エホバの証人の親が優先すべきなのは、神でも永遠の命でもなく・・・

JWの親のすべきこととは

子を捨てても、自分の命を優先するエホバの証人

エホバの証人の世界では、教団から破門された人に対して街で会っても挨拶することすら許されない。エホバの証人の破門は排斥と呼ばれ、エホバの証人的村八分状態。重大戒律を破ったり、背教じみたことを口にすると排斥処分になる。

たとえ排斥されたとしても、排斥対象者が未成年だったり自立能力がない場合は、保護者が最低限の生活を保障をしなければならないことにはなっている。

さすがのエホバの証人とはいえ、この程度の常識はある。最低限の義務教育を受けさせること、衣食住など生命を維持するための保護は、子どもが排斥された後であっても、エホバの証人の親が行わなければならない。

しかし、それ以上の深い関わりを持つことは禁じられている。家族間の暖かなコミュニケーションは、排斥者がいるエホバの証人の家庭には存在しない。

しかし、私の両親は一人息子であった私に対して、私が排斥されていたとしても1人の親として独立するまで見届けてくれたような気がする。

私がエホバの証人をやめた後で、両親もエホバの証人をやめた。それを考えても、家族と宗教のどちらを上位に置くべきなのか、最後の最後でその正常な判断ができる人たちだったのかも知れない。

エホバの証人の幻想である永遠の命と、子どもとの絆、それを天秤にかけてみれば良い愛する子どものいない環境での永遠の命、そんなものに意味はない。子を捨ててまでも、自分の永遠の命を求める、というエゴイストな考え方は改めるべきだ

聖人と自分を等しいと、誤解しているエホバの証人

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死ぬ気になれば、エホバの証人の排斥という死刑宣告ですら怖くない

JWの死刑判決もなんのその・・・

絶望的なエホバの証人集団

私は両親ともにエホバの証人というカルト宗教家庭で育った。エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。米国に世界本部がある。輸血拒否や子どもへの体罰が日本でも問題視されている。

私は小学校6年生の頃から、エホバの証人をやめたいと悩み始めた。そして、14才の秋にエホバの証人をやめると両親に宣言。深いマインドコントロール状態にあった両親は、私の決意に悲しみ、衝撃を受けた。

エホバの証人は熱心に布教し、宗教活動に人生をかける。その理由は教団が予言しているハルマゲドンという教理にある。ハルマゲドンという世界の終わりを生き残れるのは、正しいエホバの証人だけという設定になっている。

ハルマゲドンさえ生き延びれば、地上はエホバの証人だらけのパラダイスとなり、生還エホバの証人は永遠の命を享受できるというトンデモ教理。

私は、エホバの証人だらけで何の快楽も都会的な洗練もない楽園に対して、全く魅力を感じなかった。その自称楽園での永遠の命のために、今を犠牲にするということが納得できなかった。

人生の実りや輝きは、今という一瞬に熱を注ぐこと。永遠よりも刹那の方が重要だと14才の私は思っていた永遠の緩慢など無意味。

この頃の私は、エホバの証人の知識を14年間に渡って深く植え付けられていた。逆に少し考えるだけで教理の矛盾を指摘できる状態だった。

しかしながら、エホバの証人組織の言うことの一部は真理だという洗脳状態にあった。根本の教理については疑う余地が無かった。神エホバは存在する。そして、ハルマゲドンは起こるという認識だった。

私はいまだに深い洗脳状態にあったが、教団が発行する宗教本の幼稚さや、組織内の人々の知能レベルの低さには気付き始めていた。1990年代の後半頃まで、エホバの証人には高等教育が不要と推奨されていたことのがその要因。

また、所詮は何らかの弱みにつけ込まれて勧誘、マインドコントロールされた集団。精神的に不安定だったり、体に障害があったり病弱であったりという人々の集まりだった。

そういった人々が、自分で何も考えず、思考を停止、教団の言いなりになっている。家畜と同じ。

エホバの証人の中には、魅力的に見える大人の信者や同年代の2世信者がいなかった。14才の私は、周囲の人々が自分より馬鹿に見えて仕方がなかった。現世から逃避した弱者の集団。そこには若さという宝石を持て余した私の居場所は無かった。

