宗教統治者を崇拝する、エホバの証人盲信者
週末のエホバの証人の集会のテキスト。『しっかり立って,動じないようにする』。
民間人には、何を言いたいのか全く伝わらない記事なんだけど、こんなのでも盲信者にとっては『盲信を強めて、目ざめないようにする』のに役立つのだろう。
使徒15章28、29の当時のクリスチャンが禁止された4点セットで、前半の話が進むのだが、
1世紀の統治体は
と、使徒行伝の著者を統治体みたいに書いている。これ大ウソだから。統治体と、1世紀の聖書筆者は何の関係もない。時と場所がかけ離れすぎている。その時と場所を飛び越える、1914年ウルトラCの予言解釈も無茶苦茶だから。
ところが、情弱なエホバの証人信者はこういうのにコロッと騙されて、統治体が正当な後継者だと、毎週の集会で盲信を強めちゃう。
そういう、あくどい手口を使う奴らが偽予言者なんだよ。
宗教指導者や政治家,スポーツ選手や芸能人を神のように見なして崇拝することもしません
惜しい。ここまで書いてあるのに、なんで統治体の言うことを盲信しちゃうのか?
みっともないジジイが予言解釈ハズシまくっているのを、なぜ容認しているのか?
それは盲信しているから、つまり崇拝しているからなんだよ。
自分の美意識と判断基準を持っていれば、突拍子もない予言解釈を信じて、米国の統治体の言いなりにはならない。エホバの証人は宗教指導者どころか、米国の宗教統治者たちを崇拝している。
輸血しないと死ぬ状況で輸血拒否したら、すべてが終わる
同テキスト内では、
聖書によると,血は貴重な贈り物である命を表しているから
血を避けろと、命じている。血を食べるなと。
現代日本人が聖書の古くさい規則に従う必要はないので、不必要に血を避けたり、食べたりしないようにする理由はない。しかし、百歩譲ってここまではOKとする。
だけど、この先がおかしい。
それで私たちも,どんな医療を受けるかについて決める時,この命令にしっかり従います。
だから、分画だかなんだかいろいろあるけど、とにかく輸血するなと。いきなり話が飛躍する。
いやいや、この辺で引いてた聖句に医療の話一つもなかったじゃん。しいて言えば「命」。
エホバの証人のテキスト内でも言っているように「貴重な贈り物である命」。
これが医療に近い。命を守る行為だから。
しかし、エホバの証人のテキストでは、貴重な命をないがしろにしても、とにかく輸血するなと。
そんなこと聖書にゃ書いてないよ。
輸血に関するエホバの証人のテキストの書き方でいやらしいのが、「命を賭しても輸血をしない」みたいな書き方をしないところ。
どんな状況になっても
輸血しない、としか書いていない。これだと情弱盲信者には伝わらないよ。想像力が削られちゃってるんだから。
「輸血しなければ死ぬ状況になっても、輸血しない」と、キッチリ書いておけよ。そして、そうして死んだら、それですべてが終わる。復活とか永遠の命とかウソだから。
そもそも、
統治体=米国の宗教統治者たちの言いなりになって、輸血拒否して貴重な命を粗末にする生き方が、愚かそのモノ。そんな奴が神の是認とか、到底ムリだって。
“統治体という名の「米国の宗教統治者たち」を崇拝する、エホバの証人” への3件の返信