エホバの証人の特権マスターベーション、トイレ掃除と同列の特権「伝道奉仕」

自分だけが気持ちいい、エホバの証人の特権マスターベーション

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」。昨日の記事に引き続き、エホバの証人(通称JW)の特権崇拝について考察。

本資料ではエホバの証人組織での「特権」というキーワードの使われ方が2つ提示されている。

1.快感神経を刺激するような使い方

2.少々屈折した使い方

1.の快感神経を刺激する特権という言葉の使い方は

「ラッセル兄弟と食事のテーブルを共に囲むという特権に与かりました」のような使い方。本資料には気持ち悪いくらいこの使用例が出てくる。このような言い方が半ば癖のようになっている信者もいると、指摘されている。

教団内の重責者と一緒に食事をした、布教活動を行った、一緒に講演した、そういうことが特権だと自慢する使用法。これは、

特権がいかに快感神経を刺激するとは言え、気持ちいいのは言っている本人だけ。周囲にとってはただの自慢だし、信者でない私からすると「気持ち悪っ!」と感じざるを得ない。

現役信者の方には、自分だけが気持ちいい特権マスターベーションは是非控えて頂きたい。本資料では、マジメに人物崇拝、特権誇示の危険性を次のように警告している。

特定の人物と特権意識が結びつくとすれば、それは人物崇拝になりかね ない。「教祖様の御顔を拝する光栄に浴しました」というのと、「ものみの塔協会の会長ノア兄弟と交わる特権に与りました」というのは、それほど大きな違いはない

あるいは、そういう言い方をすることによって自分の立場や組織を誇示しているのであれば、真のキリスト教とはまったく無縁の世界

この俗っぽさ、人物崇拝こそがエホバの証人の本質。

本当は「やりたくない」特権

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エホバの証人(JW)の特権という、中毒性のある猛毒

エホバの証人の特権体質という中毒症状

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」の項目。エホバの証人(通称JW)組織の特権崇拝について考察されている。

私のように親に強制された2世信者ではない、1世の信者。彼らは人間的に幼稚で、自身の人格的欠落や劣等感を埋めるために、エホバの証人というカルトに逃げた人がほとんど。

1世信者のコンプレックスを埋めるために利用されてきたのが、ものみの塔協会が用意した特権というエサ。この特権は様々で、衆人の前で講演したり、インタビューされたり、組織の役職を得たり。

この特権を追い求めると、聖書的生き方や真理などは二の次、特権第一となる。特権=神の是認とこじつけられているので、たちが悪い。

驚くべきことに、この特権に実利は全くない。

面倒くさい講演をした後に、拍手を浴びたり、教団内の身内同士で「素晴らしい講演でした!」と褒め合ったりという気持ちの悪さ。

教団内の役職をいくらあげようが、給料が貰えるわけではない。ほとんど無償。一部、手当が出るような階層もあるのだが、スズメの涙。下に抱える人数の多さや奪われる時間で比べれば、一般企業の比較にならない。

最上層まで駆け上がって権力を完全に掌握すれば、やりたい放題の酒池肉林生活が待ってはいそう。しかし、そこに上がるまでに、上層部に媚び媚び、権力闘争に打ち勝ち、そんな不毛な努力をしている間に、まともな人間なら自己嫌悪に陥るはず。

そこまでして贅沢生活をしたいのなら、一般社会で真っ当な努力を積み重ねた方が確実。この件は、ものみの塔協会二代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義にて。つまり、

エホバの証人の特権に物質的な価値はゼロ。元々の人格的欠損を埋め合わせるための中毒物質。一旦、わずかでも特権を得た人々は特権中毒になる。エホバの証人の特権を追い求める不毛さに全く気がつかない。特権を死守するために、人生をムダにする

聖書に「特権」というワードは出てこない

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ものみの塔協会、「秩序」より「取り決め」

ものみの塔協会、「秩序」より「取り決め」体質

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書」から。「取り決め偏重の体質」の項目。

エホバの証人(通称JW)ものみの塔組織では、「取り決め」が多い。こうなると、私みたいないい加減な人間は堅苦しくて仕方がない。子供の頃からこの「取り決め」体質がうんざりだった。

