気もしない。しかし、小学校高学年から中学校2年生までの思春期を、エホバの証人2世として過ごさざるを得なかった。この意味は大きい。

エホバの証人の2世信者であることを強制された思春期は、私の精神や人間関係、対人スキルに大きな悪影響を残している。今でもこの影響から完全に自由になっていない。

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エホバの証人の王国会館閉鎖のための、逆伝道奉仕活動

全国3000のエホバの証人の王国会館を閉鎖する

エホバの証人の王国会館を閉鎖させる逆伝道奉仕活動

最近、空き家になっていた実家整理のため、昔住んでいた田舎へ通っている。

私は両親との3人家族で、両親は、私が生まれた直後に狂信的なエホバの証人に変貌した。私の子ども時代は、エホバの証人2世として厳格にものみの塔の教理を適用された。

私は14才のときに、自分の意思で何とかエホバの証人をやめた。私が20才を過ぎて家を出た後、両親も時を違えてエホバの証人をやめる。この脱会のタイミングがずれたために両親は離婚に至り、私の家族は崩壊。こうして私の実家は現在まで15年も放置されていた。

久しぶりに田舎へ帰ったので、脱会直前まで連行され続けたエホバの証人の王国会館を見に行ってみた。王国会館というのはエホバの証人の集会場のこと。

今までの私なら絶対にしなかったこと。カルトの集会所に近づくなど、危険極まりない行為だし、エホバの証人2世だったことは、忘れ去って封印したい過去だから。

このブログを書き続けることで私は、ようやく自分のエホバの証人2世だった過去を見つめることが出来るようになってきた。私にとって書くことか一つの癒しとなっている。

また、最近決意を堅くしたことが、

ものみの塔を、この世から消滅させるために逆伝道活動を行わなければならないということ。エホバの証人としてカルト被害を被っている人々の解放が、このブログの目的。

パステルカラーの王国会館を、いつまでも避け続けているわけにはいかない。そのための実地調査で、かつて連行されていた王国会館を見に行ったのだった。

王国会館から脱出し真実を見つけよう

エホバの証人の王国会館の閉鎖

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エホバの証人、ものみの塔聖書冊子協会のプレミア出版物

ものみの塔の宗教本というゴミ

ものみの塔の宗教本が大量に・・・

空き家として放置されていた実家の片付けをしている。この家が空き家になった理由は、両親が離婚したから。両親が離婚したのは、エホバの証人をやめるタイミングがずれたからだった。

私が生まれてすぐ、母がエホバの証人の王国会館に通い始めた。続いて、父もこのカルトに引きずり込まれていく。そして、私はほぼ生まれながらにして、エホバの証人2世として育てられることになった。

私は14才のときに、自分の意思でエホバの証人をやめる。私が20才になり家を出たあと、両親も順を追ってエホバの証人をやめた。エホバの証人をやめるタイミングを違えたことが、両親の離婚のきっかけになった。

そして、現在の私が思い立つまで、15年間もこの家は空き家として放置されていた。

空き家を売却するにしても、部屋の中の荷物は全て撤去しなければならない。まずは不用品を片付ける所から始める。売却できるようなものは売却してしまいたかったのだが、見積もり業者曰く、金になるようなものは何もないということ。家財道具は古過ぎて粗大ゴミ。

また、実家には大量のものみの塔の宗教本が残されていた。一冊一冊に相当額の寄付金を支払っていたことを思うと、何とも言えない気持ちになる。本棚から溢れんばかりのものみの塔の宗教本は、金と時間と人生が浪費されたことを如実に物語っていた。

プレミア物のものみの塔の宗教本はあるのか

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僻地のエホバの証人2世(JW)、早々に性に目ざめる!

絶望的な大自然の中へ連行されるエホバの証人2世

僻地に派遣されるエホバの証人2世

私の両親は、狂信的なエホバの証人だった。私も生まれながらにエホバの証人の2世信者であることを強要された。

我が家は、私が小学校4年生に進級するとき、一家でとある田舎の過疎地に引っ越した。1980年代後半から1990年代前半の頃の話。

引越し先は、両親双方の実家の中間地にあたる。しかし、引っ越しの第一の理由は、田舎の方がエホバの証人として必要とされているということだった。

実際に引っ越してからは、エホバの証人にとって必要の大きな所という理由で、住んでいた所からさらに奥地まで、わざわざ布教活動に行っていた。

平和な田舎の住民にしてみれば、カルトの布教者が集団でやってくるのは大迷惑。家族の誰かが騙されて信者にでもなろうものなら、とてつもない悲劇。

エホバの証人がやってきて金を落としていくので、過疎地の経済が潤うといった意見があるのかも知れない。事実、我が家も田舎の過疎地に布教に行っていたときには、民宿に泊まっていた。

しかし、こういった経済的恩恵を直接受けるのは一部の人たちに過ぎない。大部分の人にしてみれば、怪しげな連中がきて家を訪ねて回っているだけ。家族が騙されようものなら目も当てられない。しょせん、カルトはカルト。

しかし、当のエホバの証人たちは至って真剣。良いことをしている、正しいことをしていると信じ切っている。他人の迷惑など顧みない。

また、両親にとっては、自分たちが奥地のいまだものみの塔の真理を知らぬ人々から必要とされている、という思い込みが自尊心をくすぐった。

当時、必要の大きな所と称して、エホバの証人2世の若者たちが僻地の片田舎へ送り込まれていた。仕事も人生も投げ打って。不毛な人生の浪費。

私の父も、大学を卒業して就職した仕事をわざわざやめて、田舎に引っ込んだ。30代にして自らのキャリアを捨てて、エホバの証人活動に従事しようとした。人生お先真っ暗。

カルトのマインドコントロールがいかに危険かということが分かる。もう『ものみの塔』以外のモノは、何も聞こえない、見えないという状態に陥ってしまう。

性に関する目覚めが早い、田舎暮らしのエホバの証人

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エホバの証人(JW)の呪いの家、人生の浪費の象徴

かつてカルト信者が住んだ呪いの家

エホバの証人だったことで失われたモノ

私は生まれながらにしてエホバの証人2世だった。両親は異常に熱心なエホバの証人で、子どもの頃の私は、ものみの塔協会の教理に沿って厳格に育てられた。私は、14才のときに自分の意思でエホバの証人をやめる。

両親は、その後もエホバの証人として活動を続けていたのだが、先に父がエホバの証人をやめた。母がエホバの証人をやめるまでに、父は家を飛び出し、両親は離婚。

父は戻らず、そのまま現在に至る。私は、20才を過ぎた頃には一人暮らしをしていたのだが、両親が離婚したことで、母と二人で住むことになった。これは母の強い要望。

実家のあった田舎に住むのは、私としては懲り懲りだったので、地方の中核都市で、母と暮らすことになった。この頃には母もやっとエホバの証人をやめていた。

こうして、私は住居という意味での実家を失った。家族という意味でも、いつでも戻れるような実家を失った。

そんな実家を持たない人も多く世の中には存在する。20才になるまで両親と一緒に暮らしていたということだけでも、私は恵まれていたとも言える。

しかし、日常的に手にしていたモノを、ある日突然に失った。ある日突然、父がいなくなり、帰る家が無くなった。20代前半の私にとって、これらのできごとは大きな意味を持つことだった。

かつて、エホバの証人が住んでいた家

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