分かってるつもりの病理
先日、この記事にこんなコメントが届いた。過去記事を毎日Xに投稿しているので、そのためかと。
エホバの証人の子供たちは,野外奉仕を喜んでしています。手紙を書いたり,学校でクラスの友達や先生に証言したり,家の人に証言したりしています。
あなたは,ただ強い勇気と確信がなかったので強い信仰がでなかっただけです。もっと強い勇気と確信を抱けるようにしてください,と祈ればエホバに喜ばれたはずです。
「エホバに喜ばれた」という気持ち悪さマックスの表現から、現役エホバの証人と思われる人物からのコメントみたい。
不思議なことに、この人は「エホバの証人の子供」でも、「あなた」こと私でも、ましてや「エホバ」でもないのに、なんで、それぞれの心の中が分かるんだろうね?
分かってるわけがないので、分かっているつもりというか思い込みというか、もはや病的。まぁ、それをエホバの証人と言うんだけども。
30年越しの確信の答え合わせ
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