「取り決め」の元となる「教義」も堅苦しくて、信者の実生活や精神に害をもたらす。代表的なのが「輸血拒否」で、命まで亡くした信者も多々。まさにカルト。

本項では、ものみの塔の取り決め偏重姿勢が、自身が翻訳した新世界訳聖書の解釈と紐づけられて解説されている。

大概の聖書が「秩序」「order」と翻訳しているところを、なぜか新世界訳では「取り決め」「arrangement」と訳している。コリント第一14:40

組織上の権限を持つ者が「秩序正しくやりましょう」と言うのと、「取り決めに従ってください」と言うのでは雲泥の差

信者を統制しやすいように、聖書を都合よく解釈しているのが、ものみの塔聖書冊子協会の新世界訳聖書。

この翻訳は、ものみの塔協会の次のような独善的な行動指針に基づいたモノ。

聖書の教えが先ではなく、組織の取り決めが先になるという現象である。 組織の方針が先に決まっていて、まず必要な取り決めを造る。そして、その取り決めを正当化できるような聖句を、聖書の中から捜してくるというやり方※咲き⇒先に訂正

そして、その聖句は独自のご都合解釈がなされている。「秩序」より「取り決め」の解釈。

ものみの塔協会が存在を主張する悪魔サタンがいない根拠

ものみの塔協会にとってだけの都合の”良い便り”

エホバの証人の伝道者とは?奉仕報告とは?

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統治体絶対視、組織盲従というエホバの証人の罪

ものみの塔崇拝という罪を犯すJW

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書

エホバの証人という宗教の罪は、ものみの塔という偶像崇拝、組織崇拝。私は偶像崇拝しようが組織崇拝しようが罪だとは思っていないのだが、エホバの証人たちは違う。

エホバの証人は神以外に信仰を持たないように、敬意を示さないようにという教理のもと、偶像崇拝は禁止。当然、神以外の何らかの組織を崇拝することも罪。

ところが、いつどこですり替わったのか、エホバの証人はものみの塔という偶像を崇拝し、ものみの塔聖書冊子協会という組織を崇拝している。さらに行き過ぎて、統治体という人間の集団を崇拝するという本末転倒ぶり。

その

組織の氾濫、組織一色

というものみの塔協会の体質について、本資料ではエホバの証人の使う新世界訳聖書の翻訳から考察されている。

信仰の対象は、エホバの証人であれば、どこまで行っても神エホバ、譲歩してもキリストまでの信仰であるべき。ところが、ものみの塔協会は神でなく人間に信仰を置くように誘導している。

神の軽視。ものみの塔協会の幹部連中は、神の存在など端から信じていないのだろう。だからこうして軽々しく神権を侵犯できる。特権・物質主義者。神の名を借りる蛇。

エホバの証人と十字架~ものみの塔という偶像

エホバの証人の犯すものみの塔崇拝という罪

モーセを信仰するエホバの証人

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恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

エホバの証人(JW)の布教活動とは

私はほぼ生まれながらのエホバの証人の二世信者だった。エホバの証人とは通称JWというキリスト教系の新興宗教。直球で要約すると、輸血拒否で信者が亡くなったり、教団内での児童性虐待が問題になるカルト。

二世信者とは親の宗教を無理やりに踏襲させられる子供のこと。エホバの証人の場合は子供に幼児教育や大学教育を受けさせない場合が多く、私も小学校に入る前に幼稚園や保育園には行っていない。

幼児教育を受けなかった代わりに、両親によってエホバの証人の布教活動に連れ回されていた。同年代の子供のように遊ぶことも出来ないし、夏でも冬でも関係なく、ひたすら家から家へ回る。私はこれが嫌で嫌で仕方が無かった。

エホバの証人の布教活動は、信者たちからは「伝道活動」「奉仕活動」「ボランティア」など呼ばれている。基本的には住宅街をしらみつぶしに一軒ずつ訪ねて回る昔ながらのセールス方式。

最近では、駅前などで立て看板と一緒に立つ街宣方式もよく見かけた。この街宣方式も相当にヤバい。私の住んでいたような田舎で、この街宣方式をやると学校の同級生などに漏れなく目撃される。尋常でない屈辱感。何の罰ゲームかと。

2022年現在、家から家へのセールス方式も街宣方式も恐らくコロナ禍で両方ともストップ。電子媒体での勧誘に移行しつつある様子。電子手段にせよ人間方式にせよ、わが家にはこの不幸の伝道者がここ5~6年は来ていないので、布教力は私が強制されていた頃に比べて低下しているのだろう。

