エホバの証人のマインドコントロールテキストの真実

エホバの証人のマインドコントロール用教材

エホバの証人のマインドコントロール用集会テキスト

エホバの証人の週末の集会用のテキスト「聖書の預言から学べること」。

エホバの証人独自の聖書の予言解釈を信者に信じ込ませ、人生を搾取するための資料。真っすぐなマインドコントロール用。

例えば,行ったことがない場所に旅行に行くとしましょう。一緒に行く友達がその場所のことや道をよく知っているとしたら,とても心強く感じるのではないでしょうか。同じように,エホバは私たちが時代の流れの中でどこにいるか,将来どんなことが起きるかをよく知っています

こういう例えで人を騙すのが、エホバの証人。全く違うモノをこじつけている。

時を場所へ、神を人へ例えている。無理あるだろ。将来は変わるし、神は友達とは違う。存在が怪しい架空の存在。

すでにご存じの通り,聖書の預言はどれも個人的な解釈に基づいてはいません
ペテロ第二 1:20

エホバの証人の予言解釈は、統治体の多数決もしくは、声のデカイ統治体員の個人的な解釈なんだけど。

ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

聖書の神の自己主張。

私は,結末を初めから,まだ行われていないことをずっと前から予告する。『私の決定はその通りになり,私は自分が望むことを全て行う』と言う
イザヤ 46:10

おいおい、とんだ茶番だね。サタンやアダムの行動を読めなかった予想能力ゼロの神が何言ってくれてんの?結末もまだまだフラフラするんでないの?もはや、この神が存在するというのが無理筋。

騙されるための素地を、自ら整えるエホバの証人

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「終わりの時代」のしるし、「宗教の偽善」を体現するエホバの証人

偽善の宗教、エホバの証人

別に、「家族の絆」は弱まっていない

昨日までの記事の続き。エホバの証人的「終わりの時代」のしるしが現代で実現していないことを明らかにするシリーズ。最終回。

現代人のモラルは、ソドムとゴモラ、ロト親子よりはマシ

昨日までの内容で、エホバの証人的「終わりの時代」のしるしがひとつたりとも実現していないと書いた。

今日は、「家族の絆が弱まる」から。こんな量りようのない、曖昧なことは本来しるしになりようがない。むしろ、家族の絆が弱まっているのはエホバの証人の家族だけではないのか?わが家もエホバの証人が理由で一家離散した。

仕方がないので、むりやりエホバの証人的「終わりの時代」以前と現代を比べてみる。

例えば、兄弟間で殺人のあったカインとアベルの話。寓話なのだが、人類最初の殺人だった。これは、当時の家族内殺人発生率100%。1家族しかない状態で家族内で殺人が起こっている。

当然、現代はそんな高さではない。兄弟殺しなんてなかなかレアだろう。カインアベルレベルで起こっていたら、人類はこれほど繁栄していない。

エホバの証人が信じる人類の歴史では、当初から兄弟間で殺人があった。それに比べれば、特に現代において「家族の絆」が弱まっているとは言いがたい。むしろ、人類最初の家族以来、エホバの証人の周囲だけで「家族の絆」が弱まっているだけなのでは?

「家族の絆」が弱いのはエホバの証人だけなのでは?

聖書迷子のエホバの証人

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現代のモラルは低下していない!エホバの証人「終わりの時代」神話を解明

果たして、現代人のモラルは低下しているのか?

現代人のモラルは決して低下していない

昨日までの記事の続き。エホバの証人的「終わりの時代」のしるしを終わらせるシリーズ。

地球環境の破壊はエホバの証人的「終わりの時代」のあいだに歯止めがかかっている

エホバの証人的「終わりの時代」のしるし、それは何一つ成就していない。

今日は「モラルの低下」。1914年以降、エホバの証人的「終わりの時代」に、人類のモラルが低下しているらしい。エホバの証人いわく、これが現代が「終わりの時代」である複合的証拠のひとつ。

うーん、モラル低下してるか?人類は悪くなっているのか?

