3歳にしてエホバの証人に父親を引きずり込んだ子供

元エホバの証人二世の最初の記憶は悪夢の始まり

私の最初の記憶。当時住んでいたアパートで、3歳くらいの私が母親に怒られている。母親はヒステリー気味に怒っていて、父親や私に文句を言っている。

私は、母親にとある場所へ連れて行かれて、そこから帰って来たばかり。母親が激怒しているのは、私がその場所でおとなしくしていないという理由。泣いたり、走り回ったりして手に負えないと。

この時、私はつい苦しまぎれに

「お父さんも一緒に来てくれたら、僕はおとなしく出来るかも」と言ってしまった。これは何の根拠も無い幼い私の逃げの一手。しかし、その場しのぎの一言が私の人生、そして私の一家の運命を大きく狂わすことになる。私の最初の記憶は悪夢の始まりだった。

エホバの証人の王国会館で行われている懲らしめという児童虐待

私が母親に連れて行かれていた場所というのは、エホバの証人という宗教団体の王国会館という集会場。エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教団体。

エホバの証人の王国会館には、信者の親によって、多くの子供が連れて来られている。子供たちは、壇上からされるありがたいお話をじっと椅子に座って聴いていなければならない。

これが子供の私にとって、おそらく全ての子供にとってもそうなのだが、大変な苦痛。活発な子供だった私は、1分と同じ場所に座っていられなかった。

しかし、驚くべきことに王国会館に連れてこられている子供たちは、2時間もの集会のあいだ、大人しく話を聞いて座っている。しかも、注解と呼ばれる、壇上からされる質問に対しての適切な回答までできる子もいる。
(2023年追記:注解は現在ではコメントと言われている様子)

この理由は明快で、

子供たちは厳しい体罰を受け、恐怖心から見た目にお利口な行動をとっているだけ。しかし、私の母親のように、自分の子供を王国会館の中で周囲の子供と比べてしまうと、いかにも、うちの子が出来ない。そういう風に見えてしまう。

私が親になった経験から言うと、自分の子供を他人の子供と比較することほど、愚かなことはない。自分の子にも長所があり、よその子にも長所がある。まずは自分の子供の長所を見つける。そしてそれを伸ばすべき。自分の子供を見ずに、他人の子供と比べてばかりいるから、自分の子の悪い所ばかりが目につく。

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エホバの証人の王国会館という伏魔殿

意味もなく泣いたりするような年齢では無かったのだが、とにかく私は王国会館で大人しくしていることができなかった。当たり前な話で、今でも下らない怪しげな話を、5分たりとも座って聴くことなど出来ない。

記憶も定かでないほどの昔、幼児だった私が、王国会館でそわそわしていたのは、エホバの証人として自分の身や家族に降りかかる今後の悪夢を予想してのものだった。

この14年後、私はエホバの証人の二世信者としての苦境から、自分の意思で脱出する。そして、その後両親もバラバラな時期にエホバの証人を辞め、そのタイミングで離婚。一家離散。

幼児だった私は最初からエホバの証人が嫌いで、本能ではものみの塔の正体を見破っていた。ものみの塔の正体は偽善のカルト組織。

ものみの塔に関わると信者はマインドコントロールされ、生活に支障をきたす。そして、心身を病み、家族の絆も引き裂かれる。エホバの証人の王国会館には神どころか悪魔が棲んでいる。エホバという名の悪魔。

幼い私の記憶はその悪夢の始まり。小さな私は、王国会館で大人しくしていられないことを母親に厳しく咎められている。母親はヒステリー気味に私を非難する。私は父親の影に隠れながら

「お父さんも一緒に来てくれたら、僕はおとなしく出来るかも」と適当なことを言ってしまう。これ以降、父親も渋々ながらに王国会館に通い始めた。そして、一家でものみの塔に搾取され、20年後には一家離散という悲劇の結末。

これが、私の最低最悪な生まれて最初の記憶。薄曇りの日曜日の午後、家族をエホバの証人という泥沼に引きずり込んだ日。罪の記憶。


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