3歳にしてエホバの証人に父親を引きずり込んだ子供

私の最初の記憶は悪夢の始まり

子供の頃の最初の記憶がある。当時住んでいたアパートで、3歳くらいの私が母親に怒られている。母親はヒステリー気味に怒っていて、父親や私に文句を言っている。

私は、母親にとある場所へ連れて行かれて、そこから帰って来たところ。母親が激怒しているのは、私がその場所でおとなしくしていないという理由である。泣いたり、走り回ったりして手に負えないと。

この時、私はつい苦しまぎれに

「お父さんも一緒に来てくれたら、僕はおとなしく出来るかも」と言ってしまったのである。これは何の根拠も無い逃げの一手だった。しかし、このその場しのぎの一言が私の人生、そして私の一家の運命を大きく狂わすことになる。私の最初の記憶はまさに悪夢の始まりだったのだ。

エホバの証人の王国会館で行われている児童虐待

私が母親に連れて行かれていた場所というのは、通称エホバの証人という宗教団体により王国会館と称されている集会場である。エホバの証人とはキリスト教系の新興宗教団体。王国会館とはエホバの証人にとっての教会のような場所である。

王国会館には、信者の親によって、多くの子供が連れて来られている。子供たちは、壇上からされるありがたいお話をじっと椅子に座って聴いていなければならない。

これが子供の私にとっては、おそらく全ての子供にとってもそうなのだろうが、大変な苦痛だった。活発な子供だった私は、1分と同じ場所に座っていられなかった。

しかし、驚くべきことに王国会館に連れてこられている子供たちは、2時間もの集会のあいだ、大人しく話を聞いて座っているのである。しかも、注解と呼ばれる、壇上からされる質問に対しての適切な回答までできる。

この理由は明快で、子供たちは厳しい体罰を受け、恐怖心から見た目にはお利口な行動をとっているだけ。しかし、私の母親のように、自分の子供を王国会館の中で周囲の子供と比べてしまうと、いかにも、うちの子が出来ない。そういう風に見えてしまうものなのだ。

エホバの証人の児童虐待の話は体罰全面禁止の国のエホバの証人

私が親になった経験から言うと、自分の子供を他人の子供と比較することほど、愚かなことはない。自分の子にも長所があり、よその子にも長所がある。まずは自分の子供の長所を見つける。そしてそれを伸ばすべき。自分の子供を見ずに、他人の子供と比べてばかりいるから、うちの子の悪い点ばかり目につくのだ。

エホバの証人の王国会館という伏魔殿

意味もなく泣いたりするような年齢では無かったのだが、とにかく私は王国会館でおとなしくしていなかったようだ。当たり前な話で、今でも下らない怪しげな話を、5分たりとも座って聴くことなど出来ない。

記憶も定かでないほどの幼児だった私が、王国会館でそわそわしていたのは、エホバの証人として自分の身や家族に降りかかる今後の悪夢を予想してのものだった。

私の最初の記憶

王国会館で大人しくできないことを母親に厳しく咎められている。母親はヒステリー気味に私を非難する。私は父親の影に隠れながら

お父さんも一緒に来てくれたら、僕はおとなしく出来るかも」と適当なことを言ってしまう。これ以降、父親も渋々ながらに王国会館に通い出すことになる。

そして一家でものみの塔協会によって洗脳され、20年後には一家離散という悲劇の結末を迎える。

これが私の最初の記憶。薄曇りの日曜日の午後。家族をエホバの証人という泥沼に引きずり込んだ日。


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