高潔さの対極、エホバの証人
エホバの証人の週日の集会(4/8-4/14)。
「高潔さを捨てずに歩む」という気持ち悪い歌で集会が始まる。
最初の話もダビデにならって「高潔さを保つ」とか言っているんだけど、エホバの証人のどこが高潔なんだろうか?
子どもに体罰を行い、それが児童虐待だと言われれば、言葉を濁してごまかす。子どもに輸血拒否をさせて殺しておいて、それが糾弾されればすべては信者個人の自己決定だと責任逃れ。そして、ろくに働きもせず、宗教勧誘にうつつを抜かす。
そもそも、エホバの証人以外の人々がほとんど滅びるハルマゲドンを待ち望んでいる時点で、とんだクズ野郎だよ。
エホバの証人は「高潔」の対極。
エホバの証人の身体的暴行、家庭内暴力
2つ目のプログラム。『宝石を探し出す』。参照されているものみの塔の記事には次のように。
親に無視され,虐待され,あるいは捨てられるのは悲痛なことですが,そのような境遇にある人をエホバは深く気遣っておられます
それエホバの証人の子どもじゃん。懲らしめという体罰を受け、信仰を強要される。これすなわち児童虐待、宗教虐待。挙句の果てに信仰を捨てれば、忌避され親に無視される。まんまエホバの証人のこと。
実際,「証拠の示すところによると,殺人,身体的暴行,感情的また性的な虐待における加害者は,家族外の者よりも身内の者である場合が多い」と,「家庭内暴力」(英語)という本は述べています
だから、それがエホバの証人。懲らしめと称する体罰は完全に「家庭内暴力」。身体的暴行に他ならない。自由意志に反して間違った信仰を子どもに強要するのは、感情的な宗教虐待。
聖書が予告していたとおり,多くの人が「自然の情愛を持たない者」になるということです。家族としての情愛のひどく欠けている家庭が多くなっています
「自然な情愛を持たない」のは、身体的暴行をふるい、感情的な虐待を行うエホバの証人。高潔さとの対極。
『野外奉仕に励む』の部分で、信者が小噺をするのだが、その中で聖書から引かれた1節、環境問題について触れた中で
地を損なっている人々が滅ぼされる
今どき、人間が生きていくなかで環境を一切汚染しないなんてことはない。生きているだけで、環境に何か問題を起こしている。車にも乗らないし、電車にも乗らないなんて奴いないだろ。
だったら、エホバの証人だって滅ぼされるんじゃないの?
特別集会だと言って海外からお偉いさんを呼んで自己満足の講演させたり、宣教キャンペーンだと言って、海外から人を呼んだり。無駄そのモノ。そんな下らないことで航空機に乗ってるんだから、エホバの証人は地を損なっている人々の最たる者。
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“身体的暴行による家庭内暴力をふるうエホバの証人、高潔さの対極” への1件の返信