1995年の偽予言者たち
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
オウム真理教教祖の麻原が教団の著作物のなかで
「1995年の選挙でアメリカ大統領となる人物とその時点でのソ連の書記長がハルマゲドンへと世界を導いていくだろうね」と予言する。予言はもちろん外れた
なかなかのおバカ予言だが、エホバの証人も似たようなことをやっている。真っ黒歴史。
エホバの証人は、「目ざめよ!」という機関紙の発行目的に次のように書いていた。
本誌は、1914の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという、創造者の約束に対する確信を強めます
この創造者の約束は守られなかったわけで。エホバの証人の創造者はポンコツ。
1914年のできごとを見た世代が過ぎ去りそうになった1995年10月を境に、このエホバの証人の予言はコッソリと姿を消した。1995年11月号からは「1914年の出来事を見た世代」の文言は消え去った。
しかし、予言ハズし後の1995年11月以降も、「平和で安全な新しい世について創造者が約束している」とはしつこく記載。
前述のとおり、エホバの証人の神は刻限の約束も守れないポンコツなので、こちらの約束が守られることもない。
というか、オレの周囲は十分に平和で安全なんだけど。ポンコツ神要らないっす。
エホバの証人的には、神こと創造者がポンコツなのではなく、創造者のメッセージを伝え間違えたエホバの証人の統治体という教祖集団がポンコツということになる。
結局ポンコツの予言は当たらないのだが、エホバの証人はそうは考えられないので、不毛な宗教活動を続けている。
こういった終末を騙る偽予言者や偽キリストが現れると、散々キリストも警告していたのだが、自称キリスト教徒エホバの証人はこういった不都合なことには盲目。
オウム真理教とエホバの証人
エホバの証人やオウム真理教の予言がハズれた1995年、
オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた。高校生だった筆者は、社会性が弱く、それまでテレビニュースにほとんど興味がなかったのに、毎日報道されるオウム情報にほとんどの人よりも吸引力を感じていたと思う。それは筆者が、自分の出身教団も外から見れば、同じようにグロテスクなのだと感じて、ある種の興奮を覚えたからだった
当時の私は中学生だったが、まだエホバの証人の創造者の存在を信じていた。だから、オウム真理教はカルトだが、エホバの証人は正しいと思いこんでいた。
それれこれも、私が1994年にエホバの証人を脱会したため。1995年の予言ハズシを知るすべもなく。それで、私は1995年以降も、「1914年の世代が過ぎ去るまでにハルマゲドンがくる」、と思いこんだまま生活していた。
オウム真理教がグロテスクなのは日本人の共通認識ではあるが、果たしてエホバの証人もそう思われているのか?
本書の筆者は、エホバの証人の内実をよく知った状態で、エホバの証人の欺瞞にも気付く覚醒状態にあった。だからエホバの証人はオウム真理教と変わらないグロさだと認識していたが、一般社会はそうでもない。
世間には、表面や体裁を取り繕うエホバの証人の巧妙な仮面に騙され、穏健なクリスチャンだと誤解する向きがある。
この辺の世間の誤認を書き換え、早々にこのグロいカルト、エホバの証人を消し去るべく、私は情報発信している。
エホバの証人は1995年に信者を欺き予言をハズした。ハルマゲドンがくると信じて疑わなかった信者は人生計画を誤り、財産や時間を搾取された。その信者に対し、補償どころか謝罪すらない。
エホバの証人は、輸血拒否という教団を差別化させるための教理で子どもや情弱者の命を奪ってきた。かつて子どもへの体罰を大推奨していたが、時代の変化とともに、体罰の推奨が無かったことにしようする卑劣さ。
海外では児童への性的虐待の訴訟を抱えており、さらなるグロテスクさ。日本国内でも訴訟のように顕在化はしていないが、性的虐待の被害者は存在する。声を上げることができない被害者はさらにいると考えられ、エホバの証人が児童性虐待の温床になるのは、その教団の特徴ゆえだと考えられる。
こんなグロイカルト宗教エホバの証人。野放しにしたらいけませんよ。