2023/03/09放送の「イット!」より、エホバの証人組織の思い通りの行動をとる人々

エホバの証人の実名報道

数日遅れで「イット!」視聴。

2023/03/09放送「イット!」より。数日遅れで視聴。ブログにまとめるのもかなり遅くなったのだが、ネタ切れに困っていた頃に比べると嬉しい悲鳴。マスコミは今まで30年とか40年もの間、足並みを揃えて放置していたわけで。その功罪とはいかに。

番組より。元エホバの証人2世の小松さん談

忌避問題がひっかかって致し方なくとどまっている人が多くいる

脱会してエホバの証人家族に避けられるのを回避するために、仮面現役信者を続けているということ。分からないではないが、これだとエホバの証人組織側の思うつぼ。

現役3世信者の高校生談

親族が全員信者なため行く当てがありません

地獄のような光景だが、エホバの証人はエホバの証人としか結婚しないので、誰かが堕ちて数世代経つとこうなることも。

家族どころか親族全員が有害なカルト活動に身を投じている。もはや日本から出て行って、どこか別の地上の楽園に住んで欲しいのだが、恐らくこの親族もそれを願っているのだろう。決して叶わないのだが。

『news zero』(2023/03/07放送より)、エホバの証人

エホバの証人組織の望まない行動をとる

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エホバの証人を「信じてないのに信じている」ふりをすることの罪

「信じている」ふりで周囲の覚醒を妨げている

エホバの証人を「信じている」ふりをすることの家族への悪影響

2023/03/07放送の『news zero』。下記にて視聴可能。
元2世信者が語る エホバの証人「忌避」の実態――脱会後は家族と“断絶” 結婚式に呼ばれず、生家は売却…「エホバが第一」

現役エホバの証人家族に忌避されるため、エホバの証人の教理を「信じていないのに信じている」ふりをしないといけない人々がいる件。

「信じている」ふりは自分にも他人にも害をもたらす。自分への悪影響は昨日の記事にて。

「信じている」ふりというのは、周囲の人の覚醒の機会を損ねることにもなる。信じてないのなら信じてない態度をとらなきゃ周囲も目覚めない。もしかして、お互いに信じてないのに信じているふりをし合ってたりして。

お互いに心を探り合っていたと。それじゃ一体、何のための家族なんだか。

「信じてないのに信じている」ふりをすることの罪

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『news zero』(2023/03/07放送より)、エホバの証人のPIMOとは?

心と身体がバラバラ、PIMOとは

エホバの証人の忌避問題

2023/03/07放送の『news zero』より。下記にて視聴可能。
元2世信者が語る エホバの証人「忌避」の実態――脱会後は家族と“断絶” 結婚式に呼ばれず、生家は売却…「エホバが第一」

主にエホバの証人の忌避問題を報道。出演されていた小松さんという元エホバの証人2世の方は

あなたがエホバの証人組織に再び信仰を持って戻らない限りは家族としての交遊は再開できない

と、現役家族から言われたとのこと。

また、番組内では現役信者兄とのLINEでのやり取りが紹介。このLINEのやり取り、番組では「児童虐待」とされたいたが、LINEの内容は「児童性虐待」。

エホバの証人組織が児童性虐待の温床になっており、そこら中で訴訟になっている件。エホバの証人組織側が賠償金を払っている国もあったはず。本筋とは逸れるのだが念のため指摘。恐らく「児童性虐待」は、次の隠し玉になっているのだろうが。

エホバの証人世界本部の児童性虐待被害者に対する対応

性的抑圧により性欲を腐らせるエホバの証人(JW)

現役信者は

エホバとの関係が第一

なので、家族は二の次になると。

エホバなんて、存在すらしない神なのにそんなものを第一にしているなんて、人生棒に振りすぎ。家族を愛せない奴が、何ごとかを成し遂げられるはずがない。

「信じてないのに信じているふりをする」PIMOとは

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エホバの証人(JW)2世が、家出せずに自由になる方法

エホバの証人2世が家出せずに自由になれるのなら

家から出て行くのはエホバの証人の方

昨日の記事の続き。親との物理的な力関係を逆転させ、エホバの証人をやめる宣言した14才の私の話。家出せずに自由を奪取した方法。

エホバの証人を脱会することで家族に忌避されようが関係ない。その忌避ルールはエホバの証人の勝手な都合。しかもモラハラ。関係なく家族に話しかければいい。

「家から出ていけ!」と言われれば、「アホなエホバの証人ども、お前らが出ていけ!」と言ってやればいい。自分の家なんだから。

そうしているうちに虐待親との力関係が反転したのが、私と両親との関係。逆転してからはとことん甘やかされた。両親は、エホバの証人の規範を子供に押しつける以外の教育ポリシーなど持ち合わせていなかった。子供に対して何をどうしたら良いのか分からない。親が自分の芯を持たないとそうなっちゃう。

