エホバの証人2世が剣道事件で失った貴重でかけがえのないモノ

エホバの証人2世に待つ悲劇

エホバの証人の神戸高専剣道実技拒否事件とは

エホバの証人には武道禁止の戒律がある。これは聖書内の

彼らはもはや戦いを学ばない

という聖句をそのままに受け取っているため。武道の授業すら一切受けないという解釈に至っている。それ以外にも、エホバの証人は兵役を拒否するし、攻撃的な漫画・ゲーム・テレビ番組・映画を避ける。

この教理を原因として起こった事件が、エホバの証人の神戸高専剣道実技拒否事件。1990年度にエホバの証人2世の学生が5人、神戸高専へ入学した。その5人が剣道実技の授業への参加を拒否、5人揃って体育の単位が得られず留年。

5人のうち、3人は翌年は諦めて剣道の授業を受講し進級。あとの2人はまたも剣道授業の実技拒否。結果、退学。その内1名は、退学処分を不服として訴訟。最高裁まで争い勝訴し復学する。

マインドコントロールエホバの証人の決断力の乏しさ

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神戸高専剣道実技拒否に見る、エホバの証人の戦い好きな性質

係争は戦いではないのか?

エホバの証人は、なぜ剣道実技を拒否するのか

エホバの証人の使用する新世界訳聖書。その中に下記の一節がある。

彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない
(イザヤ書2:4)

エホバの証人は、この一節を文字通りに厳格に適用している。そのため、兵役を拒否し、学校の武道の授業も拒否する。

神戸高専剣道実技拒否事件とは

世間でも有名になった、日本のエホバの証人2世の事件がある。神戸高専剣道実技拒否事件。高等専門学校に通う数人のエホバの証人2世が、剣道の授業の受講を拒否した。戦いを学ばない精神に乗っ取ったという体裁。

実際は、全く授業に参加しなかったわけではなく、見学してレポートを出した。しかし、結局は単位を貰えず、進級できないという事態に陥る。これは計5人。留年した5人は、翌年も同じ剣道の授業を受講する必要があった。

ところが、5人のうち3人は、なぜか翌年は及第点を得て進級する。これはポッキリ信仰が折れたのだろうか。かなりの同情の余地がある。

あとの2人は翌年度もかたくなに拒否。1名は自主退学。もう1名は学校側から退学処分を受ける。

偶像扱いされることになったエホバの証人2世

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ものみの塔協会が存在を主張する悪魔サタンがいない根拠

サタン≠オカルトアニメ

ものみの塔設定の悪魔サタン一派の地道な活動

ものみの塔協会の教理では、悪霊の存在が明確に示されている。悪霊「あくりょう」ではなく「あくれい」と読むのがものみの塔式。ものみの塔の教理では、

サタンという悪霊の親玉を筆頭に、数々の悪霊が地上を闊歩しているという設定

サタンは他の宗教だとルシファーなどと呼ばれることも。最も優秀で美しい『み使い』(一般的には天使だが、ものみの塔はみ使い)だった。
※2023年追記、現在ではものみの塔も「天使」

しかし、その自らのレベルの高さゆえに神に反乱を起こす。地上に下って、最初の人間であるアダムとエバ(イブと呼ばれることもあるがものみの塔ではエバ)を蛇に化けて騙した。この辺りはだいたいどの宗教でも同じ。

