エホバの証人を陥落させる
エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落。エホバの証人が持ち出してくる根拠がものみの塔の記事。2011年の『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』。
霊感のもとに記された聖書からの証拠がエルサレムの滅びは西暦前607年であったことをはっきり示しているのであれば,多くの権威者たちが西暦前587年という年に固執しているのはなぜでしょうか。それらの人が典拠としているのは,二つの情報源 ― 古典史家の書いた物とプトレマイオスの王名表 ― です。この二つは聖書よりも信頼できるものでしょうか。調べてみましょう
ここにものみの塔の欺瞞が集結している。
「霊感のもとに記された聖書」。そんなことないって。レビ記なんか激ヤバカルト教団そのものだって。
「聖書からの証拠がエルサレムの滅びは西暦前607年であったことをはっきり示している」。示してないって。
「多くの権威者たちが西暦前587年という年に固執している」。いやいや、BC587年エルサレム陥落は客観的な証拠に基づいて、エホバの証人以外のすべての人類が認めていること。
固執しているのはものみの塔のBC607年。これは1914年以来終わりの時代に突入、1919年にエホバの証人が選別された、という自己の存在理由をこじつけるため。
多くの権威者が「典拠としているのは,二つの情報源 ― 古典史家の書いた物とプトレマイオスの王名表 ― です」
これもウソ。
以下、jwstudyのこの記事を参考にしている。
翌月号の塔記事『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』によると、
ほとんどの学者はエルサレムの滅びを西暦前587年としています。そうだとすれば,流刑は50年間だけだったことになります。なぜそう結論づけるのでしょうか。それは,ネブカドネザル2世とその後継者たちについての詳細を記している,古代の楔形文字の文書に基づいて計算しているからです
と、「古典史家の書いた物とプトレマイオスの王名表」に加えて新たな証拠「古代の楔形文字の文書」が出てきた。複合的な証拠によっなBC587年が導かれているのに、それを個々に攻撃することでBC607年をこじつけようとするものみの塔の欺瞞。
「二つの情報源 ― 古典史家の書いた物とプトレマイオスの王名表 ― です。この二つは聖書よりも信頼できるものでしょうか」って、できるだろ。
聖書は単なる創作本。数多のおバカな記述や予言ハズシがそれを示している。
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