私の洗脳は解けておらず「ハルマゲドンで死んでもいい。それまで太く短く生きる」と言っている若者に、どんな価値観も言葉もない両親。男の美学とか潔く散るとかそういった概念を持ち合わせていない、カルト親の限界。

「ハルマゲドン来ないよ。エホバの証人は騙されているんだよ」と、早めに誰かに言って欲しかったけれど、あいにく当時の私の周囲にそんな人間はいなかった。

夜逃げとか家出より、妄想信者どもを支配下に置いて、当然の養育をさせる方が楽だと私は思う。腕力をつけることと、精神的なタフさを発揮できるだけの余力が残っていればの話だが。

『真相報道バンキシャ!』より、マインドコントロールと社会への害

脱会しても諸々大変なので、出来るだけ楽な方法で

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モラルハラスメント証人、腕力でエホバの証人(JW)脱会

腕力でJW脱会

モラハラ証人、人権侵害?

2023/03/05放送の『真相報道バンキシャ!』より。昨日までの記事の続き。

エホバの証人の脱会者に対する組織的な忌避の事実。

卒業するときにもめる団体なんてろくなもんじゃない。皆さん、きちんと入会前に確認しましょう。

辞めると家族と二度と口をきけない
そういったことがあるから辞めたいけど辞められない

と放送にて。これは一部が間違っていて、

教団に残った家族が口をきかない(きけない)だけ。忌避されている側はエホバの証人の腐った忌避の法に従う必要はない。普通に話しかければ良い。エホバの証人の戒律なんて何一つ守る必要はないんだから。

とはいえ、家族に無視されるのはキツイ。無視されているのを無視して普通に話しかければ良いんだけど。そうもいかないからカルトをやめられない。

それに対して、エホバの証人日本支部は、

忌避が昔も今もあるのは事実です
排斥や断絶された人たちの悪影響から集団を守るための手段です

こっちにしてみれば、エホバの証人の悪影響から家族や社会を守りたいんだけど。随分自分勝手な言い分ですな。

というか、

信条を理由に集団で忌避するのは人権侵害なのでは?モラルハラスメント。モラハラっす。

小学生以下の低レベル、エホバの証人の「排斥」者いじめ

腕力でエホバの証人脱会問題に決着をつける

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コミュニティー信仰は、単なる人恋しさからくる甘え

コミュニティーがあるから棄教できないというのは本末転倒

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。本書では創価学会についても触れている。

一部の団地や離島では創価学会員のコミュニティが築かれていることが指摘されている。そのため、

信仰がコミュニティー全体にまで広がっているということは、人間関係がすべてそのなかで営まれるということを意味します。そうなると、信仰を捨てようと思っても、それは同時にコミュニティーを捨てることにつながるわけで、なかなかそこに踏み切ることが難しくなります

言っていることも、信仰を捨てられない気持ちも分からなくはない。親や親類、身の回りの人がエホバの証人で固められた2世信者というのは想像に難くない。

生まれ育ったコミュニティーを捨てるとか、数十年に渡って所属したコミュニティーを捨てる、裏切るというのは困難なことだと思う。

思うのだが、コミュニティーって宗教とか信仰とは関係ない。おまけみたいなもの。というより信仰や宗教にとってコミュニティーとは不必要で余計なもの。宗教とか信仰というのは、神と自分、教えと自分の関係。他人はどうでも良い。つまり、

コミュニティーを捨てることが出来ないから信仰が捨てられないなんていうのは、本末転倒。宗教でも信仰でもない。単なる人恋しさからくる甘え。

お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?

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エホバの証人(JW)対策として、作成するべき覚書

「ずれ」を呑み込ませるカルト、「ずれ」を受け入れる信者

昨日の記事でカルト入信前後のイメージと現実の「ずれ」について書いた。カルト教団は、その「ずれ」を覆い隠すことに長けている。

家族が幸せになれるからとエホバの証人の集会に行ったのに、集会に行きだした途端、家族の機嫌が悪くなる。これも「ずれ」。現実が悪化しているのだから、すぐに辞めるべき。エホバの証人に関わる前のフラットなゼロ地点に戻るべき。

しかし、エホバの証人組織側はこの「ずれ」を上手くごまかす。事前に「家族は必ず反対します。それはエホバの証人が真理だから、サタンが邪魔をしているんです」と予言めいたことを言う。

どう考えても「エホバの証人がカルトで、家庭をないがしろにしているから」家族関係が悪化したのだが、そう気付ける健全思考状態の人は当初からエホバの証人の相手などしない。

「予言が当たった!」と「ずれ」を呑み込み、妄信の沼へ潜ってしまう。するとますます健全社会へ戻れなくなる。

2023新年一発目、エホバの証人の存在しないより良い未来のために

エホバの証人対策としての覚書の作成

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エホバの証人を許せない理由、多くのエホバの証人脱会者が口を閉ざす理由

エホバの証人を許せない理由

ちと最近忙しくて、うっかりするとエホバの証人のことなんかコロッと忘れて1日を送っていることがある。このブログは毎日更新が(自分に課した)ルールなのだが、こんな日には書くことがない。