エホバの証人を脱会、エホバという傷を抱えて生きるリアル人生

ハルマゲドンでやけっクソのエホバの証人2世

エホバの証人組織からの排斥、背教者への死刑宣告

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エホバの証人の中ではまともだった私の両親、排斥とバプテスマの因果

エホバの証人家族の行く末

エホバの証人の中ではまともだった私の両親

私の父親はエホバの証人の会衆内の長老だった。会衆というのは、エホバの証人の信者数が100人弱に収まるよう調整された地域ごとの集団。長老というのは会衆の責任者のような存在。教団の中間管理職的な立場。

父は会衆内の信者個人が抱える問題を解決することが出来なかった。長老というのは、所詮は教団の伝書鳩的存在だったから。

しかし、エホバの証人をやめた後で、父は他人が抱える個人的な問題を解決することが出来た。

父が母と離婚し、別の女性と暮らしていたときのこと。その女性の子供が友人関係に大きな問題を抱えていた。友人の一人が重犯罪に手を染めていた。

これが本来の友人であれば、それはそれで別の問題が発生あるのだが、実際には脅されて付き合わされていた。父は、その悪友との関係を断ち切るべく交渉にあたった。

父は、私にとって勇気と責任感を持った強く格好良い人だった。エホバの証人にさえ関わらなければ、それを体現し続けることが出来た

私が自動車事故を起こしたときに、相手が運悪く暴力団関係者だったことがある。父はその事務所へ一緒に謝りに行ってくれた。小さな傷がついた高級車を買えと言われ、父は誠心誠意謝るとともにしっかりと断ってくれた。

この頃の私は、両親よりも先にエホバの証人をやめており、両親の教団第一という価値観とは圧倒的な相違があった。それにも関わらず、父は1人の親として私の問題を解決してくれた。

私の母親にしても父親と同じだった。私がエホバの証人をやめたあとでも普通の母親として20才で家を出るまでの期間を接してくれた。

私がエホバの証人をやめた後の両親の態度。両親の姿勢が、私が社会的に足を踏み外すのをギリギリで押しとどめた。両親に見放されていれば、10代の私が激しく暴走し、社会からも孤立した可能性が高い。

また、10代で両親に見捨てられたとなると、精神的なダメージも大きい。現在の私のようにノーマルな家庭を築くことすら難しかったかも知れない。

エホバの証人の親が、脱会した子供は死んだと考えることはよくある。「霊的」に、エホバの証人的に死んだということ。マインドコントロール信者にとっては、精神的な死も物理的な死も大差ない。

こうして親に殺される子供がいることを考えると、私は信仰を強要されたとは言え、まだマシな方だったと言える。

エホバの証人というカルト宗教の被害を受ける二世信者の子供たち

元エホバの証人二世の生まれて最初の記憶

エホバの証人組織からの排斥の有無が、親子関係を残す鍵

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排斥というエホバの証人(JW)に下される死刑宣告

エホバの証人の死刑宣告

エホバの証人の排斥とは

私の両親はエホバの証人という宗教の信者だった。エホバの証人というのは、エホバ、ものみの塔、JWなどと呼ばれる新興宗教。

父は、教団内で会衆の長老という立場だった。会衆の100名弱の信者を束ねる役目。自宅にはものみの塔協会の日本支部から、長老宛ての手紙が何通も送られてきた。

それらの手紙の一部は、エホバの証人の集会所「王国会館」で読み上げられて、発表されることもあった。それ以外に、”内密に”と指示されている文書も多く存在した。

内密文書には、会衆内の信者の排斥処分に関わるものも含まれていた。他にも不合理な指示や、良く考えると納得の出来ない内容の手紙もあったはずである。

排斥とは教団からの除名処分のこと。ものみの塔の戒律に一定基準以上で反していると認定されると、教団からの排斥処分となる。

疑いがある場合、2人以上の証人がいればクロとみなされ、審理委員会という強権的な場で一方的に裁かれる。輸血をした、不貞を働いたなどはもちろん、喫煙を目撃されてもアウト。

