惰性と人参の組織盲従タイプのJW
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために』から。
エホバの証人(JW)を下の2タイプに分けられるとしている。
(1) 偽のエホバの証人-真理、真実より組織を愛する、組織盲従型
(2) 真のエホバの証人-組織よりも神や真理を心から純粋に愛する人
当資料では、(1)はミーハー信者でどうにもならないので、近づかないが吉。(2)は解放の余地ありとしている。
私は(1)組織、(2)神も嫌いなタイプだった。よって、子どもの頃はエホバの証人二世信者であることを強制されたのだが、根っからのエホバの証人にはならなかった。
本来の自分との乖離を余儀なくされ、生きにくかった幼少期を振りかえると、はらわたが煮えくり返るくらいにものみの塔というカルトが憎い。というわけで、ものみの塔が存在しない世界を目指して、今日も活動を続ける。
(2)「神への愛を」って言っている人がいれば、そりゃ解放は早いと思う。今どき、こんな純粋信者がいるのだろうか?
「楽園での永遠のイノチ」という人参欲しさにエホバの証人を続けている人がほとんどだと思う。「万物の創造者である神への愛」ゆえにエホバの証人を続けているなんて人は皆無なんじゃないか。
「楽園での永遠のイノチ」なんてのは大ウソで、そんなもの実現するはずがない。それを知るのは死後なので、誰もこれを証明できない。証明できないのを良いことにエホバの証人たちは、誇大妄想を信じ続け人生を失う。
何十年とエホバの証人を続けてしまって、今さら人生の賭け先を変えて、ハズすのが怖い。そもそも外れない馬券だと信じ切っている。実は大ハズレなんだが。JWなんてのは、当たりようのない偽レースの馬券だぜ。
人間は行動を変えるのが困難なので、惰性でエホバの証人を続ける方が楽。なので、そのままエホバの証人というハズレクジを買い続ける。今さら他のものに万遍なく投資なんて出来ない。「ベット先を変えてエホバの証人が当たりだったらどうしてくれるの?」という感じ。
神への愛ゆえにエホバの証人を続けているなんて人はいなくて、ほとんどが惰性と人参で組織に盲従するタイプ。
よって、(1)を削減しなければ、ものみの塔の終焉もない。
惰性と人参による組織盲従を打破する3つの方法
ポイントは組織への「盲従」。エホバの証人は、組織化大好き、堅苦しい不条理教義を上から一方的に押しつけられるのが大好き。という人ばかりではない。人参を得るために組織に従わざるを得ない。そのために結果的に盲従している状態。
突破口は次の3点かと考える。
- 「人参」を授けてくれるのは「組織」ではないと認識させる
- 永遠のイノチという「人参」があり得ないし、無価値であることを理解させる
3つめは惰性でエホバの証人を続ける状態を打破すること。
「夢をかなえるゾウ1」より
人間が変わるには、大きな不幸が必要。悩んだり、苦しんだり、もう死んでしまおうかと思うくらいの大きな不幸。そういう時、人はやっと、それまでのやり方を変える。人間なんて放っておいたら楽な方へ、楽な方へ流れてしまう
身近な人の死であるとか、未曾有の大災害などが洗脳からの覚醒のきっかけになる。大不幸。エホバの証人を続ける惰性を打破するきっかけ。
とはいえ、不幸を自分で作り出すのは無理だし、本末転倒なので、この本では『応募する』ことで不幸を代替えしようとしている。
資格試験からコンテスト、面接試験まで、何でもいい。『応募する』と、自分の才能が認められることがある。その『事件』が惰性を打ち破るきっかけになる。
エホバの証人の王国会館以外でも自分を認めてくれる場所がある。惰性民にそれに気づかせること。これが3つめ。
- 「人参」を授けてくれるのは「組織」ではないと認識させる
- 永遠のイノチという「人参」があり得ないし、無価値であることを理解させる
- 洗脳エホバの証人の才能を認める
1については明日の記事で詳細手順を記載。『ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために』が有用。
2はエホバの証人のハルマゲドンと永遠の命という悪い冗談など散々書いているが、エホバの証人だらけの楽園は永遠の禁欲で辛いぞ。あと墓がない日本のエホバの証人は復活しないという茶化し記事も。復活や永遠という人参はあり得ない。
3はなんだろうか。エホバの証人に労働環境を用意したり、あとは意識的に”この世”基準でホメたり。