アダムの原罪こそが、人類を進化させた英雄的行動
『近現代日本とエホバの証人』から。第一章「エホバの証人の救済観と組織観」の後半。
人間の原罪の話。
エホバの証人における救済は、個人における現実的な幸福追求と著しく矛盾し干渉しあうようにも映るが、そもそもエホバの証人においては、何が幸福かを人間が自ら決定すること自体が不幸の原因とされている。
エホバの証人的生き方は個人における現実的な幸福追求とは正反対。昨日の記事でも書いたが、エホバの証人は間違いなく不幸になる。
この点を正当化している『ものみの塔』の記事によると
人間は神から独立するようには創造されていない
いや、例え神から独立するように創造されていないのだとしても、私は神から独立するよ。神が私の独立を妨げるのなら、ちっぽけな命を賭けて断固神と戦う。そもそも、そんなケチくさい神は人間の想像の産物。
人類の原罪とされているアダムとエバの神への挑戦。これこそが盲目だった人類を刮目させ、素っ裸の動物から知識と恥じらいを備えた人間に変えた英雄的行動。永遠に生きる家畜から、有限の「時」という概念を知った高度な知的生命体への進化。
自由意志の行使タイミングを大きく間違えているエホバの証人
“英雄アダム、自由意志を放棄または没収されるエホバの証人” の続きを読む