背教じみた言動をしている場合にも厳しいジャッジが下される。エホバの証人組織の中では、出る杭は徹底的に打たれる。ものみの塔協会発行以外の聖書関連本の所持もアウトとなる可能性が高い。それがキリスト教に対する熱心さゆえでも関係ない。背教本とみなされる。

上の立場の人間に楯突いて、目をつけられると組織を追い出される可能性が高まる。細かいことを指摘されて排斥処分になる。逆に上層部の人間に媚びを売って、関係を上手く保っていればセーフとなるケースも。有名人は良い宣伝になるし有効な資金源なので排斥されないという説も。

エホバの証人の排斥処分を決定するのは神の意思ではなく、単に人間の好き嫌いや損得に基づいている。

エホバの証人の父親の悲劇、人生のムダ遣いと罪

排斥を避けるために息子をバプテスマから守った私の両親

救いや癒しをもたらさないエホバの証人という宗教

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遅すぎることなどないエホバの証人というカルト宗教からの脱会

人生はいつでもやり直せる

エホバの証人信者の個人的な問題を解決できない長老

私の家庭は、両親が順を追ってエホバの証人をやめる過程で崩壊した。

父は家を飛び出し国内を放浪。無一文寸前になり、数回の自殺未遂を経たが、死ぬことが出来なかった。この時の話はこちら

しかし、そんなぎりぎりの生活がたたって高熱を出して倒れ、本当に死にそうになってしまった。生きたいという人間本来の無意識の欲求と、死んでしまいたいという絶望が、父の中で交錯していた。

現在の父親は、その病気の時に知り合い介抱してくれた女性と一緒に暮らしている。その女性は当時すでに夫と死別。その女性の子供の一人に警察沙汰になるような悪い友人と付き合いがあり、それを断ち切るために私の父は奔走した。

エホバの証人の長老は、会衆内の信者の個人的な問題を本質的に解決することは出来ない。

私の父親もそうだった。エホバの証人組織に殉ずる長老のような”特権”階級は、上層部からの指示に従うだけ。会衆内の信者一人一人に対して生身の人間として接することは出来ない。

遅すぎることなどないエホバの証人というカルトからの脱会

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あなたがスグにエホバの証人(JW)をやめるべき理由

エホバの証人をやめた未来に

エホバの証人をやめた父の奇跡的な生還

エホバの証人をやめた父は、夜の防波堤を海の際まで無意識的に歩くという自殺未遂直前の行動に出た。これは、20年もエホバの証人活動を続けて、取り返しがつかなくなったことに絶望した結果。

そして、家を飛び出し、母と離婚し一家離散。さらに放浪の末に一文無しになる。もう死ぬしかないという状態にまで陥る。

父は死の淵に何度も迫ったのだが、奇跡的に生還する。これだけしか話さないと、エホバの証人は「まさにエホバ神の救い」などと言い出す。

父はこのとき、「これで負けたら死ぬ」と決めた最後のパチンコで何度も勝った。最後の金で打つ決死のパチンコで何度も救われた。

本当に神がいるのなら、父は神に救われたのかも知れない。奇跡としか言えない。ここ一番のパチンコで何度も連勝するのはまさに奇跡。

ギャンブルは基本的に胴元が儲かるように出来ている。人間が作ったシステムなので、攻略・必勝のルートはどこかにある。しかし、そんなモノ関係なしで運だけで連勝するというのは、まさに奇跡。

冗談のような話だが、博打好きな神にしか出来ないこと。

父を生かしてくれたのはやはり神なのかも知れない。

ただ、その神はものみの塔が存在を主張するエホバという神でないことは明らか。ものみの塔はギャンブルを認めていないし、離婚、喫煙と戒律に反し続けた父がエホバに救われる筋合いはないから。