神に採集を禁じられていた知恵の実を食べたために、アダムとエバは全裸であることに気付き、衣類をまとう。人類の創造主に対する最初の罪。原罪。

これは傲慢な創造主に対する、知識欲と冒険心のある人類の抵抗。しかし、それ以来人類は寿命を区切られ、労働と産みの苦しみをしこたま味わうことになったという神話。

ものみの塔の教理ではこのアダムとエバの原罪以来、サタンは、他のみ使いや歴代の聖人、予言者から一般人、キリスト本人に至るまで誘惑を試みていることになっている。

その誘惑に負けた天使(み使い)が悪霊として地上を彷徨っているというのがものみの塔の主張。

サタン一派がものみの塔の教えに背くように、人類を誘惑し騙そうとしている。悪霊が現在でも、この不毛な活動を地道に続けているという設定

最も美しく優秀と言われたルシファーがそんなことするか?暇かと。この点をさらに掘り下げる。

エホバの証人二世の子供と手裏剣やお化けの折り紙

神の声より子供の声に耳を傾けるべきエホバの証人

エホバの証人が恐れるサタンの目的と手段の不一致

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エホバの証人という虚構の世界、ニセモノの友人関係

エホバの証人の友人はすべて架空の存在

限定的友情しか持たない、薄情なエホバの証人

エホバの証人は、職場では変な奴、怪しい奴と思われる。そのため、同僚と友好な関係を作るのは難しい。むしろ教団側もそれを勧めている。”この世”の友人は持たず、深い交友を行わないように勧めている。

私のような生まれながらのエホバの証人2世信者は、大人になってエホバの証人をやめたときに、自分がいかに友人を持たないかということに否応なく気付かされる。

エホバの証人の交友関係は、自分がエホバの証人である間だけという条件付き、限定的友情エホバの証人をやめた人の元から、信者たちは去って行く。困っていても積極的に助けの手を差し伸べることはない。そこまでの関係。

いざ何らかの助けを求めたとしても、現役エホバの証人たちは脱会信者に対して、まずは教団への復帰を促すことを最優先にする。復帰した後であれば経済的援助であれ、何であれ、多少は助けになってくれるかも知れない。

エホバの証人感覚での友人とは、真の交友関係ではなく、教団を通じての関係。相手がエホバの証人である限り、という条件付きの友情。

エホバの証人組織からの脱出

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相互監視下にあるエホバの証人に真の友人はできない

エホバの証人の友人関係

エホバの証人2世の子どもに友達はいない

エホバの証人の2世信者が大人になった時に愕然とすることが、エホバの証人の世界以外に友達がいない、できない、作れないということ。

子どもの頃から、エホバの証人以外の友人と遊ぶと親は良い顔をしない。ゲームやテレビなどを禁止されるため、一般の子どもと共通の話題もない。結局、困ったときに助けてくれる人はエホバの証人しかいない。

しかし、その信者が同年代であるとしても、心から打ち解けた話はできない。その同年代の子どもは、親のスパイだから。

本人たちにその気はなくとも、エホバの証人は互いに監視しあっている。たいていの話は親に筒抜けになってしまう。気になる異性の話なんかは絶対にできない。

そのため、同年代のエホバの証人との友人関係は、形式的なモノになりがち。

また、親の大人世代からは、同年代のエホバの証人の子どもどうしは比較対象にされる。「あの子はもう伝道奉仕者になった」、「誰々は次の大会でバプテスマを受ける」と、聞かされる。

私が連れて行かれていたエホバの証人の会衆にも、洗脳が進んでイカれ具合が激しい2世信者の同級生がいた。

その子は、中学生にしてバプテスマという洗礼の儀式を受けていた。バプテスマというのは、「何もかもをエホバの証人組織に捧げます」と誓いを立て、洗礼の儀式をうけること。私は両親から、その子に対して劣等感を抱くよう仕向けられていた。

エホバの証人2世の子どもたちは、相互監視と互いに比較され競わされるライバル関係にある。こんな環境で本来の友人関係を築くことは不可能。

そもそも、騙されて集められてきた人だらけのエホバの証人の王国会館に、素敵な人間関係が待っているはずがない。洗脳が解ければ、恥の過去。消したい過去。屈辱の歴史。そんな連中とつきあい続けたいとは、私には思えない。

形式的で表面的な人間関係しか築けないエホバの証人

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エホバの証人2世の正体~抱える闇、タイプ分類、社会生活

エホバの証人2世の社会生活

エホバの証人2世の闇

エホバの証人2世とは、エホバの証人という宗教を親から強制される子どものこと。

エホバの証人の子どもは、常に大人の信者の顔色を伺いながら成長する。

古株で歳のいった気難し目な怖い兄弟姉妹(※)は、平気で他人の子どもを怒鳴りつける。自ら手を下すことはほとんどないが、両親はそういった年長者の言いなり。両親はそういった古株信者から、懲らしめという体罰を教唆される。こういった厄介古株は、子どもにとって要注意人物。
※エホバの証人は信者間でお互いを兄弟姉妹と呼び合う