まさに「不幸の伝道者」であるエホバの証人

エホバの証人の勧誘のための伝道奉仕活動

見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす恐怖

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元JW2世、節分の屈辱の記憶

節分、屈辱の記憶

今日は節分で豆をまいて「鬼は外、福は内」とやるのが日本の習慣。私の小学校の頃はもれなくこの行事があった。かれこれ30年以上前。今でも息子の幼稚園で豆まきがあるので、まだ廃れずにこの伝統が継承されている。

とはいえ、私は小学校の頃、豆まきが出来なかった。理由はエホバの証人という宗教の二世信者だったから。エホバの証人とは通称JWというキリスト教系新興宗教。両親が信者だったので、私ももれなく当然のように二世信者とされた。

戒律が厳しい原理主義で、キリスト教以外の異教由来の行事の一切が禁止。大人から子供に至るまでもれなく。

節分、七夕、七五三、日本古来の行事は全てNG。クリスマス、イースター、バレンタイン、一見キリスト教っぽい行事も宗派が違うので禁止。

他には輸血拒否して死亡する信者がいたり、兵役拒否、武道の禁止、選挙、投票しない、国歌、国旗への不敬意、国家の法は厳守する立場を取りつつも教団の戒律を優先する。といった危険なカルト団体。

かつて子供に体罰を行い、時代の変化に合わせて体罰は隠蔽、教団内は児童性虐待の温床になっている。

つまり、教団内に多少の隣人愛があろうとも(これも今はないか)、エホバの証人は最低最悪な宗教団体。

しかし、二世信者の子供の日常で辛いのは、学校行事への不参加だったり、給食前に合掌せずにJWスタイルで祈らなければならないこと。要は、クラスメイトや教師からの「変り者」という視線が痛い。地味に傷つく。これが毎日なので傷は深く深く、痛みは蓄積されていく。

皆が楽しそうに豆をぶつけあっているのは、もちろん羨ましい。一緒にやりたい、という気持もあるのだが、それ以上に一人見学している恥ずかしさ。

「早くこの時間よ。過ぎ去ってくれ」私はいつもそう思っていた。これがエホバの証人二世の子供だった私の一番の辛かった記憶。屈辱。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

救いのない宗教、エホバの証人

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宗教構造の3つの分類と真理モード

宗教構造の3分類

最近読んでいるエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。

『欠陥翻訳ー新世界訳』の5章「聖書の翻訳と教義」の終盤部分。<地上における権威の三つの型>が紹介されている。聖書解釈の権限を誰が持っているかというキリスト教の宗派の分析から、宗教全般の構造の分類へあてはめている。

  1. 個々の信仰型
  2. 啓示、預言者型
  3. 組織、官僚型

1.の個々の信仰型にはインパクトが欠け、エネルギー不足になると問題提起されている。必死に宗教にすがる必要を一切感じない私にとっては、このレベルで充分なのだが。家族第一、自分第二、仕事に趣味があって、最後の最後に極薄0.01ミリで宗教。

この資料でも、後の文脈を辿ると結局は1.個々の信仰型がベストという地点に帰結する。

エホバの証人は、当初は2.の啓示、預言者型から3.の組織、官僚型へ移行。初期のものみの塔協会会長のカリスマ型から現在の統治体型へ移行。教祖型宗教が最後に落ち着くのもこの組織型とも考察されている。

2.と3.の偽預言者と組織幹部たちに向けて痛烈な一言を引用すると

神やキリストが現れないということは、非常に都合の良いことではないかと思う。いつまでも現れなければ、いつまでも神とキリストの名を借りて組織支配を続けることができる

ものみの塔協会もこのタイプ。この世の終わりが来て真っ先に始末されるべきは、偽預言を繰り返し多くの人々を欺いた自分自身。キリストが顕在しても、統治体が統治権という特権を手放すとは考えられないとも指摘されている。

自らの偽預言が成就すると困るのは偽預言者自身であり、また、偽預言者は自らの偽預言が決して成就しないのを知っている。これがカルトの信者搾取システム。

偽預言者の終末ビジネスが成り立つ理由

ものみの塔協会の統治体の予言は時代ごとに現れる偽預言者の世迷言

真理のモードとは

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解釈の困難な聖書の真実が明らかになる方法とは

自ら輸血が必要な状況を招いているJW信者

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』より。昨日の記事で壮大なJW人体実験が導き出したキリスト教の普遍的真理について書いた。

ほぼ全てのJW信者が病んでいる。脳内お花畑の信者でも身体を病んでいたり。「輸血拒否、輸血拒否しなきゃ」と輸血拒否主張カードを携帯してまで念じているので、逆に輸血が必要な病状を引き寄せる。

