エホバの証人2世の過酷な子ども時代
エホバの証人の教理には禁止事項が多い。そのため、エホバの証人2世の子どもたちは、親によって厳しく管理された子ども時代を過ごすことになる。
戦闘的だから武器のおもちゃはダメ、攻撃的なゲームは禁止、心霊的なテレビは見たらダメ。非常に制約が多い。
折り紙で手裏剣を折ったり、新聞紙を丸めて刀のように持つだけでも怒られた。心霊的、悪魔的なモノも一切禁止。折り紙で幽霊を折ったり、映画のキョンシーの真似をしてピョンピョン跳ねても叱られる。
こうも禁止事項が多く堅苦しいと、楽しく折り紙を折っていてもシラけてしまう。私は、両親と一緒に好きなモノを好きなだけ折って遊びたかった。しかし、両親と向き合うとエホバの証人に関わることばかりだった。
毎日、家庭での聖書研究(使うのは聖書でなく、ものみの塔協会の宗教本なので”ものみの塔研究”というのが正しい)や、エホバの証人の集会の予習をさせられた。その後で、ほんのちょっと遊んでくれるだけ。その遊びもすべて教団のルール通り。土日もエホバの証人の活動があるので遊ぶことはできない。
教団の布教活動で、クラスメイトの家を訪問したときの恥かしさたるや、言葉にできない。
学校の季節ごとの行事にはほとんど参加できなかった。エホバの証人はクリスマスでさえ、異教の行事と忌避する。
給食の前の合掌「いただきます」のときには、自分だけキリスト教の祈りのポーズという変態度マックス。エホバの証人2世の子どもにとっては、学校生活も地獄の日々だった。
マインドコントロール状態にある哀しいエホバの証人の親
折り紙で動物を折ると、父は褒めてくれた。動物はエホバ神が創造したものだからと。動物や自然、天体の動きなどに興味を持つと褒められる。それらは神の創造物だから。
今考えると、尋常でなく滑稽な話。いい大人が、本当に天地創造説を信じていたのかと。本当に神が自分の姿に似せて人間を造り、動物やこの世界を創造したと思っていたのか?
物好きで暇な神様もいたものだ。神こそが人間の空想の産物。神は人間の心の中にこそ棲むのであり、実在するわけではない。
聡明だった父が、そんな判断すらできない状態に陥っていた。いかにマインドコントロールが危険か、エホバの証人というカルトが危険であるか。私は大人になって思い知った。
エホバの証人の家庭では、子どもに自由な発想を許さない。行動はさらに厳しく制限される。そもそも親自身が深いマインドコントロール下にある。親の頭の中にはエホバの証人のことしかない。子どもの本当の姿や願い、心の叫びが全く見えない。何とも悲しい親子関係だった。
ハルマゲドンを怖れる元エホバの証人2世
厳戒態勢の子ども時代を経て、ついに私はエホバの証人をやめた。14才のとき。その後、両親もエホバの証人をやめる。その過程で両親は離婚し、私の家庭は崩壊。
私は14才でエホバの証人をやめたものの、20代前半まではエホバの証人の洗脳が解けず、やけっぱちな人生を送っていた。洗脳が解けるまでは、明日にでもハルマゲドンで死ぬのだからと、死を厭わない生活を送っていた。
酒、タバコ、ギャンブル、異性とのいわゆる不道徳な生活。自動車でメーターを振り切るスピードを出しても全く怖くなかった。今、死ぬも、明日、神に殺されるのも同じだから。
そんな私だったが、40代目前にして何とか普通の、カルトと関わりのない家庭を築くことができた。今の私は、エホバの証人2世として過ごした幼少期から少年期を、ようやく客観的に振り返ることができるようになった。
人生は、いつでもでもどこからでもやり直せる。生きてさえいれば。そして、人生の主題に神とか宗教を置いてはいけない。私が得た2つの教訓。
元エホバの証人2世がひたすら手裏剣を折り続ける理由
子どもの頃、折り紙で折ることが禁止されていた手裏剣。シンメトリーな形状と、色の組み合わせがカッコ良くて大好きだった。しかしエホバの証人の子どもだった私にとって、手裏剣は武器なので禁止。
そんなモノを折っていようものなら、親にこっぴどく怒られた。待っているのはエホバの証人特有の懲らしめ、いわゆる児童虐待、体罰。お尻をベルトや素手などでひたすら叩かれる。
今、40才になった私は、息子と折り紙で手裏剣を山のように折ったり、水鉄砲で遊んだりしている。これは、過酷だった子ども時代を30年ぶりにやり直しているということなのだと、最近思い始めている。
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