エホバの証人的「終わりの時代」以前と現代を比較してみる。例えば聖書中に出てくるソドムとゴモラの話。寓話にすぎないのだが、エホバの証人的には全て事実の話。なので、現代の状況と比較してみる。

エホバの証人の宗教誌「目ざめよ!」1981/12/8号から

ソドムはどんな訪問者も性的な暴行を受けかねない所だった

ここの住民は他の人の権利に敬意を払わず,自分たちの利己的な願望や情欲を満足させることばかり考えていました

人間の品位がこのようにはなはだしく損なわれている

場所だったと。続いて、教団機関紙「ものみの塔」1967/6/15号から。

「非道の者どもの放縦な行いによってなやまされて」いました。ソドムの住民は動物的な欲望を満たそうとして,明らかに無力な見知らぬ者に暴力をもって臨もうとしました

同じく「ものみの塔」1966/1/15号。

町の住民は「淫行にふけり」,不自然な肉欲を求め,女とみだらな行ないをしただけでなく,男に対しても肉欲をもやしました。おそらく獣とも交わったことでしょう

そして、ソドムから脱出した「義人」のロトは、酔っ払って父娘相姦というおぞましい事態に。しかも二晩に渡って。

こんなゴッサムシティみたいな無茶苦茶な都市は、現代の地球にはない。

ソドムとゴモラの住民とロト親子ほどに、現代の人類の「モラル」は低下していない。

エホバの証人と同性愛、まずは1970年代から調査

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エホバの証人的「終わりの時代」のしるし、一番地球環境を破壊しているのは・・・

史上最大の環境破壊はノアの大洪水

別に「犯罪」増えてないっしょ

昨日までの記事の続き。エホバの証人的「終わりの時代」のしるしを終わらせる話。

エホバの証人的「終わりの時代」のしるし、まだひとつも成就していない

主要4つのエホバの証人的「終わりの時代」のしるしを考慮し、1914年以降の現代に、特にこれらのしるしが当てはまらないことを説明した。

むしろ、1914年以降、これらのしるしが大幅改善、エホバの証人的「終わりの時代」のあいだに世界はよくなっている。

エホバの証人は、これらのしるしが全部同時に起きるのが「終わりの時代」だと主張している。ひとつでも崩れれば、現代は「終わりの時代」ではないということになる。

ひとつどころか、今のところ総崩れ。やはり、現代はエホバの証人的「終わりの時代」ではない。ほんのちょっと理性で判断がつくことなのだが・・・。

1914年以降の現代は、エホバの証人的「終わりの時代」ではない

今日は「犯罪」から検証。「犯罪」が減っているのか、増えているのか?これは世界規模で調べようがない。エホバの証人は「犯罪が増えている」と簡単に言うのだろうが、きっとそうでもない。

念のため、ChatGPTに聞いてみる。

1914年以降、犯罪は増えていますか?

犯罪率は国や地域によって異なり、時期によっても変動するため、一概に言えることは難しいです。また、犯罪率はさまざまな要因に影響を受けるため、一般的なトレンドを特定するのも複雑です。ただし、特定の地域や国において、犯罪率が上昇することや下降することはあります。

歴史的なデータを通じて一般的な傾向を見ると、犯罪率は時期によって変動し、社会や経済の変化、法律の変更、犯罪の種類によって影響を受けます。たとえば、経済的な不況や社会的な不安定が高い失業率や経済的な困難を引き起こす場合、一部の犯罪率が上昇することがあります。一方で、警察活動や犯罪予防プログラムの改善が犯罪率の低下に貢献することもあります。

具体的な年や地域に関する最新の犯罪統計情報を入手するには、該当する国や地域の法執行機関や統計機関のウェブサイト、国際的な犯罪統計データベースを参照するなど、信頼性のある情報源を利用することが重要です。

「変動するため、一概には言えない」というまともな回答。エホバの証人にみたいに「1914年以降、犯罪は増えて世の中は悪くなっている」って簡単に言っちゃダメ。そんな悲観的だから、カルト宗教に騙される。

これは判定不能ということで「△」。というか、

1914年以降、世界中で右肩上がりにぐんぐんと犯罪が増えているわけではない。

だから、「×」でもいいくらい。

エホバの証人的「終わりの時代」のしるしの成就、初めて△が

一番、地球環境を破壊している奴は・・・

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エホバの証人的「終わりの時代」のあいだに、世界は良くなっている

エホバの証人的「終わりの時代」のしるしは走り去ろうとしている

飢饉は、エホバの証人的「終わりの時代」のしるしではない

昨日の記事の続き。エホバの証人の「終わりの時代」のしるしに終止符を打つ。

戦争は現代が終わりの時代のしるしにはならない

昨日の記事で、「大規模な戦争」がエホバの証人の言う「終わりの時代」である1914年以降の特徴ではないことをあげた。続いて、飢饉。数値は、『ファクトフルネス』という本を参考にしている。

飢餓を、世界の全人口に占める低栄養の人の割合で量る。すると、1970年の28%から、2015年で11%に減っている。エホバの証人的「終わりの時代」の間に劇的改善がみられる。

昨今、「コロナ禍、ウクライナ紛争で、飢餓人口が1億人も増えている」という報道があるけれど、こんなのでエホバの証人は「終わりの時代のしるしガー」とか言っちゃうから騙される。

