『解毒』:日本初の排斥エホバの証人の本、エホバの証人の排斥とは?

日本で初めての排斥されたエホバの証人による著書

元エホバの証人2世の排斥者が書いた『解毒』

元エホバの証人2世の女性が、顔出し実名で書いた『解毒』。私は単行本で読んだのだが、家族に隠れて読みたいという人は電子書籍がおすすめ。

本書が、日本では初のエホバの証人排斥者による執筆であることが、作中で触れられている。

排斥とは、エホバの証人の組織から追い出されること。重大な戒律違反を犯した信者に適用される。私のイメージでは、ほとんどが婚姻外の性交渉、もしくは背教行為。

エホバの証人の場合は、教団に対する不信感の表明や、教理の矛盾の指摘程度の些細なレベルから背教行為とみなされる。

エホバの証人の排斥とは?

“『解毒』:日本初の排斥エホバの証人の本、エホバの証人の排斥とは?” の続きを読む


元エホバの証人2世の覚醒の瞬間、洗脳解除の理由とは?

元エホバの証人2世の覚醒の瞬間

エホバの証人2世という過去は、人生の恥部

21世紀初めのこと。私は、エホバの証人についてインターネットで調べようとしていた。『14万4000人の残りの者』の人数を調べれば、ハルマゲドンの到来時期がわかるだろうと考えたから。

生まれながらのエホバの証人2世だった私が、教団を脱会したのが14才のとき。1994年のこと。それ以来、意識してエホバの証人を避けてきた。

エホバの証人2世だった過去は、私の人生の恥部だから。

小学校の節分で私だけ鬼のお面をつけられず、豆まきを教室の端から見ていた。あの時の屈辱感。同じ屈辱感を小学校から中学校のあいだ、何度も味わった。

エホバの証人2世だった屈辱的な過去と決別すべく、私は全力でエホバの証人らしくない生き方をしてきた。いつハルマゲドンで死んでも良いように。そのハルマゲドンがいつ来るのか?

ノストラダムスの大予言もはずれ、時代は21世紀になっていた。

増加し続ける、エホバの証人の14万4000人の『残りの者』

“元エホバの証人2世の覚醒の瞬間、洗脳解除の理由とは?” の続きを読む


エホバの証人の王国会館と、荘厳な宗教施設との違い

荘厳な寺院とエホバの証人の王国会館との違いは?

宗教施設に宿る人々の力と思い

私は、エホバの証人をやめて、キリスト教や宗教そのものを忌避する志向に陥っている時期があった。

エホバの証人の子どもだったために、エホバの証人が異端とするキリスト教の諸教会や日本の寺社仏閣を避けるよう教育を受けた。宗教施設に対するエホバの証人の偏見がなかなか拭えなかった。

それに加え、エホバの証人というカルト宗教でひどい目にあった。宗教はもうこりごり。神はいない。無宗教で無神論者です、という立場だった。

ところが、ここ最近では文化財などの建築物が好きになり、古今東西の教会から寺、神社などを巡るのが趣味になった。

参拝しに行くのではなく見学に行く。ついでに賽銭を入れて柏手くらいは打つが。大概の人の宗教心なんてそんな程度。エホバの証人のように、何もかもすべぶてを神、というか組織に捧げる必要などない。それこそ危険なカルトの要求。

キリスト教の教会は、エホバの証人の王国会館とは違い荘厳な雰囲気。多くの職人が精魂込めて造り上げた装飾。それらには何らかの力や願いが宿っている。

日本の社寺も同様。精緻な彫刻とそれを維持する人々の努力の結晶。簡易建築のエホバの証人の王国会館とはレベルが違う。そして数千年もの昔から、多くの人々が祈りを込めたパワーがそこにはある。

宗教施設に宿るのは人間の技術力や努力、そして願いや祈り。神が鎮座しているわけではない。人が自分の姿や心に似せて神を造った。それを理解していれば正当な宗教施設は怖くない。

人間の姿に似せて想像された神

エホバの証人の王国会館とは?

エホバの証人の王国会館、羊を迷子にして喰いものにする仕掛け

“エホバの証人の王国会館と、荘厳な宗教施設との違い” の続きを読む