社会になじめないエホバの証人2世
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
村上春樹の『1Q84』について。作中にエホバの証人をモデルにした新興宗教が登場する。その宗教の2世信者が脱会後に感じる苦しみ。リアル世界のエホバの証人2世にも共通する。
信仰を捨て、教団を離れたのに、世間を忌避するように求められながら育ったために、一般社会の共同体になかなか馴染めない。そして信仰を捨てたにも関わらず、かつて信じていたものを全面的に否定できるかと言えば、そうでないことも多く、その葛藤が不安をはぐくんでいく
脱会後もカルトの呪いに囚われ、社会になじめない。これはこれでキツイ。しかし、多かれ少なかれ誰でも同じような悩みは抱えている。所属する組織が変われば、なじみにくいこともある。
治っていない人、解けていない人
エホバの証人の間違った世界観が正しいモノだと思いこまされ、その価値観を完全には手放せないまま一般社会に紛れ込んでいる脱会者もいる。エホバの証人の信仰にも正しいところや真っすぐなところがある、そういったモノを全否定できないままでいる。
こっちのほうが大問題。私はこういう人を「まだ(洗脳が)解けていない人」「治っていない人」と呼んでいる。
社会になじめないと悩んでいる人は全然マシで、なじめないけどある程度はなじんでいこうとか、なじめないなりに周囲に迷惑をかけないようにしようとか、周囲に合わせすぎて疲れないようにしようと、相手視線があればいい。
問題なのは、エホバの証人の信仰や行動様式を全否定していない人。こういう人はまだ治っていないので、一般社会ですぐに軋轢を生む。
エホバの証人の価値観なんて、一般社会から見れば全否定されて当然。誰が神の王国の到来を待ち望むかっつーの。エホバの証人の根本はおバカなテロ国家の樹立だから、いくら枝葉末節の行動様式、一部の末端信者の美徳みたいなモノを並べ上げたところで、そんなモノ社会は認めない。根が危険でヤバいんだって。
というか、エホバの証人のマトモな部分は一般社会であれば当然のマナー以前のモノ。礼儀正しくとか正直とか勤勉とか。それ人として当たり前だから。そんな一般常識以前のモノを備えて美徳とか言われたところで、根がギャグなテロ国家の樹立なんだから、一切認められるはずがない。
それなのに、いまだにエホバの証人を全否定できずに、ときには擁護しちゃうような脱会者はまだ治っていない。
しかも、エホバの証人はよく学んできた、なんて自負があるから余計厄介。
自分のことを賢いと勘違いしている。エホバの証人のマインドコントロール用教材でこってりと思考力を奪われたうえでの勘違いだから、かなりの重症。自分の頭の悪さに気づきもせず、自分は賢いと思いこんでいる。
治っていない脱会者を治す方法
エホバの証人を完全否定しないまま、私の頭は優れているなんて勘違いしている脱会者は相当厄介。
当然、社会はそんな我が身を省みない者を受け入れない。社会になじめないどころか、社会に受け入れられない。
こういった脱会後の重症者を治すには、エホバの証人を完全否定させるしかない。
ところが、これが厄介な仕事になる。相手は自分が賢いと思っているから、聞く耳持たず、エホバの証人的固定観念にまみれているから、本人が捨て切っていない部分についてはほとんど洗脳状態。
洗脳解除がいかに困難かは、21世紀の日本で20万人を超えるエホバの証人が神の王国を樹立しようと考えていることから明らか。エホバの証人の周りは情報化社会じゃねぇのかよ。
一人ずつ説得している間に、22世紀になっちゃうから、社会全体でエホバの証人にNOを突きつける。社会全体でエホバの証人を全否定。エホバの証人を物理解散させ組織ごと壊滅させる。
そうしたら、脱会後のエホバの証人の細部肯定派も肯定する先を失うことになる。はい。これで晴れて全開放。