強い痛みを伴う真実
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
村上春樹『1Q84』より。エホバの証人がモデルになっている「証人会」という新興宗教が出てくる。
世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めてはいない。真実というのはおおかたの場合、あなたが言ったように、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地良いお話なんだ。だからこそ宗教が成立する
そうして、耳ざわりのいい宗教に騙されると、いずれ手痛い人生のツケを支払わされることになる。もしくは、無意味に死んだり。
真実から目を逸らすと現実はますます悪化する
エホバの証人の場合、地上の楽園で永遠に生きられます。そこでは心身の苦しみもなく、完全な人間に生まれ変わります、のようなおバカな与太話。
まともな人間にしてみれば、美しくも心地良くもないグロテスクな話。完全な人間ってなんだよ?絶対それ楽しくない。快楽にまみれて生きていたい。時には二日酔いになるくらい飲んだくれたい。
しかし、現実を悲観し、現世に不満を持っていると、こういう作り話に騙されることになる。そして、その先に待つのが悲劇。
エホバの証人の場合、死んでも輸血しないという命がけのギャグ教理を抱えているのでうっかり死んじゃったり。
エホバの証人的生き方をすれば、数多の人生の時間をムダにする。寄付金も奪われる。信仰を同じくしない家族や友人を失う。教団の宗教本を繰り返し読まされ、思考力を奪われる。世の中をさらに悲観する思想を植え込まれ、世間と隔絶していく。仕事もマトモにせず布教活動に従事するのが良しとされているので貧する。
そして、真っ暗な未来が待っている。
針のように痛い真実から目を逸らして、エホバの証人のバカ話に付き合うと、致命傷となるような手痛い真実を抱えることになる。そうなると、ますます真実を受け入れることができなくなり、エホバの証人的世界へ現実逃避。
自分の人生の一部を切り売りすればするほど戻れなくなる。支払った代償が大きすぎて、損切りできなくなる。そして、戻るにも戻れない最悪の事態に。
これがカルトが信者の人生をマルっと搾取する構図。