はたまた、王国会館(※)に初めて連れてこられた非信者の人には、部外者として気を使って接さなければならない。私は、親や他の信者の態度から、何となく「エホバの証人の闇を外に見せてはならない」のだと勘付いていた。
※エホバの証人の集会所、KH、Kingdom Hall

信者たちは、闇とは思っていないのだが、明らかに部外者に対しては態度が違う。良い部分だけを見せようと必死になっている。

このような複雑な環境でエホバの証人の子どもは育つ。その間に、周囲に自身を過剰適応させる能力を養っていく。

この適応能力と本人の毒気のなさも影響して、一部のエホバの証人2世は、すぐに会社などの狭い社会環境には馴染んでしまう。

出世や金銭報酬にがめつさを見せないし、忍耐強い特徴は、根気強く真面目に仕事に取り組むと高く評価もされるケースもある。子どもの頃から、ものみの塔の宗教本を散々読まされているので、高等教育を受けていなくとも活字には強い。

しかし、エホバの証人2世は心の内には大きな闇を抱えている。

一例として、その場にいる自分を心から大事にすることが出来ない。ハルマゲドンがくれば全てが終わると洗脳されているため、全てはその場限りの投げやりなモノ。その場だけを取り繕えば良いという安易な生活態度になる。

大人になる頃には、既に精神状態がズタズタというエホバの証人2世も存在する。特殊思想と異常生活の強制、体罰。それらの結晶。環境への過剰適応は大きな疲労となって蓄積されていく。

エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

元JW2世、節分の屈辱の記憶

現役エホバの証人2世のタイプ

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エホバの証人(JW)の子ども、懲らしめが終わるとき

エホバの証人の体罰をやめさせるとき

エホバの証人の子ども、屈辱的な懲らしめ

エホバの証人(JW)の親は、子どもに対して体罰による恐怖政治を敷いている。この体罰は懲らしめと呼ばれ、いわゆる愛の鞭(ムチ)ということになっている。私も物心ついた頃から、この懲らしめの支配下にあった。

私の家では懲らしめはお尻を叩かれるのが100%。パンツとズボンを脱いでお尻を丸出し。完全にパンツを下げるので股間側も丸出しになる。少年期にはこの恥辱にも耐えなければならなかった。

いつ頃から懲らしめが無くなったのかは覚えていないが、中学生くらいになると、既にお尻を叩かれていなかった気がする。おそらく局部に陰毛が生えてきた頃から懲らしめが無くなったはず。

お尻を叩かれなくなった、両親の前でパンツを下ろさなくて良くなった。これは大きな喜びのはずなのだが、いつ懲らしめが止んだのか、最後の懲らしめがいつだったのか覚えていない。

当時の私はそれどころでは無かった。両親の愛情と、自分の好きなように生きたい、という願いの狭間で苦しむ日々。そして、エホバの証人であるがゆえに変人扱いされる周囲の視線が何より苦痛だった。

エホバの証人の子どもとして被害を受けないよう、日常を取り繕って生きるので精一杯だった。

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

エホバの証人の懲らしめを終わらせる

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エホバの証人の子供に対する判決、そして半ケツのとき

懲らしめという暴力にさらされるエホバの証人の子供

エホバの証人の親が豹変するとき

私は物心ついたときからエホバの証人2世として育てられた。両親ともに狂信的なエホバの証人で、私は教団の戒律を厳格に適用されて14才までを過ごす。

王国会館で開かれる週3回の集会には、14年間ほぼ欠かすことなく両親によって連行された。幼少期は野外を周る伝道奉仕活動(布教勧誘活動)に週に20時間近くも連れ回された。そして、エホバの証人の教理には禁止事項が多く、苛酷な少年時代を送った。

