エホバの証人の子ども、まるでロボットかサーカスの動物

ものみの塔の子どもを利用した布教方法

エホバの証人の子どもたちは、小さな頃からエホバの証人の王国会館という集会所に連行される。それこそ、抱っこされているだけの赤ちゃんの頃から。

エホバの証人の王国会館に連行された子どもたちは、壇上からされる下らない宗教話を聞かされる。大人しく座っている子どもがほとんど。なかには注解※と呼ばれる、挙手して質疑に対する回答をする子供まで。
※2023年追記、現在では注解はコメントと呼称されているとか・・・

エホバの証人の子どもたちのお利口さは、信者でない人が見ると驚とほど。普通なら、数分たりとも大人しく座っていられない年頃の子どもだから。

小さな子どもを持つ親にとって、礼儀正しくお利口な子どもに育てることができる宗教に、エホバの証人が見えてしまう。ものみの塔は、子どもの教育を撒き餌として、子育てに不安や悩みを持つ親を新たな信者として獲得している。

勧誘中の非信者の家で行われる家庭聖書研究という場にも、エホバの証人の子どもが連れて行かれる。この1時間ほどの間、エホバの証人の子どもは正座して静かに大人の話を聞いている。

「こんなにお利口に子どもが育つなんて」と、信者でない親はエホバの証人という宗教に魅力を感じてしまう。ここで、わんぱくで元気、自由奔放な自分の子どもと、エホバの証人の子どもを比較してしまうとアウト。劣等感に苛まれていくことになる。

エホバの証人の子ども、表面的にお利口なのは・・・

しかし、実際はこらしめという恐怖政治によって、エホバの証人の子供たちは何時間でも座っていられるようになっただけ。懲らしめというのは体罰のこと。児童虐待。

エホバの証人の子どもには、少しでも騒ごうものなら体罰が待っている。

その体罰はエホバの証人間では愛のムチと言われ推奨されている。叩く親の手も痛い、それは愛の象徴、という無茶苦茶な論法が用いられ、子どもたちは手の跡が残るほど、お尻を思いっきり叩かれる。

結局、エホバの証人2世の子どもは、こらしめが怖くて大人しくお利口にしているに過ぎない。エホバの証人の親は、子どもをロボットやサーカスの動物に仕上げている。

田舎出身の私の母は、都会での多忙な子育ての隙を突かれ、このカルト宗教にどっぶりとハマる。きっかけは前述のエホバの証人の王道、子どもがこんなにお利口になりますよ、から。

そして、私を媒介にして、父までもエホバの証人という病に伝染。理性的な父も、エホバの証人の子どもと、普通に元気いっぱい腕白な私を比べて、感情を直接刺激された。そして、思いがけず心を動かされてしまった。

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