エホバの証人という盲信者
Amazonのkindle Unlimitedだと無料(2024/1現在)なので読み始めた一冊『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』
いろいろなカルト宗教の元2世被害者が集まって対談している。LINEのチャットが元になっており雑多な記述になっている。元エホバの証人も参加。その元エホバの証人の自己紹介で、現役信者である母親が
孫と会いたくもない
ようだと話している。
孫と会いたくない人って世の中にいるんだという驚きが率直な感想。「現役エホバの証人を孫に会わせたくない」というなら1000%同意するのだが、自ら「孫に会いたくない」というのは、さすがのカルト信者。
この実例が証明しているように、エホバの証人はあなたの家族生活を幸福なものにしない。エホバの証人が「家族の幸せガー」とか言っているのは嘘偽り・大げさ紛らわしい発言で、エホバの証人は家族を不和にするカルト。
創価学会や霊波之光が身内にいる人が家族・親族を
盲信者
と紹介している。うまい表現で、今後使わせて欲しいくらい。カルト信者が抱いているのは信仰ではなく妄信仰。
カルトを優先するために、破産したり、孫に会えなかったり。もはや何のために生きているのか、何のために宗教をやっているのか意味不明。そんな絶賛迷子人生なのに「エホバガー、教祖ガ―」とやっている。
なぜ、人生の価値を圧倒的に損ねているのか?客観的に見て不幸ではないのか?小学生でも気付ける自分の迷子状態に気付けない。自身の宗教関連問題については盲目。宗教中心に生きているのだから、人生全般においてほぼ盲目。カルトしか見えていない。まさに盲信者。
自己紹介の後は、お題の質問に関する対談が進む。最初のお題は
山上容疑者についてどう思うか?
あの事件で統一教会問題に一石を投じ、解散までいったとして、山上容疑者の当初の目的を達成できたとする。
果たしてそれで山上容疑者はスカっとするのか?スカッとしたところで不幸になっちゃ意味がない。塀の中で人生の長い時間、もしくは一生を過ごすというのは、どう考えても不幸。
私もエホバの証人を消滅させてスカっとしたいのだが、そのために何らかの凶行を行い、そのせいで自分が不幸になったら何の意味もない。
恐らくそれってスカっとしない。エホバの証人のせいで不幸な人生を送っていたのが、さらに不幸になったと思うだろう。もっと不幸になったのは自分の凶行のせいなのだが、元凶はエホバの証人にある。
エホバの証人のせいで、さらにさらに不幸になったとエホバの証人を恨んでも、その段階では自分の凶行の成果でエホバの証人は壊滅。恨む相手が存在しない。晴らしようがない恨みを抱えたまま塀の中で一生を終える。不幸すぎる。
なので、まずは自分が幸せになること。エホバの証人をやめたおかげでこんなに幸せになった。もしくは少しでも不幸から回復したと思えること。この状態をキープしつつ、エホバの証人組織に対して復讐したいのなら、すればいいと。
さらに破れかぶれの凶行で決着をつけるというのが、カルト的な幼稚な考え方。それこそ「ハルマゲドンガー」とか言っているのと変わらない。しくじればカルトが野放しにされたまま、自分の自由が奪われるという最悪の事態に。
容疑者のやりたいことはよく分かるのだが、手段は選ばないといけない。
“エホバの証人という盲信者、あなたは山上容疑者をどう思うか?” への1件の返信