飢餓人口が1億人増えていると言ったって、いつに対して増えたのかきちんと考えないと。2019年⇒2022年の話。ここで1億人増えたって、1970年に比べれば、飢餓人口も世界人口に占める飢餓人口比も減っている。1970年の飢餓人口は28%、世界の3割が飢えていたんだよ。

1900年には16億だった世界人口が、現在では80億人、世界人口が増えているのに、飢餓人口の占める割合が減っている。つまり、お腹いっぱいな人が劇的に増えているわけで、飢饉はエホバの証人的「終わりの時代」の間に、順調に減っている。

前述した、近年の飢餓人口増加というのは、SDGs(持続可能な開発目標)の2030年までに「飢餓をゼロに」という文脈に対して語られることが多い。既に次元が違う。

これからの将来、飢餓人口がゼロに近づくことはあっても、1970年レベルの世界の3割が飢えるというレベルに至ることは考えにくい。

エホバの証人的「終わりの時代」が始まった1914年以降、世界の食糧事情は大幅改善。飢餓をゼロにする試みが間で進んでいる。よって、現在は「終わりの時代」ではない。

飢饉もエホバの証人の「終わりの時代」のしるしにはならない

エホバの証人的「終わりの時代」に、世界は良くなっている

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エホバの証人的「終わりの時代」のしるしを、終わりにする

エホバの証人の「終わりの時代」のしるしとは?

エホバの証人の公式サイト、聖書Q&A『「終わりの時代」にはどんなしるしが見られますか」。ここには、聖書にあげられている「終わりの時代」のしるしが列挙されている。

  • 大規模な戦争
  • 飢饉
  • 大地震
  • 病気
  • 犯罪
  • 地球環境の破壊
  • モラルの低下
  • 家族の絆が弱まる
  • 神への愛が薄れる
  • 宗教の偽善
  • 聖書予言についての理解が進む
  • 世界的な伝道活動
  • 無関心やバカにする態度

こういったことが1914年以降起きているので、現在が「終わりの時代」だというのがエホバの証人の主張。

現在が、エホバの証人が主張するような「終わりの時代」でないことを示すために、これらのしるしが、1914年以降の現代の特徴でないことを示す。エホバの証人的「終わりの時代」のしるしを、終わらせる。

以下、以前にも引用している『ファクトフルネス』を一部参考にしている。

1914年以降、大規模な戦争が起きるようになったわけではない

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1914年以降の現代は、エホバの証人的「終わりの時代」ではない

大地震が増加していないことが、1914年以降の現在がエホバの証人的「終わりの時代」でないことの根拠

エホバの証人公式サイトのトップ記事で、論点すり替え

昨日の記事の続き。エホバの証人公式サイトのトップに出ている、情弱信者を騙す用の記事『大地震 聖書はどんなことを預言しているか』を否定している。これ以上、信者が騙されないように。

地震はいつの時代もあったのだから,今が特別な時代というわけではない

という、正当な主張。これは昨日までの記事で証明した。1914年以降、とくに地震の増加は見られない。

エホバの証人公式サイトでは、これを誤解として、以下のように述べている。

わりのとして,だけでなくほかのつかのきるとしていました

これを事実として、「『終わりの時代』にはどんなしるしが見られますか」という記事へリンクを張っている。

このやりとり、誤解と事実としているのだが、文脈として成り立っていない。

誤解:「地震はいつの時代でもあったのだから、今は特別な時代ではない」

に対する事実の回答が

事実:「地震以外にも、終わりの時代のしるしがあると聖書に書いてある」

何ら回答になっていない。回答するのなら、地震が1914年以降増えている根拠を示さなければならない。この証明はこのトップ記事内でもされていない。そのため、他にも終わりの時代のサインがある、と論点をすり替えている。

エホバの証人は、軽い揺れの地震を大きな地震と呼んでいる

今は、エホバの証人的「終わりの時代」ではない

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バチカンが存在する限り、エホバの証人の予言する「終わり」は来ない。そのわけは・・・

頑張れ、バチカン

エホバの証人の自作自演

昨日の記事に絡めて、聖書のマタイ24章14節

らせは,てのけるようにえられます。それからわりがます

良い知らせとやらが、全ての国の人々が聞けるように伝えられないと、終わりがこない。

とりあえず、こんな事象は現在起こっていないので、終わりはこない。

と言ってしまうと、今日の話は終わりなので、自称良いたよりを知らせているエホバの証人に話をあわせる。

エホバの証人が世界中で布教していること、これが終わりの日のしるしだと、エホバの証人は自称している。

これは単なる自作自演だし、家庭不和をもたらすエホバの証人が良い知らせのはずがない。事実、エホバの証人が知らせるのは、ハルマゲドンで世界中の体制と人民が滅ぶなんていう悪魔じみた知らせ。

なのだが、これだと今日の話がまた終わってしまうので、エホバの証人に再度話をあわせる。

限界を超えて、エホバの証人に譲歩してからの、やっと今日の話。

エホバの証人のいる国の数は?

