カルトの搾取システム
『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』、AmazonのKindleにて。「宗教に対して1番許せない事は?」。
対談なので話が展開する。カルト信者が抱く妄想、
これだけ献金してるんだから、全部神様が助けてくれる
というもの。対談している元2世信者はそんな妄想を抱いてはいないのだが、親の世代の1世信者が抱いく強い妄想。
神様シールド
と表現されている。
エホバの証人も同じ。エホバの証人の場合は貧乏なので、金でなく時間を貪り喰われる。
「こんなに奉仕したんだから、全部エホバが助けてくれる」
そんな訳ないっての。金の切れ目が縁の切れ目。献金辞めりゃ縁も切れるし、活動辞めりゃそっぽを向かれる。
まず、そんなに日本円が欲しい神なんていないだろ。セコ過ぎ。そんな神なんて役に立たないよ。助けてくれない。
あとは無限に奉仕時間を要求する神、無能ですか?自分で何とかしろよ。一軒一軒、呼び鈴鳴らしたり、駅前で「聖書を無料で学べます」って立って不審者だと思われたり。そんなことしなくても、全知全能の神様なんだからテメーで何とかしろっての。
この一連の流れは、金や時間、つまり信者の人生を貪り喰うためのシステム。そこに神は存在しない。カルトの神は役に立たないというか、存在すらしない。日本円大好き、街頭カート布教という罰ゲーム大好きなんて神様がいるわけない。
組織に捨てられるのが怖くて搾取システムから抜けられない
献金や捧げた時間がもたらすもの。それはカルト組織との一体感。もう宗教でもなんでもなくて、お金払うから、時間捧げるから仲良くしてねってだけ。
「これだけ献金してるんだから、全部組織が助けてくれる」
「こんなに奉仕したんだから、全部組織が助けてくれる」
しかし、それはどうかな?
これこそ、金の切れ目が縁の切れ目で、金が無くなれば切られる。エホバの証人活動を辞めれば見捨てられる。
それが分かっているから、信者の方も疑似的条件付き一体感を失うのが怖くて、金や時間を無限に搾取される。
時間も金も自分の財産なのだから、自身や家族のために使うべきなのに自己の保身のために浪費し続けるカルト信者。無駄遣いの末路が明るいはずがない。