恐らく、父本人もエホバの存在を認めていないし、エホバなんぞに救われたいとは思ってもいない。

ものみの塔協会がエホバの証人(JW)に隠す人生の真理

エホバの証人という、すべての羊たちのために

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元エホバの証人(JW)2世、不吉な薄暗い部屋での最初の記憶

エホバの証人脱会後の未来

元エホバの証人2世の親との確執 

私は生まれながらのエホバの証人(通称JW)2世として、両親から厳格に教団の戒律を押し付けられて成長した。しかし、そのことで両親を全く恨んでいない。両親は、エホバの証人組織に騙されただけだったから。

両親からは、「懲らしめ」と称してエホバの証人風の体罰を繰り返し受けた。エホバの証人のわけの解らない教理を押し付けられ、全く自由のないまま14才まで育てられた。

エホバの証人の戒律には禁止事項が多い。エホバの証人2世は、常に周囲の子供との違いを意識せざるを得ない。一般の子供の自由さと自身の不遇を比較し、辛い子供時代を送る。

それでも、私は両親に対して感謝こそすれ、恨みに思ったことはない。とはいえ、両親のエホバの証人になるという間違った選択をした事実が消えることはない。

エホバの証人をやめると決意し、実際にやめようとしていた14才のときに、私は両親と激しくぶつかった。両親が信じるエホバの証人の教理に対し徹底的に暴言を吐き、論破した。

人生の意義はその短さにあり、その短期間を自身の意思で駆け抜ける必要がある。両親が疑いもしない神エホバすら、私にとっては自身のエゴで世界を滅ぼそうとする悪の化身だった

14才の私に続き、父→母の順でエホバの証人をやめたのだが、組織から脱退の家庭は崩壊した。

エホバの証人の子供とは

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ものみの塔がエホバの証人に隠す人生の真理、パチンコ好きな元エホバの証人親子

パチンコ好きな元エホバの証人親子

エホバの証人をやめたパチスロ好きな親子

かつて私の父はエホバの証人だった。父はエホバの証人をやめた後、母と離婚。家を出る。その後、あてもなく放浪。西へ向かい、九州にまで流れ着いく。

所持金はほぼ無くなり、何も食べられず泊まる場所も無く、もう死ぬしかないというところまで至る。そして、最後の金でパチンコ屋へ入る。

このあたりが私と親子なのかも知れない。このときの父との再会の数年前。わたしは、新卒入社した会社で5年働いた後、退社し本気でパチプロになろうとしていた。

エホバの証人という無謀な生き方をしている人を何千人も見てきて、人は何とかして喰っていくくらいならできると、世の中をなめていた。エホバの証人は学歴も職歴も欲せず、定職にもつかないが、飢えて死んだ信者は見たことがない。

エホバの証人2世として生まれてしまった私の一生は、どうせろくなモノじゃない。今さら、世間的な地位などどうでも良かった。

私は、「ハルマゲドンで死ぬまでサッカーをやり尽くしたい」という強烈な意思でエホバの証人をやめた。しかし、それにも飽きて、洗脳が解け「ハルマゲドンはこない」と知った。そんな元エホバの証人2世の適当な生き方。

ハルマゲドンがこないのなら、人生は意外と長い。生き方を見定めなければならないと私は考え、パチプロへ転向した。

パチプロという他人に依存しないアウトローな生き方は、いかに反エホバであるかという、当時の私が追求していた生き方にマッチしていた。

しかし、ちょうどその頃、父はマインドコントロールが解けて、何もかもが取り返しのつかない状態であることを悟り、死ぬ気でパチンコを打っていた。

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エホバの証人脱会、エホバという傷を抱えて生きるリアル人生

エホバの証人をやめた先にしかホンモノの人生はない

封印したいエホバという呪いの言葉

私は物心つく頃からエホバの証人の2世信者として育った。エホバの証人とは自称キリスト教系の新宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。2世信者とは親(1世信者)の信仰を強要される子供のこと。

私は、両親ともにエホバの証人という家庭の一人息子だった。14才の秋に自分の意思でエホバの証人をやめる。その後、両親が父→母の順でエホバの証人をやめた。その過程でわが家は一家離散。私が成人して家を出た後、両親は離婚。

