いやらしさ満点、エホバの証人の復活の教義
『近現代日本とエホバの証人』、第三章「不確定の時代」前半より。
本書の本筋とは逸れるのだが、エホバの証人のオモシロ教理があったので拾っておく。エホバの証人の
布教を受けずに亡くなった者には、存命中と同じ姿と人格で地上の楽園に復活させられた上で、エホバ神に従うか否かを選択する機会が与えられる
過去に死んだ人たちもそんなお節介は要らないと思うのだが、エホバの証人の冗談みたいな教理ではこういう復活設定になっている。通称、不義の復活だったはず。確か。
エホバの証人に一度も遭わなかった幸運な人は、ハルマゲドン後の地上の楽園で復活すると。しかも存命中と同じ姿形で。とことんバカバカしい話なのだけれど、一応矛盾をつついておく。
日本の場合だと、エホバの証人を輸入した明石順三以前の日本人はもれなく復活対象。織田信長から坂本龍馬まで、昭和の戦前の人まではほぼ該当する。過去の空海とか卑弥呼とかも対象になるよね。
そんな偉人とか昭和初期の軍人や新選組とかに、「エホバ神に従いますか?」って聞くの?一喝されて斬られるよ。「国を惑わす、まやかしの類」だって言われる。その通りなのだけど。
昔の方が人口が少なかったとは言え、昭和中期以前の人口がすべて復活してきたら?すぐに地球パンクするんじゃね?
どうせハルマゲドンも復活も無いからってエホバの証人の教理はいい加減すぎ。今どきのSFの方がもうちょっと設定がしっかりしてる。祖父母世代の不義者の復活を匂わせて、情弱者や家族の死で精神的に参っている人を信者に取り込もうとするいやらしさが見え見え。
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