崇教眞光、エホバの証人との類似点
『みんなの宗教2世問題』、1章「当事者たちのさまざまな声」。崇教眞光の2世脱会者の体験。
眞光という宗教では
三日間の初級研修を受講することで、初めて御み霊を拝受でき、これを首に掛けることで、人類で初めて一般人が手かざしという、神様の光を手から出すことが許されるとされています
「初級研修を受けた一般人」が、手から神様の光を出すことができるらしい。
これがエホバの証人の場合だと、
神から油注がれたと感じた信者のうち、教団内でうまく立ち回った米国系統の信者たちが統治体メンバーに選ばれる。統治体メンバーだけが神の言葉を伝達することが許されるとされている。
似たり寄ったり。
眞光では「神の御名を穢す」という教えがあり、眞光の組み手なのに、自分が不幸だということを一般の人に知られてはいけないというのがあります。簡単にいうと、手かざしがあるのに、なんで幸せじゃないのか、手かざしとか眞光ってインチキじゃないかって一般の人に思われただけで、「罪を積む」という教え
信者に対して情報統制を敷くのと同時に、外部に対しても真実が出ないように制御されている。やはり、エホバの証人と似たような感じ。基本は抑えているわけだ。
エホバの証人の場合は、当然「神の御名を穢す」のは罪なのだが、勝手に神の名を「エホバ」と騙っている時点で論外。まず組織として罪を背負っていると考えた方が良い。
エホバの証人も、ことさら自分が不幸だということを一般の人に知らしめるのは「ふさわしくない」と考えられている。簡単にいうと、真実が外部に漏れて、統治体とかエホバの証人ってインチキだと一般の人に気付かれる(大概の人は気付いているというか、相手にもしていないのだが・・・)のを防ぐため。
多くの場合、エホバの証人信者は家族を失い、人生を大きく損ねている。絶賛不幸のまっただ中なのだが、本人たちはそれに気付かない。
人間らしい心を失い、「エホバがー、エホバがー」を連呼。自身の圧倒的不幸な状況から目を背けている。楽園とか永遠の命、復活といった、ニセモノの希望に惑わされている。
まずは1ヶ月間、エホバの証人に会わないチャレンジを
この眞光元2世信者が教団に疑問を持ったきっかけは
小さい頃から毎日眞光の道場に行ってたのを、ちょっとずつ減らしていって。まず二日に一回にして、三日に一回にして、一週間に一回、最終的に一ヶ月に一回だけ道場に行くように
したこと。
現役エホバの証人もこれがおススメ。
集会に行く回数を減らしてみる。Zoom参加を増やしてみる。隔週参加にしてみる。一ヶ月断ってみる。
「信仰が弱まるから、毎週参加するように」と教団側は指導しているが、教団の都合の悪い部分に、目ざめられるのを嫌っているだけ。信者のマインドコントロールが解けるのを防いでいるだけ。そもそも、
確信とか専心とか献身とか、大げさな言葉で信仰を表明させておいて、ちょっとやそこら集会参加を減らしたからって、信仰が揺らぐものか。その程度の信仰だったのか?
はい、まずは1ヶ月間、エホバの証人に会わないチャレンジを試してみよう。きっと心身ともに健康になるよ。