みんなの宗教2世問題
『みんなの宗教2世問題』3章「識者たちによる宗教2世論」。
組織的な人権侵害や反社会的行為に及ぶ「カルト」とはいえなくても、親の宗教ゆえに、何らかの生きづらさを抱えて生きている子どもがいれば、それを置き去りにしていいとは思えない。子ども目線で、親の宗教に関わる様々な辛さをすくい上げる点で、「宗教2世」という呼び方に意味がある
エホバの証人は脱会者を忌避したり、輸血拒否を強要して子どもを殺したり、自由を制限して人権を侵害する反社会的カルト。当然、エホバの証人の子どもに対しては何らかの救済が必要。
生きづらさなんていう生やさしいモノでなく、エホバの証人の子どもには生きられない可能性だってある。
私も子どもの頃、輸血拒否をして五分五分の手術に挑まされたことがある。五分五分をサバイバルしたのは単なる偶然。
個人的には、もしも神と呼べるような何らかの存在があるだとして。大人になってエホバの証人を滅ぼすために、その神のようなモノによって、五分五分の手術を切り抜けて生かされたのだと思っている。
救うべきなのは・・・
エホバの証人をぶっ潰したり、名義的に解散させたり、それに対して「信教の自由」がどうのと言う現役信者がいるんだけど、そんなモノ知ったこっちゃない。現在進行形で生きづらさを抱えたり、命の危険に晒されているエホバの証人の子どもの救済のほうが先。
今、エホバの証人の中にいて、ぬるま湯脳内お花畑で楽しいから教団の解体はやめてくれなんて、自分勝手は通らない。
死にかけているエホバの証人の子どもの未来を優先すべき。
例え死ななくても、エホバの証人の間違った教えを叩き込まれて大人になれば死に体も同じ。社会に出ても馴染めず役に立たず、教団や親の加護の下でしか動けない大人になる。
一刻も早くエホバの証人を何らかの形で解散させ、悲惨なエホバの証人の子どもたちの救済を。
ここでは単に「2世」と呼んで話を進めるが、どちらを使うにせよ、大切なのは社会が一人ひとりの状況に目を向け、「2世」の生きづらさを軽減する努力をしていくこと
エホバの証人はよく「2世」と言うけど、それはこんなにも忌まわしい言葉だった。社会全体で救い上げないといらない存在。生きづらさなんてレベルでなく、いつまで生きられるかという存在。