エホバの証人とお年玉
エホバの証人にとって、お正月のイベントはほとんど禁止。門松をたてることも無いし、初詣にも行かない。「明けましておめでとうございます。」とも言わない。しかし、不思議なことに、我が家ではお年玉だけは許されていた。
お年玉の起源に宗教臭が一切ないのかも知れないと考え、ちょっと調べてみた。すると、お年玉は「としだま」のことで「たま」とは魂のことだった。
この段階で、エホバの証人の教理をちょっとかじったことのある人なら、お年玉はNGだと分かる。魂、霊魂などはエホバの証人的には完全なNGワード。
新年を司る年神様への供えた餅玉を、神棚から下げて食べたことから「としだま」と呼ばれるようになったという説もある。年神様とは日本古来の由緒正しい神様。日本古来の神々への信仰や、それに関係することはエホバの証人には禁止。
神棚への供え物には神様の分霊が宿るとされ、それを頂くことで人々は力を得て新たな年を迎える。神棚から力を得るなんて、お年玉はエホバの証人が最も避けなければならないたぐいのモノ。
やはり、お年玉はエホバの証人的には完全にNGイベント。
エホバの証人が貰うお年玉は、王国会館の寄付箱に直行
エホバの証人だった両親は、私が親戚からお年玉を貰うことを許可していた。その理由は、貰ったお年玉が、そのままエホバの証人の王国会館の寄付箱へ直行するから。
王国会館というのは、エホバの証人の集会所のこと。そこには寄付箱があり、匿名で寄付金が入れられる。その寄付金は集金され、一部は日本支部に集められる。さらに米国の世界本部へ吸い上げられ、統治体というエホバの証人最高幹部の酒池肉林の贅沢に使用されるとかしないとか。
酒池肉林は言いすぎかも知れないが、近いことは行われている。タダ飯を食わせ、高級車に高級品を揃えさせている。実際に酒池肉林だったのは、飲む打つ買うの三拍子が揃ったものみの塔協会二代目会長ラザフォード。
エホバの証人の神権的戦術とは・・・
エホバの証人は、都合が悪くなるとすぐに嘘をつく。神権的戦術と本人たちは言うのだが、嘘は嘘。
教団や神エホバに対しては、一切嘘はつかないが、それ以外の場合、状況によっては嘘をついても良いことになっている。教理を遵守するため、教団の評判や名誉を守るため、という身勝手な条件は付いているが。
この神権的戦術がお年玉にも応用された。王国会館の寄付箱が潤うのなら、見かけ上はエホバの証人の教理に反する行動をとっても構わない。そもそも勝手に渡してきたものだから、自分たちが教理に反しているわけでもない。
という都合の良い自己正当化。
神権的戦術を用いることがエホバの証人がカルトである証拠
エホバの証人がお年玉は貰う理由は、教団の財源を潤わせるため。これは組織の方針である。両親は、エホバの証人の会衆の長老という権威者に確認をとっている。「子どもがお年玉を貰ってもよいか?」と。
そして、後年、父は長老だったし、会衆内の問い合わせに対しては同じように答えていたはずだ。
エホバの証人は、一から十まで教団の顔色を伺う。もはや自分で何の決断も出来ない操り人形。自分で善悪の判断も、自身の行動の選択も出来なくなる。
エホバの証人の長老は、自分たちの会衆の財源確保がミッション。親たちから尋ねられたお年玉の可否については、こう回答する。
「本来は異教の習慣ですが、貰ったものをそのまま王国会館の寄付箱に入れれば、エホバ神も喜ばれることでしょう」と適当なことを言う。寄付箱が潤えば、自分たちはそれで良いから。
エホバがー、エホバがーと言ってはいるけれど、結局は金ということ。
神権的戦術は、どこまででも応用される。エホバの証人はものみの塔という偶像のためなら、法律を破ることも厭わない。エホバの証人組織のためであるなら、何でもやりかねない。
組織の命令であれば、殺人だってやるカルト集団。実際に、輸血拒否で子どもたちが命を落としている。
これが、神権的戦術という詭弁による裏技の危険性。教団や、それに準ずる地位のある者がエスカレートし始めれば、思考停止の信者は逡巡することなく不法行為にだって手を染める。これが、エホバの証人がカルトである理由。
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