エホバの証人の2世だった過去を話すことが私の使命

3度の奇跡的生還と生かされるということ

3度も奇跡的に生き残ったことには何らかの意味があると私は思っている。それぞれの時に私はまだ死ぬべきでは無かったということである。こんなスピリチュアルな考え方をするのが、ものごとを信じ込みやすいエホバの証人チックな性格だとも言えるだろう。ただ、私の父親にも同じような経験があるのだ。

私に続いて父親はエホバの証人を辞めた。そして未だエホバの証人信者だった母親との関係がこじれて、私の家族は崩壊してしまった。一家離散した後、父親は国内を放浪していたという。その放浪中に何度か一文無しになって、もう死ぬしかないという状態になったそうだ。そして最後のなけなしの金でパチンコ屋へ入る。すると必ずフィーバーし、命を救われたのだという。

私の父親の死期もその時では無かったということだ。そうしてそれぞれ生き残ったことによって、遂に私と父親は数年ぶりに再会することが出来たのだった。





エホバの証人の2世だったという経験を伝えることが私の使命

人は誰しも何らかの役目を持って生まれて来ているはずだ。私が何度も生き残った理由、それも何らかの使命を担っているからだと私は思っている。それはエホバの証人の2世を辞めて以来、私が目を背け続けてきたことに関係している。

私はエホバの証人を辞めてからは、かつてエホバの証人だったことを周囲に隠し、自分でも忘れようとしてきた。自分の人生の恥部であると思ってきた。しかし、エホバの証人の2世だったということを見つめ直さなければならない時期が来たと私は思っている。

エホバの証人の2世だったこと、そしてそこから自分の意思で離脱出来たこと、それを考え、未だにものみの塔協会の洗脳下にある被害者たちへ何かを伝えること、それが私の使命なのである。それが洗脳された瀕死の状態から生還した私の役割なのである。3度も大きな交通事故を起こして、それでも私が生き残ったのは、このためだったのではないだろうか、そう考えているのだ。


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