エホバの証人の親は、子どもを懲らしめという体罰で縛り付けている。親の言うことを聞かなかったり、教団の戒律に反したりすると、こっぴどくお尻を叩かれる。

この体罰は、素手だったり皮のベルトだったり手段は様々。私はこの懲らしめがとても怖かった。今となれば、さほど痛くないような気もするのだが、子どもの頃は本当に恐ろしかった。

普段は優しい両親が豹変し、いくら謝ろうが、泣こうが、逃げ出そうが、絶対に規定数を叩くまでは許してくれない。そして、懲らしめが終われば、いつも通りの優しい両親に戻る。子どもは混乱し、親の顔色を伺って生きるようになる。

エホバの証人の半ケツの時、懲らしめの悪影響

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カルト被害者の死、葬式なし墓なし遺骨なしのエホバの証人

エホバの証人の墓事情

献身というカルトな儀式

私は、物心つく前からエホバの証人2世として育てられた。その元凶となったのがT姉妹という女性のエホバの証人。エホバの証人はお互いを○○姉妹、○○兄弟と呼び合う。

エホバの証人にとって、兄弟姉妹にあたるのはバプテスマという献身の儀式を受けた人だけ。この献身は世俗のまま出家するようなもので、身も心も全財産すべてをものみの塔に捧げます、と誓うこと。

バプテスマは、汚いプールの水の中に体全体を浸す儀式。カルトに何もかも捧げる覚悟など危険すぎるし有害なのでやめるべき。そして、自分の一生を左右する重大な決断なのに、エホバの証人たちは安直にその道を選ぶ。

信者を献身させ、何もかも奪い取る。これが、ものみの塔の体系化されたマインドコントロールの最終成果。

エホバの証人の財産搾取法についてはあなたの全財産を奪うカルトによる洗脳

私の家族がカルトに汚染された原因

T姉妹が私の家を訪れ、両親をエホバの証人の世界に引きずり込んだ。エホバの証人的に言うと「真理に導いた」ということになる。

このT氏が私の家を訪れていなければ、私は普通の幼少期、少年期を過ごし、私の家族が崩壊することはなかった、”はず”である。もう大昔のことなので、こんなことを言い出しても何も始まらない。

他の、破壊的カルトに捕まって、家族まるごと全滅死していた可能性だってある。カルトに引きずり込まれる人には、ある種の弱さや隙がある。

亡くなったカルト被害者

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エホバの証人の条件付き限定愛、信者以外は愛さない

幼馴染み、とはいえそれがエホバの証人なら

笑えないエホバの証人2世の子ども

私がエホバの証人2世だった頃の古いアルバム。子どもの自分の目が虚ろ。写真の中の私は、全く笑っていない。居並んだ人々の中で一番端に立ち、ぼんやりと虚空を眺めている。エホバの証人2世だった頃は、世界に現実味が無かった。

エホバの証人というのは、米国発祥の自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が、組織の指導・運営を行っている。2世というのは、宗教2世。親の宗教を強要される子どものこと。

子どもの頃の私は、「いつかエホバの証人をやめたい」と、そればかり考えていた。エホバの証人である自分を認めることが出来なかった。今の自分は偽物だと感じていた。

そうして私は14才までを成長した。エホバの証人をやめたいと模索し始めたのが10才頃。そのあたりから14才でエホバの証人をやめるまで、楽しいことなど何ひとつ無かった。目に見える景色は灰色だった。

エホバの証人だった頃の楽しい思い出が一切無い、というわけでもない。私は9才のときに両親とともに引越しをしているのだが、そのときに開かれた私の家族の送別会の記憶は残っている。

この送別会は、引っ越す前に所属していたエホバの証人の会衆の信者たちで開かれたもの。

会衆というのは、地域単位にまとめられたエホバの証人の単位のこと。一つの会衆の成員人数が、100名弱に収まるように調整されている。

当時、私の家族が住んでいたのは某大都市の郊外で、引っ越し先に比べるとだんぜんに都会だった。エホバの証人の会衆の規模も大きく、私の家族の送別会は、大きな公民館のようなところを借りて行われた。

エホバの証人の送別会とは・・・

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