エホバの証人を「信じてないのに信じている」ふりをすることの罪

エホバの証人を「信じている」ふりをすることの家族への悪影響

2023/03/07放送の『news zero』。下記にて視聴可能。
元2世信者が語る エホバの証人「忌避」の実態――脱会後は家族と“断絶” 結婚式に呼ばれず、生家は売却…「エホバが第一」

現役エホバの証人家族に忌避されるため、エホバの証人の教理を「信じていないのに信じている」ふりをしないといけない人々がいる件。

「信じている」ふりは自分にも他人にも害をもたらす。自分への悪影響は昨日の記事にて。

「信じている」ふりというのは、周囲の人の覚醒の機会を損ねることにもなる。信じてないのなら信じてない態度をとらなきゃ周囲も目覚めない。もしかして、お互いに信じてないのに信じているふりをし合ってたりして。

お互いに心を探り合っていたと。それじゃ一体、何のための家族なんだか。

「信じてないのに信じている」ふりをすることの罪

酷く残酷なことを書く。それぞれの人にそれぞれの事情があり、あくまで一般論なのだが、エホバの証人の教理を「信じてないのに信じている」ふりをするということは、エホバの証人というカルトの悪事に加担していることになる。

家族を人質に取られているので仕方がないのかも知れないが、悪事は悪事。信者の一人にカウントされているのなら、信じていなくても外界から見ればカルト信者。ひどく同情はするけれど、私から見ても同じ。

せめて、「もう信じてないけど、家族を失いたくないから仕方なくエホバの証人を続けている」と家族には表明すべき。そしたら「オレも、オレも」となるかも知れないし、家族に疑念が生じる可能性もある。家族をカルト地獄から救える可能性もある。

「もう信じてない」宣言は排斥事由にはなるのかな?背教になるのかな?「信じられない」ようになった人を「信じさせる」ことが出来ない宗教の方が悪いんだけど。

「もう信じられない」状態なのに、家族ゆえにエホバの証人を続けていて、もう一度「信じたい」思いもあるから、エホバの証人をやっていると。そこまで言っても排斥になるのなら?

何かおかしくないですか?はい。カルトですから。教理に筋が通っていない。矛盾だらけ。信じたくても信じられない。家族もそう気づいてくれたらいいのだけど。それは甘い算段だね。

我が家はこのパターンで両親が覚めた。しかし、お互いに徹底的に傷つけあったから一家は離散した。離れて暮らしてはいるけど、親がカルト信者でなくなったというだけでも、私の心は軽い。

両親は40代半ばまでの人生を完全に無駄にしたが、人生はそこからでもやり直せる。死の床であっても人生はやり直せる。

変化を起こすには刺激が必要で、その刺激を生まないのが「信じてないのに信じているふりをする」こと。

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