母からは、父の浮気が離婚の原因というようなことを聞いている。ただ、両親それぞれと話をしても、離婚前後のことはほとんど話題に上がらない。真相はもはや闇の中。

両親ともにエホバの証人だった頃のことに触れたがらないし、私からもそんなお互いの古傷をえぐる話を持ち出しにくい。私もエホバの証人だった過去の話は一切したくない。

私の一家は、エホバの証人に結びつきそうな話を徹底的に避けている。これはエホバの証人をやめた人に共通する意識ではないだろうか。エホバという言葉に、心がざわつく不快感を覚える。

母に至っては、つい最近までマインドコントロール状態にあったようで、エホバという神が実在すると考えているのか否か?母がどう考えているのか、私には解らなかった。そんな異常な精神状態の母親と、どうエホバの証人に関わる話をしろと言うのだろうか。

我々親子がかつてエホバの証人だったことについて、どうしても話さなければならないときがある。その際も言葉を濁して話すことになる。父は

「お前を友達の出来にくい育て方をしてしまった」

母は

「普通の環境で育ててあげれば良かった」

こんなニュアンスになってしまう。

両親も私もエホバのエすら口にしたくない。「エホバ」と聞いて感じるのは、強烈な不快感と恥の記憶。その偽善の教理を「宣べ伝える」手先になっていた。過去の、自分たちのエホバの証人としての布教行為には吐き気すら催す。忘れてしまいたい罪の記憶。消したい過去。

ものみの塔協会からの洗脳状態を解くためにすべきこと

ものみの塔協会のマインドコントロール手法

マインドコントロールが解けない方が幸せだったのか

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エホバの証人をやめて全ての人間関係をリセットする

どんな目に遭おうともエホバの証人をやめるべき

排斥からの復帰を目指すエホバの証人

私は、両親がエホバの証人という宗教一家に生まれた。エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。私はその2世信者として育てられた。2世信者とは親(1世信者)の信仰を強要される子供のこと。

私は、14才のときに両親との決別を覚悟し、エホバの証人をやめる。私が成人し家を出た後で、父もエホバの証人をやめた。当時の母はいまだエホバの証人のマインドコントロール下にあり、両親は家庭内別居状態にあった。

父は20年もの歳月をエホバの証人活動に費やし、エホバの証人以外の知人はゼロ。衝動的な自殺未遂事件を経て、最後の友人とも気まずい関係になる。

その最後の友人はエホバの証人ではなかったのだが、その人の妻は熱心な信者だった。この頃の父は喫煙を再開しており、過去にはエホバの証人の長老という立場だったとはいえ、現役信者から見れば避けるべき人間。

信者でなかった最後の友人のかたも、交友を重ねることは勧められない。こうして、父は全ての人間関係を失った。

エホバの証人は教団の中で、大人しくしている間はお互いを兄弟姉妹と呼び合い水魚の交わりを結ぶ。男性の信者は、会うたびにお互いに握手をするくらい。

しかし、組織からの破門処分になったり、自らこの宗教を断絶した人に対して、街で会っても挨拶すら禁止という教団の決まりがある。喫煙や不貞行為、輸血などの戒律違反は、組織からの排斥という破門案件。

排斥処分というエホバの証人的村八分になると、エホバの証人の王国会館(集会所)に行っても一切歓迎されない。集会のプログラムを聞くことは許されているが、端の席で誰とも目を合わさないようにしていなければならない。

エホバの証人の集会が始まる直後にこっそりと入っていって、終わる寸前にひっそりと帰宅。排斥者はこの一定期間の村八分状態に耐えると、組織に戻ることを許可されるケースもある。

私には、そこまでしてエホバの証人の王国会館に通わなければならない理由が一切分からない。マインドコントロールの影響なのか、組織内の唯一の人間関係を取り戻そうとしているからなのか。

とにかく排斥者には、初めて王国会館に行ったときのような、熱烈な歓迎の精神は一切示されない。

全ての人間関係をリセットしてでもエホバの証人をやめるべき

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