『良心の危機』、読みにくい第7章なのだが・・・
『良心の危機』第7章「予言と独断」、聖書「申命記」からの引用をさらに引用。
もし預言者がエホバの名において話しても、その言葉が実現せず、そのとおりにならなければ、それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである
エホバ、エホバ書いてあるので、忌々しい新世界訳からの引用だと思うのだが、つまりは予言をハズした奴はせん越な偽予言者ということ。これは他でもないものみの塔のこと。
ものみの塔は、世界の終末ハルマゲドンの予言をやがて150年ハズし続けている。信者を惑わすものみの塔は完全なる偽予言者。
「予言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔
ものみの塔協会の統治体の予言は時代ごとに現れる偽予言者の世迷言
本章の主旨やものみの塔の正体は前述の聖書からの引用で全てなのだが、この7章は続く。予言ハズシの実態をものみの塔の宗教本から多数引用して糾弾している。
この章はものみの塔の引用が退屈でしょうもないので読み進めるのが苦痛。しかも傍線が引いてあったりして、著者のエホバの証人らしさが出ている。私もかつてエホバの証人2世信者であることを強制されていた頃、こうして宗教本に下線を引いて予習をさせられた。
偽予言者の伝統芸、磨き上げられた信者を欺く「神技」
とはいえ、
エホバの証人で『ものみの塔』の古いものを見ることのできる人はほとんどいない。今日のものみの塔出版物が協会の歴史を扱うような場合でも、かつてあれほど長い間信じられていた教義についてはまったく無視してしまうか、あるいはほんの一部だけ、それも時として歪められた形で紹介するだけである。したがって、かつての教義がどれほど強く、自信たっぷりに教えられていたかはほとんどわからない。
ので、著者の生真面目なものみの塔予言ハズシの振り返り作業も必要不可欠なこと。退屈ではあるが、核心、ものみの塔の本質があぶり出される本章ではある。
著者の地道な検証作業は1879年の『ものみの塔』の創刊誌から始まる。
1879年!日本だと明治時代で既に歴史の教科書の中。数年前まで西郷隆盛が九州で西南戦争してた時代。ものみの塔はこんな大昔から予言ハズシとその封印を繰りかえしてきた。もはや伝統芸。信者を欺くテクニックは洗練され、まさに「神技」の域に達した。
この時点では、1914年は一貫して
単にすべてが完了する、終着点の年でしかなかった
のだが、それは徐々に始まりの年へと書き換えられていく。
“ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽予言者の伝統芸” への5件の返信