数年前、忙しさにかまけて毎日更新が滞り、そのままブログ仮死状態になった。今回はそんなことがないよう何とか絞り出してでも書くしかない。継続こそが読者様、自分自身、八百万の神々に向けての熱量の証し。

その熱こそ「ものみの塔を崩壊させる」という私の悲願。

私がエホバの証人のことをスカッと忘れてしまえるのは、現状このカルトの被害を一切被っていないから。周囲に目障りなエホバの証人は皆無だし、生活も何とか安定している。

生活は一時、非常に不安定だったのだが、それをエホバの証人という出自のせいにするのは無理があるほど私が好き勝手に生きていたから。それはそれで満足だったし後悔もない。自己責任とわきまえているが、違う人生があればあんな自暴自棄生活はしたくない。

現在の自身と自身の家族の安寧を考えるなら、小汚いカルトのことなどきれいさっぱり忘れて生きていくのが身のため。そして、健全かつ安全。

とはいえ、それだと悔しすぎる。

エホバの証人のせいで失った両親との家族関係、完膚なきまでに損なわれた両親の人生。私自身の人生にもエホバの証人二世として14年間もの時を過ごしたという汚点を残された。

ゆえに私は何が何でもエホバの証人を許せない。そして、エホバの証人やものみの塔が大っ嫌い。完全に私怨ではあるが、見逃すわけにはいかない。

エホバの証人(JW)の専売特許、エホバ商法とは?

エホバの証人脱会者が口を閉ざす理由

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エホバの証人からの脱会ステップ、認知的離脱と組織的離脱

エホバの証人の認知的離脱と組織的離脱

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

昨日の記事で、エホバの証人を辞めるステップについて、自分の意思で考えて辞める方が回復が早いと書いた。その点、本書は的確に言語化している。

まずは、エホバの証人を「辞める」の定義。

「脱会」を「一度は教団の教理を受け入れた人が、教団の教理を認知的に拒否し(認知的離脱)、組織的活動への参加を辞めること(組織的離脱)」と定義

私は教団の教理を受け入れたというか、ほぼ生まれながらに親や大人の信者から、世界とはそういうものだと、エホバの証人が真理だと洗脳された。

脱会後の予後については

組織的離脱よりも、認知的離脱が先に生じた場合のほうが脱会後の「社会的リアリティの再定義」がスムーズ

であるとされている。

私の場合は認知的にエホバの証人の教理を拒否するより先に、組織的な活動を辞めた。エホバの証人の求める永遠の命より、刹那の輝きの方が価値が高いと考えてエホバの証人を辞めた。

エホバの証人の教理を疑う余地はなく、価値観の違いにより教理を拒否。認知的拒否ではなく、直観的な拒否。本書の書く通り、先に組織的離脱を果たした私の予後は悪く「社会的リアリティの再定義」がされるまで、組織的離脱から20年近い時を要した。

そもそも組織的離脱と認知的離脱の双方を持って「脱会」と言うのなら、私の脱会が完了したのは組織的離脱の10年近く後のこと。

その間、来るハルマゲトンに備え、刹那的欲求を叶えることに執心していた。いつ死んでもいいと覚悟を決め、刹那を生きる若者に「社会的リアリティ」など備わるはずがない。

まずはエホバの証人教義からの認知的離脱を

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エホバの証人の脱会を阻む、脱会防止の呪い3つとは

エホバの証人はなぜこんなに頑なになるのか

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

本書に出てくるエホバの証人脱会経験者のB氏。脱会時の心境を以下のように語っている。

「脱会カウンセリングだけは受けるまい」と思っていた

「カウンセラーの説得によって、つまり他人の意志によって辞めることを促される、それでは今までの生き方と変わらないと思った」

ここでいう

「今までの生き方」とは、教団が提示する「真の宗教」やその判断基準に囚われていた生き方

のこと。「真の宗教」論争については昨日の記事で触れた。

これを読んでいて感じたのは、エホバの証人になると、人はなぜこんなに頑なになるのか?ということ。エホバの証人をやめるという、最良にして自由な人間として生きる唯一無二の選択なのに、なぜそこに時間をかけるのか?

脱会カウンセラーでも何でも良いのでスパッと辞めればいいのでは?というのが私の意見。「今までの生き方」で人生をさんざん弄ばれ、搾取され騙されてきたのだから。それより悪化することはない。

であるのに、脱会という最善の決断をするときに限って「今までの生き方」とは違う何者にも囚われない生き方をしたい。自分の頭で考えるんだとなる。

今まで、他人の意思でコントロールされてきたのだから、辞めるときも誰かの意見を聞いたっていいものを。なぜそこだけは自分の意思で辞める決断をしなければならないのか?

その理由、エホバの証人には、脱会防止の呪いがかけられている。3つの脱会防止のための呪い。

エホバの証人がかけられた脱会防止の3つの呪い

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