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エホバの証人のキリストはなぜか2回降臨、初回は地味だけど

エホバの証人のキリスト、2回目の降臨こそはド派手に

天と地と、エホバの証人の主張の矛盾

昨日の記事の続き。

マタイ24章29-31

その期間の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月は光らず,星は天から落ち,天の力は揺り動かされます
その時,人の子のしるしが天に現れます。そして,地上の全ての民族は胸をたたいて悲しみ,人の子が力と大きな栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見ます。
そして人の子は,大きなラッパの音と共に天使たちを遣わし,天使たちは,四方から,天の果てから果てまで,選ばれた者たちを集めます

マタイ24章の記述だと、天変地異が起きてから、世界がキリストの臨在を見て嘆き悲しむ。そして、ラッパが吹かれる。テサロニケ第一4章にもラッパが登場。

テサロニケのラッパは、もろにキリストの臨在と同時に吹かれるモノだった。

テサロニケの信徒への手紙一4章15-16

主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。
すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、

エホバの証人の1914年臨在設定だと、1914年に、人類には聴こえないラッパが吹かれてキリストが臨在。過去の義人の天への見えない復活が起こっている。これはテサロニケのラッパ。そして現在に至る、今ここ、大患難待ち。

マタイの記述からすると、大患難が起きると、もう一度キリストの臨在っぽいことが起こる。満を持してキリストが再登場。これは全世界が見ることになる。そして、オレみたいな反抗的な奴が泣きを見る。

それで、再度ラッパが吹かれる。これで地上の義人が天に召集される。こいつらが、地上で生き残っている統治体ほか、という設定。

ここは、聖句を読むと矛盾がある。マタイでは「天の果てから果てまで、選ばれた者たちを」集めると書いてある。この時点では、統治体は地上で生き残っているから、天から集められるのはおかしい。

そのため、エホバの証人の文献では、この部分はマルコから引いていることが多い。マルコ13章27節

人の子は天使たちを遣わし,四方から,地の果てから天の果てまで,選ばれた者たちを集めます

ここはかろうじて、「地の果てから天の果て」となっているので、エホバの証人的に、地上から天に召喚される設定の統治体を含む、と読ませている。

とはいえ、この時点で、天から、つまり既に死んでいる者の天への復活はエホバの証人的に起こらない。1914年の第1次ラッパで召喚されている設定なので。

なので、この部分はエホバの証人的には「地の果てから地の果て」でないとおかしい。マルコでは「地-天」、マタイでは「天」のみなので、少なくとも「天」が必須。

だから、1914年に過去の義人が天に復活しているなんてのは、早とちりも良いところ。特大フライング。

エホバの証人のキリスト臨在は、リハーサルあり

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聖書予言、エホバの証人の神のラッパは誰にも聴こえない

聴こえないエホバの証人の神のラッパ

エホバの証人の神のラッパは、誰にも聴こえない

昨日の記事に続いて、キリストの臨在について。

エホバの証人組織は、どうしてもキリストの臨在が1914年に起こったことにしたい。1914年に臨在したキリストが、エホバの証人の統治体を任命したと、自称している。この理屈が通らないと、信者の上に君臨できない。

聖書の記述と照らし合わせていくと、このエホバの証人の設定に無理があることが見えてくる。

テサロニケの信徒への手紙一4章、共同訳から

15節

主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。

エホバの証人の新世界訳では、「主が来られる時」は「主の臨在」と訳されている。なので、この部分はエホバの証人的には1914年に起こったことが記述されていることになる。続く16節

すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、

キリストの臨在の際、合図の号令、大天使の声、神のラッパというド派手さでキリストが天から降ってくる。と書いてある。

当然、こんなことは、エホバの証人の言うところの1914年には起きていない。

エホバの証人的には、「すべて霊的なことなので、人類には見えない」という設定で逃げている。1914年に復活したのは過去の義人で、天に復活しているので。

合図の号令、大天使ミカエルの声、神のラッパ、これだけ揃っておいて、人類には聴こえないってのはどうしたことだろうか?エホバの証人設定には無理がある。

臨在が、聖書の読み手である人類の誰にも見えないモノなのだとしたら、聖書筆者は、こんなド派手演出として表現しないだろう。

またも、マタイ24章から

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