「信じていない」エホバの証人たち
Twitterで遭遇した新人類的エホバの証人。現役信者のその素っ頓狂な振る舞いに、現在のエホバの証人組織と私のイメージのエホバの証人組織の間には、大きなギャップがあるのではないかという仮説が生まれる。ここまでが昨日の記事。
今のエホバの証人は盲信者の老人だらけだと思ってたけど、実はその下の世代もいる。そして、驚くべきことに
彼らは「信じていない」。神や教義を。
親世代の洗脳が足りなかったんだろうね。だから、この世代は鞭打たれていないってのも、一部真実だったりするのかも知れない。ケツ叩かれなきゃ、あんなメンドクサイ戒律を守る必要ない。親がその程度の宗教仕込みしかしてないから、そりゃ「信じない」。
私の親は全身全霊でエホバというカルトを押し付けてきた。「叩く私の手も痛い」とか何とかよく分からない理屈で体罰をされた。確実に親は必死だった。親は盲信しているわけで、そりゃ親の世界しか知らない私もその時は信じざるを得ない。
でも、親がユルく教えるんなら、そりゃ子供は信じない。必死じゃないものが真理であるはずはないから。
「信じていない」けれど、組織に愛着はあるエホバの証人
この新世代エホバの証人からは、自分たちの親は趣味かなんかに打ち込んでる哀れな人くらいに映るのかな。
親の方は「自分がされて嫌なことは相手にしない」みたいな聖書的黄金律だっけ?を適用して、叩かない上に宗教を過剰に押し付けない。自分がムチ世代、強要世代だったから、その反動。
カルトの毒親でさえ子供には愛されちゃうんだから、黄金律親はそりゃ子供に愛されますわな。親の方はガチムチ世代だから、子供からしたら親は虐待を受けた哀れな存在として見えさえする。
そして、親がマインドコントロール状態ならさらに哀れに見えるだろう。なんたって自分はバカげたエホバの証人教義を信じていないのだから。
しかし、このムチなし世代たちは、意外に教団に愛着を持っている。生まれ育った環境であるというのがまず第一要因。そして、カルト性が昔ほど高くはないとは言え、エホバの証人という閉鎖空間育ち、外の世界はやはり野蛮で恐怖に映る。
結果、エホバの証人組織に愛着というか執着というか粘着のようなものが生まれ、今のエホバの証人組織は悪じゃないと擁護する。そして、エホバの証人ゆえの非常識さとゼロかイチ思考の決めつけ思考。そんなのだけは我々ガチムチ世代と同一。
乏しい私の想像力で、こんな感じで仮定してみた。彼らの望みとは?明日に続きます。
“「信じていない」エホバの証人たち、その正体とは?” への3件の返信