エホバの証人親子で殴り合うハメには・・・
私は、14才のときに親と殴り合ってでもエホバの証人をやめると決断した。エホバの証人2世のバランスが崩れるとき、壊れるときの話の続き。精神的に臨界点だったので、親と殴りあってでもエホバの証人をやめるつもりだった。
当時の父は、エホバの証人の長老という立場にありながら、暴力的だった。モノを投げつけてきたり、私のモノを壊したり。暴力の原因はすべてエホバの証人。
エホバの証人的に微妙な学校行事への参加でもめたり、普通の音楽を聴いていたりすると暴力発動。エホバの証人的に「ふさわしく」ない私の行為を停めるために暴力をふるうという、宗教第一の人にとって、もっとも「ふさわしく」ない行動にでる。
エホバの証人は、都合の良いときにだけキリスト君が神殿で暴れた話を持ちだして、暴力を肯定しようとする。ひとつ言っておこうか。「あんたはキリストか?」そして、「キリストが神殿で暴れたのはただの横暴だよ。失うモノが特にない奴がキレただけだろ」。
こういった不条理な暴力に屈し続けるのは我慢ならなかった。そして、エホバの証人をやめなければ自分が保てなかったし、エホバの証人をやめなければ生きている意味も無かった。エホバの証人と同時に、親を捨てる覚悟をキッチリ決めた。
ここまで、不退転の覚悟を決めると親の態度も軟化。結局、殴り合ったりせずに済んだ。
私のフィールドへの侵入は、神であれ許さない
“たとえ神であれ、私の人生に立ち入ってくることは許さない” の続きを読む

