エホバの証人の輸血拒否報道、そして100年後の未来

テレビ朝日「サタデーステーション」エホバの証人報道まとめ

昨日に続き、2023/2/25のテレビ朝日「サタデーステーション」でのエホバの証人輸血拒否実名報道について。日本支部の声明では、エホバの証人の教義は

日本の最新の児童虐待防止に関する法律の考え方とも一致している

と。これに関しては、「日本の最新の児童虐待防止に関する法律と言うかガイドライン」を知らなかったで逃げるとみた。「わたしたちはこの世のものから離れているのでー」とか言うんじゃないの?

これを受けて「新しい光」で輸血ユル解禁、体罰禁止。今は世界本部と調整中とかか?

現役信者のテレビでの内部リークは勇気ある行動だと思うのだけど、そこまで醒めているのなら何でやめないのだろうかと思う。まさか、このときのために潜入していたとかだったら、まさに神。崇拝いや尊敬しますが、それよりも自分の人生を大事にした方が良い気がする。

いずれにせよ、今回の動きはエホバの証人に対するダメージになっていることは明らかなので、好意的に見守りたい。

人類が生み出した神との対話、エホバの証人の輸血拒否について

エホバの証人(JW)、強制的に輸血して命を救う方法

子供だけじゃない、大人の信者も輸血拒否での無駄死にから救え

とはいえ、中心になっている弁護士先生は「信教の自由」大事派で、エホバの証人のお母上の輸血拒否に理解を示している方。あとクライアントの外国人に母国語のエホバの証人の新世界訳聖書を差し入れしていて、以前に一悶着あった方(私が勝手に噛みついただけで、恐らく先方は相手にしていない)。

私みたいに、カルトに信教の自由は要らない。エホバの証人はとにかくぶっ潰せ
派ではない。エホバの証人大嫌い、もちろんエホバの証人の新世界訳聖書なんて焼き払え!的な私とはちょっと違う。応援はするが、最終目的地は違う気がする。

輸血拒否についても意見が合わない。

大人の信者だって輸血拒否で殺しちゃダメだよ。そこに信教の自由はないよ。法律学的に信教の自由があるのだとしても、それなら、その法解釈や法体制が間違っている。

考えてみて。100年後の日本。輸血拒否で自ら死ぬという、人の下し得る最も愚かな決断。それが個人の自由で片付けられたままでいいの?そうやって、輸血拒否で肉親を失う人々がいて、涙を流す人がいて、それが信教の自由で良いの?

100年後の子孫たちには「昔はカルトにまで信教の自由を与えていたけど、今は違う。輸血拒否で死んだり、過剰献金で破産する人はいなくなったんだ」と、そんなまともな時代を生きて欲しい。

かつては肌の色で差別があり、男女の雇用機会は均等でなくて、子供に体罰ありき、それらが間違いだと訂正されたのが現在のまともな在り方。

カルト教義の輸血拒否で命を投げ打つことが間違っている、いかに愚かなことかというのは、誰もが分かっている。盲信中の本人以外は。ならば、その命を救ってやるのが、周りのまともな正常な感覚を持った人間たちの役割。

盲信して血迷って命投げ打つ奴に信教の自由は要らないんだって。なぜなら、本人は命を投げ打つ気はない。復活するって信じている。その復活が履行されない以上は本人にとって圧倒的不利益が生じる。だったら助けてやらないと。


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