エホバの証人の罪悪感と贖罪

エホバの証人の不毛で有害な布教活動

エホバの証人信者にとって、布教活動に費やす時間は信者の成績のようなもの。エホバの証人は、伝道者と呼ばれる布教活動をする資格を取得すると自分で布教に充てた時間を記録し、提出することが求められる。

この伝道者にはいとも簡単になることができる。私も小学生高学年の時には、この伝道者という資格をとらされた。そして、伝道者カードと呼ばれる紙に自分の布教活動時間を記載して報告していた。

布教活動にあてる時間だが、正規開拓者と呼ばれる末期の洗脳信者になると年間800~1000時間をこの布教活動に充ててている。そんな多数の時間を、採算の取れない自称ボランティア活動に充てている。

時給1,000円で計算しても、年間80万円~100万円、私の両親は、これにさらに20年という月日が乗算される。現金での寄付も毎月しているので、これだけでは収まらない。

何と非生産的なことだろうか。勝手に自己満足しているだけならまだしも、人の家庭を不幸に追い込み、他人の人生を棒に振らせるための宗教勧誘である。そんな不毛で有害な行為に多額の財産を捧げているのだ。

エホバの証人のバプテスマとは

もっとタチの悪い成績で言うと、何人導いたという表現がある。要は何人にバプテスマ=洗礼の儀式を受けさせたか。

最初は、自分が発掘してきた新しい信者に対して、聖書研究と称して自宅に上がり込む。この聖書研究は、ものみの塔協会の出版物による洗脳教育である。ここでカルトの教義と恐怖感・危機感を叩きこむ。

そのままその発掘信者を伝道者に昇格させて、バプテスマまで受けさせて身も心もものみの塔協会に捧げさせる。まさに献身。それが導くと呼ばれる行為。

何人も導いてきたなどと言っている古株の信者は、その数だけの人生を棒に振らせ、幾つもの家庭を崩壊させてきた。私の両親も、そうやって誤った方向へ導いてしまった人々に対する罪悪感にさいなまれている。

元エホバの証人の罪悪感と贖罪

この宗教について両親と話すことはほぼ皆無なのだが、もし話すとすれば、自分を責める必要はないということを伝えたい。誤った道に導かれたのも、そしてその方向に進んでしまったのも、それはその人々自身の責任。

自分を責めることはない。自分だって騙され、欺かれ、多くのものを失ってきた。ただ、罪を犯した事実は変えられない。知らず知らずとは言え、無垢の人々を騙しカルトにいざなった事実。

エホバの証人というカルトに騙される人は、無垢というよりバカ、浅はか、知能レベルが低いという表現が正しい。そういった騙されやすい人々の限られた人生の時間・財産をカルトへ捧げさせてしまったという事実からは逃れられない。

自分を責める必要はないのだが、自分の罪と向き合い、今成すべきことすべきと私は考えている。私はエホバの証人というカルトに誰も導いてはいないのだが、親のせいとはいえ、図らずもこのカルトに協力してしまった。

14歳までとはいえ、一旦は伝道者だった(嫌々だったのだが)。私の両親は深く傷つき過ぎたために贖罪は無理。私は自分自身と両親の贖罪のため、ものみの塔協会を崩壊させるべく活動をしている

現役信者の人は、自分の贖罪うんぬん以前に、今の自分をどん底から救うことを考えよう。今日は日曜日だった。わが家は早起きして家族で買い物・食事・ドライブへ出かけた。平凡で些細だが、もう二度と戻らない家族の休日。

家族バラバラでエホバの証人の集会に参加していた人は、まず目を覚ますべき。本当に大切なものは何か?本当に救うべきは誰か?

本当に大切なものは、限られた家族との時間、あなた自身の時間。

本当に救うべきは、不毛にもエホバの証人活動に時間を浪費しているあなた自身。

エホバの証人の王国会館に病気の人が多い理由


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