身近な人で輸血が必要になったという話を、エホバの証人以外から聞いたことがない。「輸血が―」と言って、病院で困っているエホバの証人の話はよく聞く。あげくの果てに輸血拒否で亡くなったり。

私も子供の頃その一人だった。輸血拒否をイメージすることで輸血が必要な状況を自ら招いている。何たる不幸。

このJW信者の抜群の不幸さはJW教義の非真理を証明する。JW教理が非真理であれば、キリスト教の聖書の解釈の方向性が見えてくる。非真理確定のJWの教理の逆が正しい。神は三位一体として存在し、神の名はエホバでないし、輸血したって何の問題もない。目の前の命を大切にする方が大事。

このように乱暴な方法でキリスト教の普遍的方向を定義した訳だが、本資料では聖書解釈において

絶対的な基準が確立される、あるいは明らかになる道が残っている

と書かれている。

解釈の困難な聖書の真実が明らかになる方法とは

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壮大なJW人体実験が導き出したキリスト教の普遍的真理

エホバの証人という壮大な人体実験

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』から。エホバの証人(JW)が使用していた旧版の新世界訳聖書について。

第5章『聖書の翻訳と教義』の後半部分より。

聖書とキリスト教が抱える根源的問題を簡潔に指摘している。聖書の解釈に<絶対的な基準はあるか>の項。

聖書が解釈を待つ本

であり、

「聖書解釈の絶対的な基準はない」

という結論。というのも宗教上の真理という幻想が持つ性質による。

科学的実験は繰り返せば真偽の確認ができ、絶対的な答えが導かれると述べた上で宗教上の真理は違うと続く。

道徳や戒律、規則であれば、守ってみて、本当に人を幸福にするものなのか、人間にとって必要なものなのかどうか、確かめることができな いわけではないが、それでもかなりの個人差がある。

この実験結果が不幸だらけのエホバの証人。壮大な人間実験の失敗。絶対的な真理は導き出せないが、絶対的非真理はこのエホバの証人の人間実験で明らかになった。ものみの塔協会とエホバの証人(JW)は普遍的非真理である。

ものみの塔協会が真理の組織である根拠は○○だから

偽神「エホバ」と偽りの塔「ものみの塔」

キリスト教の普遍的真理を見極める簡単な方法

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JW(エホバの証人)の統治体の聖書的無根拠~すりかえ

統治体の聖書的無根拠

ものみの塔協会の字義病偽装によるこじつけ解釈

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』。ものみの塔協会の翻訳した新世界訳聖書について。

第5章『聖書の翻訳と教義』の前半部分から。ものみの塔協会の教義がいかに都合よく聖書を解釈したものだらけなのか、例を挙げて説明されている。

資料中で

もうほとんど字義病

と表現されている。

ものみの塔協会は、教義をこじつけるために字義病を装っている。聖書のAとBで同じ意義の言葉があった。であれば、AとBは同じ預言を意味していると。完全なこじつけ。自分たちに都合よくこじつけるために字義訳を濫用している。

日本昔話シリーズの『桃太郎』も『浦島太郎』もどっちも太郎なので同一人物。「よって、鬼ヶ島も竜宮城も同じ場所、乙姫は実は鬼だった」「亀の頭は犬を、亀の手は猿を、亀の甲はキジを表している」みたいなこじつけ。

ものみの塔協会の字義病偽装による解釈はこのレベル。

ものみの塔協会にとって都合の良いこじつけ解釈の例が本資料で引用されている。『ものみの塔誌1987年7月1日』号。

すでに『立って』いるイエスがその時に「立ち上がる」とはどのような意味ですか(ダニエル12:1)それは、イエスの支配権が言わば新しい局面を迎えるということです。

すでに立っている奴がさらに立つわけない。ただの誤訳。それを「新しい局面」というふざけた解釈を持ちだしている。なんすか。新しい局面って?勝手に都合の良い解釈を付け加えているだけ。

この記事は、時期的に私の家族もリアルタイムで読んでいる。父は聡明だと思っていたのだが、この記事を鵜呑みにしていたと思うと・・・。私も気を付けなければと思う。ものごとを信じやすい性格、同じ血が流れているのだから。

『解毒』~輸血拒否と洗脳されやすい人

ものみの塔論理テクニック「ひけらかし」

エホバの証人の統治体の聖書的無根拠

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